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「みにくいあひるの子」だった私16

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:浮いた存在小学校の一年から、うちには家庭教師が来ていた。環境だけはそろっていたけど、私は勉強というものをまったくしない子
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浮いた存在

小学校の一年から、うちには家庭教師が来ていた。環境だけはそろっていたけど、私は勉強というものをまったくしない子どもだった。
私は父や母から「勉強しろ」と言われた記憶(きおく)はない。いったん入ってしまえば小学校から短大までエスカレーター式に進学できる学校だから、そんな必要はないと思っていたのかもしれない。
その家庭教師から勉強を教わったという記憶もほとんどない。
私には小さいころから空想癖(くうそうへき)があって、授業中も、先生の話を聞いているふりだけして、いつも別のことを考えていた。これは小学校から中学校までずっと同じ。こういう空想好きの子どもだったから、黒柳徹子(くろやなぎてつこ)さんの『窓ぎわのトットちゃん』は、私の大好きな本の一つだ。
試験の成績はいつも0点に近かった。とくに算数なんかは、最初のところが理解できないと、あとはずっとわからないままで、特別に勉強をやりなおさないかぎり、途中からわかりだすということはない。
返ってきた答案用紙は、もちろん親に見せることなく、たいていはすぐ捨てていた。通知表には、五段階評価で1とか2ばかりが並んでいた。通知表だけは見せていたけど、不思議(ふしぎ)と成績のことで親からなにかを言われたことはない。
「あーあ」
親の口から出るのは、ため息ばかり。
高学年になったころには、1を自分で勝手に4に直して見せたりしていた。数字の不自然さから、この小細工(こざいく)もバレていたのかもしれないが、なにも言われなかった。
自分の顔がいやで、いつも下ばかり向いていたし、クラスのみんなともあまり話をするほうではなかった。子ども同士ならそれほどでもないが、先生でもなんでも、そこに大人がからんでくると、とたんに殻(から)を閉じた貝のようになってしまう。授業中に手をあげて発言するなんて、私にはとても考えられないことだった。そして、学校が終わると、友だちと遊ぶこともなく、すっとんで帰り、「土曜ワイド劇場」。
いまから思えば、私はずいぶんとヘンな小学生だったものだ。
いまでも私は、何人かの人と会っているとき、ふと気がつくと、集団の中で自分だけがうわの空、まったく別のことを考えているなんていうことがある。バラエティ番組に出ていながら、自分だけ別のことを考えていて、そんなときにいきなり質問されれば、答えがしどろもどろになるのは当然。番組のスタッフにしてみれば、ずいぶん失礼な話で、これではなんのために出ているのかわかったものではない。
私はそのころから、親戚(しんせき)と会うのもあまり好きではなかった。「医は仁術(じんじゆつ)」という言葉のとおりの祖父(そふ)は、私が小学生のころに亡(な)くなったが、祖母(そぼ)はいまも健在で、父も祖母の前では頭があがらない。その祖母も私のことはとてもかわいがってくれるし、叔父(おじ)や叔母(おば)たちも、私がハーフだからどうこうということはまったくない。
ただ、十三人いるいとこが、そろいもそろってみな成績がよく、お行儀(ぎようぎ)のいい子たちばかり。いまでもお正月とか法事(ほうじ)などの行事のときは一族が祖母の家に集まるが、そういうとき、子ども同士でも学校のことや成績のことが話題になる。
ここでも勉強嫌(ぎら)いで成績が悪い私だけが会話の中にスムーズに入ることができず、浮いてしまう。その居心地(いごこち)の悪さといったら……。
向こうにはそんな気がなくても、私のほうは、なんとなく見下(みくだ)されているような気分になって、それがとてもつらくて、日に日に親戚から遠ざかってしまった。
コンプレックスは、学年があがるにつれてどんどんひどくなり、そこから出てくる“行動の異常性”から、私はますます浮いた存在になっていった。
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