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「みにくいあひるの子」だった私17

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:学校嫌い六年生になって担任がかわったとたん、私にとって学校は憎(にく)むべき存在に変わってしまった。勉強嫌(ぎら)いだし
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学校嫌い

六年生になって担任がかわったとたん、私にとって学校は憎(にく)むべき存在に変わってしまった。
勉強嫌(ぎら)いだし、成績は悪かったし、集団生活にもなじまない子どもだったけど、五年生までは、学校に行くこと自体をそれほど苦痛に思ったことはなかった。
通学途中にあったいじめも、いつのまにかなくなり、クラスメイトからのいじめにあうこともなかった。もっとも、われ関せずのところがあったから、ひょっとしたら本当はいじめにあっていたのに、私自身がそれに気づかなかっただけなのかもしれない。
一年から五年まではほとんどクラス替えがなく、担任もずっと同じ女の先生だった。とてもいい先生で、勉強嫌いの私が学校嫌いにはならなかったのも、この親切でやさしい先生のおかげだったと思っている。ところが、五年から六年になるときにクラス替えがあって、男のM先生にかわった。
私にとって初めての男の先生だったけど、最初のころはべつになんとも思っていなかった。ただ、それまで女の先生からは「梅宮(うめみや)さん」と「さん」づけで呼ばれていたのが、急に「梅宮」と呼び捨てにされるようになったことには、いくらか抵抗を感じていた。でも、クラス全員に対して呼び捨てだから、慣(な)れてしまえばなんということもない。
二ヵ月ほどたったころから、この先生の生徒に対する態度に、相手によって違いがあることに気づくようになった。
先生だって人間、聞き分けのいい子、勉強のできる子をかわいいと思うのは当然かもしれない。クラスの中では勉強ができる子はほとんど決まっているから、結局のところ、特定の生徒ばかりをえこひいきするようになる。
勉強ができない生徒に対して、とても意地の悪い接し方をする先生だった。宿題もほとんどやらず、できが悪かった私が一番の標的にされたような気がする。
私のようなハーフの顔が気に入らなかったのか、とにかく、見る目つきから違っていて、ばかにしたようなまなざしで、見下(みくだ)すような態度なのだ。少なくとも私にはそう感じられた。
思い込みだとか、気のせいだとか、被害妄想(ひがいもうそう)だとか言われるかもしれない。なにごともなければ、私にとって、たんに「こわくて近よりがたい、いやな先生」という程度ですんでいただろう。
いまだに忘れがたい屈辱的(くつじよくてき)な仕打ちがいくつか重(かさ)なったことを考えると、私としてはそれだけでかたづけることはできない。
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