幼稚園のころ、私は最低でも日に三度は着替えていた。
髪の色だけではない。父と母は私をなにからなにまでアメリカ式に育てようとした。洋服も靴(くつ)も帽子(ぼうし)もブランド品。ファッションモデルをしていた母の希望とセンスもかなり入っていたと思う。
朝、幼稚園に行くとき、幼稚園から帰宅したあと、母とお出かけするとき、夕方の部屋着、さらに寝るときのパジャマまで入れれば、日に少なくとも四回は着替えていた。
いまもそうだけど、父は仕事で家にいないことが多く、母は家事が苦手(にがて)な人だから、毎日のようにデパートなどで買い物をしたあと、外食して帰る。これが日課のようになっていた。
私が通(かよ)っていた幼稚園には制服がなかったので、最初のころは毎日、違った服を母が選んで私に着せていたが、やがて自分自身で、今日はこの服を着ていこう、この服なら、この帽子にして、靴はこれにしよう……などと、コーディネイトみたいなことをするようになり、それがとても楽しみだった。
ほかの子がゲームなどに夢中(むちゆう)になっていたころ、私は母にねだってデパートに連れていってもらっては、洋服ばかりあさっているような、いまから思うと、ずいぶん生意気(なまいき)で、おかしな幼稚園児だった。
父のアメリカかぶれのきわめつけは、寝かせ方。
日本では赤ちゃんを仰向(あおむ)けに寝かせるため、ゼッペキ頭の人が多いといわれる。父は娘の頭がそうならないようにと、アメリカ式にうつ伏(ぶ)せに寝かせるようにした。それも、いびつにならないよう、それこそ一時間ごとに左右の向きを変えて気を配(くば)った。もちろん、やらされていたのは母だけれど。おかげで、私の頭は、ショートヘアにしても気にならないくらい、いい形をしている。
赤ん坊のときからうつ伏せに寝かされたクセで、いまだにうつ伏せでないと安心して眠れないのは、ちょっと困りもの。