幼稚園のころから、塾に通(かよ)わされていた。
それは私立の小学校に入るため、つまり“お受験”用の塾で、同じ幼稚園のほかの園児たちもたいてい同じようだったから、当時はそれが当たり前だと思っていたし、両親もそう思っていたと思う。
そして、小学校受験——。
子どもの私には、どれが受験だったのかすらわからないけれど、成城(せいじよう)とか聖心(せいしん)とか、とにかくいろいろな有名小学校を受験させられては、ことごとく落ちていたような気がする。
小学校のことだから、おそらく“お受験”でもっとも重視されたのは協調性。みんなで仲よく、先生の言うことをよく聞く。私にはそれがまるでなかったらしい。アメリカン・スクール時代から、人の輪の中に入っていけない子どもだったし、幼稚園時代は母べったり。ほかの同年代の子と遊んだことがあまりないのだから、協調性に問題があったのだと思う。
いまでもそうだけど、私は子どものころから、他人にあわせることが大の苦手(にがて)、自分のペースでしか行動できないところがあった。急ぐのもせかされるのも嫌(きら)い、その電車に乗らなければ遅刻するというときでも、走っていって無理に乗ろうとはしない。
ただし、足が遅かったわけじゃない。かけっこはクラス一、運動会のときはいつもリレーのアンカーをやっていたほど。
話すスピードも自分のペース。通常はふつうの人よりずっと遅くしゃべる。ただし、電話だと一転して早口になるけど。ごはんを食べるのも、一時間以上かかっていた。それも、好き嫌いだらけ。野菜は絶対に食べられなかったし、お寿司屋(すしや)さんに連れていってもらっても、カンピョウ巻きしか食べない子だった。だから、寿司屋のおじさんに、「アンナちゃん、ここになにしにきたの」なんて皮肉(ひにく)を言われたことも。
いまでも、カップラーメンやマックが最高のご馳走(ちそう)。
とにかく、周囲に同調して、そのスピードにあわせようという意識はゼロ。子どもって、たいていそういうものだけど、とくにがまんの経験がないから、自分の気に食わないことを強制されるのがいやで、私の場合はやっぱりそれが極端(きよくたん)だったと自分でも思う。だから、いまから思えば、生徒のしつけに厳(きび)しいことで有名な小学校に合格したのさえ不思議(ふしぎ)なくらいだ。
先生が通知表のコメントを書く欄(らん)には、毎回のように、こんなようなことが書かれていた。
「アンナさんは集団行動が苦手なようなので、もっと集団生活に慣(な)れるように、お父様、お母様からも、よろしくご指導をお願いします」
私にしてみれば、自分のペースと先生たちが考えているペースがあわないだけ、べつに反抗しているつもりはないのに、それが先生の目には、行動が異常、反抗的と映(うつ)ったようだ。