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「みにくいあひるの子」だった私12

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:カギっ子の楽しみ自分で買ってきて、お湯を沸(わ)かしてつくったカップラーメンをすすり、「よっちゃんいか」をほおばりながら
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カギっ子の楽しみ

自分で買ってきて、お湯を沸(わ)かしてつくったカップラーメンをすすり、「よっちゃんいか」をほおばりながら「土曜ワイド劇場」の再放送を見る……。
そんなカギっ子の私にも、楽しみがあった。それは、テレビ朝日で午後一時からやっていた「土曜ワイド劇場」の再放送を見ることだった。
推理ドラマが中心だが、新作はいまでも毎週土曜日の夜九時から放映されているし、その古いものの再放送も、いまだにお昼にやっている。その再放送を見るために、私はなんとしても一時までに、必死になって帰った。
いま思うと、色恋ざたのはてに人を殺すといったドラマには、残忍(ざんにん)な場面、お色気シーンもけっこう多く、とても小学校低学年の、それも女の子が夢中(むちゆう)になるような番組ではないが、なぜかそれが私にはすごく刺激的(しげきてき)で、わくわくしながら見ていた。
なにかの都合(つごう)で帰宅が遅れたり、鍵(かぎ)を忘れて家に入ることができなかったりして、それを見逃(みのが)したときなどは、取り返しがつかないような損をした気分になる。
「土曜ワイド劇場」を見るとき、私には必要なものがあった。それが、カップラーメンと駄菓子(だがし)。
父が家にいるときは、必ず父が手をかけた料理をつくってくれる。父がいないときは、ほとんど母と一緒に外食していたから、学校にあがる前から、高級レストランの味も知っていた。
でも、どこの家にもあるカップラーメンが、わが家にはなかった。自分で買っておやつがわりに食べていると、「そんなもの、身体(からだ)に悪いからやめなさい」と、母からきつい禁止令。私はどんな高級レストランの料理よりもカップラーメンのほうが好きだから、やめられない。午後一時から五時ごろまでの親がいない時間帯は、絶好のチャンスというわけ。
駄菓子には「都(みやこ)こんぶ」とか「よっちゃんいか」とか、独特の臭(にお)いを発するものがあり、私はそれらが大好きなのに、母はその臭いが大嫌(だいきら)いで、家ではこれも禁止、買ってはもらえなかった。
母がいないときは、心おきなくそれができる。これが、その当時の私の最高の楽しみだった。
食べたあとの空(から)カップを始末(しまつ)しておくという知恵はないから、すぐ母にバレて、いつも叱(しか)られていた。叱り方はアメリカ式だから、スリッパでお尻(しり)をポンポン叩(たた)かれる。それでも私はやめなかった。おかげで、いまだに一番の好物はカップラーメン。
CMの撮影(さつえい)のときなど、立派なお弁当が出ることが多いが、私のことを知っているスポンサーさんは、そんなときには必ずカップラーメンにお湯を入れてもってきてくれる。お弁当に比べたらずっと安上がりだが、私にはそれが最高のご馳走(ちそう)なのだから。
「土曜ワイド劇場」を一週間に一度、続けて見ていると、おもしろいことに気づく。それは、「土曜ワイド劇場」に特定の女優さんが立て続けに出てくること。子どもながらにそれが不思議(ふしぎ)で、父にそのことを聞くと、
「あれはね、その女優さんが日ごろからプロデューサーとかディレクターなんかと仲よくしているから、よく使ってもらえるんだよ」
当時は、「仲よく」の正確な意味も知らず、「ああ、そうなんだ」と納得(なつとく)していた。
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