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「みにくいあひるの子」だった私14

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:夕食はミカン一つ毎年十月十日が運動会と決まっていたので、父はかなり前からこの日には仕事の予定をはずし、しかも、朝早くから
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夕食はミカン一つ

毎年十月十日が運動会と決まっていたので、父はかなり前からこの日には仕事の予定をはずし、しかも、朝早くから大いにはりきって、おにぎりを百個ほどもつくってもってきてくれた。
父の不在がちについては、もちろん寂(さび)しいことだったが、幼稚園に入る前からずっとそうだったので、それは理解していた。でも、やはりふつうの家のように、朝、会社に行って、夕方帰ってくるお父さんに憧(あこが)れていたのは事実。
空(から)っぽの家では寂しい思いをしていたが、参観日とか運動会とか、学校のイベントには必ず父が来てくれたので、それがとてもうれしく、自分の親だけが来ていないという寂しさは味わわずにすんだ。
父は、大病をしてから家族第一主義に切り換えたと言っているが、私もいまの仕事をするようになって、この世界のスケジュールの調整がどんなにむずかしいことなのかよくわかるようになった。たぶん、いろいろと無理をし、あちこちに頼(たの)み込んで、家族のためになんとか都合(つごう)をつけてくれたのだろう。
運動会の日には、おにぎりのほかにおかずもいろいろと手をかけたものを用意してきて、私の仲よしグループの家族にもふるまう。
父が家にいるときは、食事は必ず父がつくるが、つくるだけでなく、素材(そざい)の買い出しからあとかたづけまで、すべてを自分でやってしまう。だから、私の知っている範囲(はんい)では、母ほど楽な主婦はいない。
母は赤ん坊だった私にミルクを与(あた)えたことが一度もないという。夜中のミルクやりから、おむつの交換、入浴まで、そういうことはすべて父がやっていたという。私が夜泣きをしても、あやすのは父、母はスースーと寝たっきり。父だけでなく、母自身もそう証言しているから、それは事実だったのだろう。
私が中学生のころの話だ。たった一回だけの話だが、夕方、母に、
「ああ、おなかがすいた。ねえ、ママ、ごはんつくってちょうだい」と頼んだところ、
「それなら、これでも食べていなさい」
そう言って渡されたのは、なんと一個のミカン。
発育ざかりの子どもの夕食が、ミカン一つ!
ただし、母の名誉(めいよ)のために言っておくけど、母はけっして料理ができないのではない。
いまでも日本語は読めず、読む新聞は英字新聞の母だけど、料理学校にせっせと通(かよ)って、和・洋・中華のすべての料理に関して、一級の知識と技術をモノにしている。だから、舌(した)は肥(こ)えているし、どんなレストランの料理でも、その素材を正確に言い当てることができる。
ただ、ものすごい面倒(めんどう)くさがり屋で、自分と娘とわずか二人分の食事をつくるのも面倒なら、食事のあとの食器洗いも面倒、それくらいならレストランにでも行っちゃいましょう、というタイプなのである。
私はどうかというと、カップラーメンが世界一のご馳走(ちそう)だと思っているくらいだから、当然、料理感覚はゼロ。お湯を注(そそ)ぐだけなんだから。
一度、父の本を見て、「辰(たつ)ちゃんのうまい丼(どん)」とかいうのに挑戦したことがあるが、母に「もうやめたほうがいい」と言われてしまった。
母は、「あなたは仕事をもっているんだから、なにも自分でつくらなくてもいい」と言う。それが母のポリシーだったのだろうが、私としては、家事をやらないことを仕事のせいにしたくないという気持ちもある。
私のところには、調理器具はすべてそろっている。それで、たまに本を見ながらつくってみるが、つくるのにはすごく時間がかかって、食べるのはあっという間(ま)だったりすると、ばかばかしくなって、やはり長続きはしない。このあたりは、私も母の血をひいているのだなと、つくづく思う。
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