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「みにくいあひるの子」だった私27

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:家 出家出をしたって、身を寄(よ)せるところは決まっている。私が生まれた代々木上原(よよぎうえはら)の産婦人科医院しかな
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家 出

家出をしたって、身を寄(よ)せるところは決まっている。私が生まれた代々木上原(よよぎうえはら)の産婦人科医院しかない。歩いても行ける距離だった。そこに私をとてもかわいがってくれる十二歳年上の娘さんがいて、私も彼女をお姉さんのように慕(した)っていた。
父にはヘンなところがあって、夫婦げんかをしても、母に「出ていけ」とはけっして言わない。
「そんなにいやなら、おれが出ていく」
出ていく先は、やはり代々木上原の産婦人科医院。一家そろって、勝手にそこを駆(か)け込(こ)み寺(でら)にしていたのだから、向こうにしたら迷惑(めいわく)もいいところ、たまったものではない。
私がまだ赤ん坊だったころ、父は母とけんかをして家出をしたものの、私のことは放っておけず、夜中にそっと窓から忍(しの)び込み、私を盗(ぬす)み出して、駆け込み寺に駆け込んだという。
私が家出をしたって、両親にしてみれば行き先は知れたもの。とりわけ親戚(しんせき)が苦手(にがて)だった私には、自宅以外では、そこが唯一(ゆいいつ)の安らぎの場。
その日は母からそこに電話がなかったから、自分の行き先はバレていないのだろうと思っていた。翌日はそこから学校に行き、この日もやはり連絡はなかった。私はすっかり親に裏切られたと思い込んでいたから、他人の家の迷惑もかえりみず、このままこの家の子になってもいいだなんて、のんきなことを考えていた。
その翌日もそこから通学し、学校を終えて、午後、渋谷駅に降りたったところ、改札口の前に母が立っているではないか。私が帰ってくる時間を見計(みはか)らって、待(ま)ち伏(ぶ)せしていたのだ。
「アンナ、もう帰ってきてよ」
「だれがあんなうち。帰らないわよ」
「お願い。もういいじゃない、かんべんしてやってよ」
目に涙を浮かべている。でも、私の気持ちはまだ完全にはおさまっていなかった。娘がひどい目にあっているのに、助けようとしない親なんて……。
「帰りたくないよ」
泣いている母を置き去りにして、私は繁華街(はんかがい)の中に走り込んだ。
いったんははねつけたものの、寂(さび)しそうにたたずむそのときの母の姿が目に焼きついて離れない。さすがにかわいそうに思い、家出四日目ぐらいで自分から家に戻(もど)った。そのころには、客観的に見れば、けんか両成敗(りようせいばい)というのも間違ってはいないなと思えるくらいの冷静さを取り戻していた。
私が戻ったとき、父は家にいたが、娘の身勝手さを怒(おこ)るでもなければ、謝(あやま)るでもなく、照(て)れくさかったのか、なにも言わなかった。私や母に自分から「ごめんなさい」とは絶対に言わない父だった。家出の話題、その原因となった話題もいっさいなく、すぐに以前と同じ日常の会話がはじまった。四日間、まるでなにごともなかったかのように。
アメリカ式というのは、やるだけやってしまえば、あとはもとどおり、いつまでもひきずることがない。私の家族は、いつもこんな調子だった。
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