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「みにくいあひるの子」だった私09

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:アニメの靴なにかをねだって、親から「だめ」と言われた覚えがほとんどなく、それどころか、私がおねだりをする前に、親のほうが
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アニメの靴

なにかをねだって、親から「だめ」と言われた覚えがほとんどなく、それどころか、私がおねだりをする前に、親のほうが気をきかせて、買い与(あた)えるといった感じだった。デパートの売り場などで、私がなにかを興味深(きようみぶか)げにじっと見ていようものなら、親のほうが、「ああ、この子はこれをほしがっているんだな」と早合点(はやがてん)して、その商品をどんどんレジに持っていってしまう始末(しまつ)。
洋服が好きで、自分でコーディネイトしていたとはいっても、そこはやはり子どものこと、どうしても人気アニメのキャラクターに目がいってしまう。そのころ、男の子だったら「ガッチャマン」、女の子だったら「キャンディ・キャンディ」が人気ナンバーワン。でも、私は、男の子に人気の「ガッチャマン」のキャラクターをあしらった靴(くつ)がほしくてたまらなかった。
母のファッションセンスからしたら、アニメの絵が入った靴など許(ゆる)しがたいシロモノ。「そんな下品(げひん)なもの」と吐(は)き捨てるように言って、これだけは絶対に買ってはくれなかった。その種の靴は、デパートにも売っていなかった。
やむなく父に頼(たの)んだところ、「ママにはないしょだぞ」ということで、そういうものを売っている街(まち)の靴屋さんに連れていって買ってくれた。私がすごく喜んでいると、すぐに母に見つかって、捨てられてしまった。
それが悲しくて大泣きしていたところ、父が、「もう絶対に見つかるんじゃないぞ」と言って、もう一度買ってくれた。母に見つかったら捨てられてしまうから、隠(かく)しておかなければならず、せっかく買ってもらったのに、はくにはけない靴になってしまった。
その靴は、父に買ってもらったものの中でも、忘れられないものの一つになっている。
そんな具合で、私は幼稚園のころ、がまんというものをした記憶(きおく)がない。しかし、こんなことは少しも自慢(じまん)にはならない。はたして、子どもの心の健全な発達という面で、そうやってなんでもものを買い与えることがいいことなのかどうか、その後の自分を見ると、大いに疑問。
ふつうの子どもには、親になにかねだって拒絶(きよぜつ)されたとき、泣いてダダをこねれば買ってもらえるかもしれないという知恵がある。でも、かりに母がだめでも、父に言えばなんとかなったから、私にはそういう知恵がまったく発達せず、そのせいか、小学校に入っても言うべきこともきちんと言えないような子になってしまい、人に甘(あま)えるのが下手(へ た)な人間になってしまったと思う。
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