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「みにくいあひるの子」だった私08

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:名門幼稚園恐怖(きようふ)のアメリカン・スクールを脱(だつ)し、日本の幼稚園に通(かよ)うようになってからは、まさに親の
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名門幼稚園

恐怖(きようふ)のアメリカン・スクールを脱(だつ)し、日本の幼稚園に通(かよ)うようになってからは、まさに親の着せ替え人形の世界。
小学校に入る前は、自分がほかの子と違っているとは思っていなかったので、自分でも、そうしたことをぞんぶんに楽しんでいた。
渋谷区広尾(ひろお)の、いわゆる“お受験”で有名な幼稚園だったから、お昼ごろともなると、周辺の道路はお迎(むか)えの車でいっぱい。それも、ほとんど外車ばかり。二十五年も前のことで、当時の私には車の知識などないから気にもとめていなかったけど、いまとあまり変わらない光景だった。
まさに親の見栄(みえ)の張り合いの場で、子どもに着せる服も、高級ブランド品のオンパレード、みんなが親の着せ替え人形同然だったから、私の顔がほかの人とちょっとぐらい違っていても、とりたてて目立つ存在ではなかった。
そうした環境の中で、私はとても幸せな幼稚園時代を楽しませてもらった。まさに、わが世(よ)の春——。
たまに、休みの日に父がデパートに連れていってくれることもあった。食いしん坊の父と行くときは、必ず地下の食品店街を見てまわる。ただ、父と一緒だと、いつもファンが集まってきて、まわりに人だかりができてしまうのがたまらなかった。
父の仕事のことは子どもなりに理解していたと思う。でも、あまり寄(よ)ってこられると、がまんできなくなって、「パパに近寄っちゃだめ、あっちへ行ってよ」などとわめきちらしたこともある。たまの父との外出だったから、父を独占(どくせん)したかったのだ。
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