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輪(RINKAI)廻19

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示:     13 今ある不明の状況を見極めるためには、やはり一度新潟へ行ってみなければならないのかもしれない──、香苗の中に
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     13
 今ある不明の状況を見極めるためには、やはり一度新潟へ行ってみなければならないのかもしれない──、香苗の中にその想いが根づき始めていた。だが現実には、思うように動きのとれないまま、香苗は東京での久し振りの夏を迎えつつあった。
時枝が言ったとおり、「オンタイム」は会社と言えるような会社ではないし、仕事もまた同様だ。とはいえ勤めてそう時間も経っていないというのに、早くも休みをくれとは言いづらかった。加えて新潟までは往復で二万、いく日か向こうにとどまることになれば、どうしたって十万を超える金がかかる。情けない話だが、今の香苗にはその十万ばかりの出費がこたえる。
東京の夏は、思いのほか暑い。ぎらついた太陽は容赦なくアスファルトの路面やコンクリートのビルに照りつけ、あたり一面を熱していく。限度いっぱいまで蒸し上げられ、破裂せんばかりに膨張した空気。熱されたアスファルトからの照り返し、建ち並ぶビルや通りを行き交う車から吐き出される熱気、街に溢れる人の体温、人いきれ。それらを封じ込めるように空にかかった排気ガスの濁った膜……いざ現実に夏の中に身を置いてみて、初めて香苗は本当の意味で東京の夏を思い出した。街を覆う空気は熱いうえに湿気を帯びていて、息をするのさえ苦しくなってくる。しかも熱気は夜になっても冷めるということがない。夏の二ヵ月かそこら、東京は日本であって日本でなくなる。また、かつて香苗がいた頃とは異なり、街にもたれる熱気はただの熱気ではなく、人々の殺気までをも取り込んで、飽和状態ぎりぎりにまで膨れ上がっている。街行く人の頭の上に、イライラとした意識や殺気を孕《はら》んだ熱気が、身にのしかかるように粘っこく滞留している。それが余計に人の意識を刺激して、街そのものを殺気立たせる。伝染病。一触即発、夏の新宿の街は、どこか凶暴で、手のつけられない匂いがする。
東京の夏はまだ始まったばかりだ。なのに四、五日この狂気じみた空気の中に身を置いていただけで、香苗は早くも自分の心がささくれ立っていくのがわかった。明らかに気が短くなっている。何もかもにすぐさま嫌気がさして、大声をあげて投げ出してしまいたくなる。
茨城の西納の家から電話がはいったのは、ちょうどそんな頃だった。受話器から流れる声を耳にした途端、香苗は身の毛がよだつような思いに見舞われた。できることなら、生涯二度と耳にしたくなかったちずの声。
「お義母さま」自然と声が角張る。「ご無沙汰しております」
「ご無沙汰はよろしいの。お互い、それで一生済ませられればなおのことね。ですけどね、香苗さん、今度のことは放ってはおけないわ。あなたいったいどういうおつもり?」
「今度のこと、とおっしゃいますと?……」
「覚えておいでかしら? あなたは慰謝料も養育費も一銭もいらない、自分は真穂だけが望みだと大見得切って、西納の家を出ていった。それが今頃になって生活に困ったからといって、性質《たち》の悪い男を使って金を要求してくるというのはどういうこと? そんな卑劣な真似をして、あなた人間として恥ずかしくないこと?」
「お言葉ですけどお義母さま、私にはおっしゃっていることの意味がわかりません。私は今も昔も西納のお宅に、一銭だってお金なんか要求した覚えはありませんけど」
ふふんと、含み笑いに似た声が、受話器を通して伝わってきた。間近でちずに息を吹きかけられた気がして、香苗の肌は粟立った。
「それではお訊きしますけど香苗さん、城下とかいうのは、あなたの何? あちらはあなたの代理人のようなことをおっしゃっておいでだったけど」
知らなかった。城下が、O町の西納の家まで訪ねていったのだという。西納も茨城の県議会議員まで務めるO町でも知られた名家なら、少なくとも血の繋がった孫には、それなりのことをしてやるのが筋ではないか──、城下はちずや誠治を相手に、そんなことをまくし立てたらしい。
聞いているうち、熱い血がかっと顔にのぼってくるのが自分でもわかった。屈辱と憤りが腹の中でないまぜになり、香苗の胸を悪くさせ、血をたぎらせる。
「城下さんが何を申し上げたかは存じません。ですけどお義母さま、それは私が頼んだことではありません。城下さんが勝手に──」
「ですけど、あの城下というのは、今香苗さんがおつき合いなさっているお相手なのでしょう? いわばあの男はあなたの言葉を代わりに伝えにきた、そう解釈するより仕方ないじゃありませんか」
「いえ、本当に私はお金をいただこうだなんてまったく……」
「だけど、おつき合いはしている訳よね? あの男、離婚の経緯はもとより、この家の中の細かいことまで承知しているふうでした。それはあなたが寝物語にあることないこと、面白おかしく話して聞かせたからでしょう?」
以前のとおりだった。言葉遣いはどちらかというと丁寧で一応の品を保っていても、ちずの話はねちねちねちねち際限なく続く。こちらに逃げ場がないとなるとなおのこと、とどまるところを知らない。頭痛がし始めた。だんだんと、胃がむかついて気分が悪くなってくる。
「今回のことはお詫びいたします。城下さんにももうおかしな真似はしないようにと、私からもよく話しておきます」香苗は大きくひとつ息をしてから言った。「ただ、これだけはわかってください。今回のことは本当に、私の意とするところではないんです」
信じていいのかしらね、と、粘っこい声でちずが言う。横目でちらっとこちらを見やる、ちずの顔まで目に浮かんでくるようだった。
「今回のことが香苗さんの意思だったかそうでなかったかは別としても、一度は嫁いだ先のことを、他人様《ひとさま》にべらべらと喋りまくるというのは人間としていかがなものかしら。私はね、それをあなたに一番申し上げたいの」
城下には、西納の家のことは具体的には何も話していない。それどころか、O町の名前すら出した覚えがなかった。にもかかわらず城下は、西納の家のことから離婚に至った経緯まで、事細かに承知していたという。ちずが真穂の左利きを嫌って物差しで叩いたということに関しても、それは幼児虐待ではないかと、城下は脅し半分の口調でちずに詰め寄ったらしい。
香苗がそんなことまで話した相手は、時枝のほかにはただ一人しかいない。
 城下を捕まえることができたのは、翌々日の夕刻になってのことだった。なかなか姿を見せない彼を事務所で待ち受けていて問い質《ただ》す。けれども彼は悪びれるでもなく、平気な顔で煙草をふかしながら言った。
「そういきり立つなって。西納の家へ行ったのは、香苗ちゃんのことを思ってなんだから」
「私のことを思ってって、そんなことお願いした覚えはありません。事情だって何もお話ししていなかったはずです」
「香苗ちゃん」城下は、ぷうっと白い煙を口から吐き出した。「相手は金持ちなんだぜ。香苗ちゃんと真穂ちゃんに対して責任もある。そこから金をもらうのは、これ、当然のこと。お金なんていりませんと言って出てくるのは、一見恰好いいようでいてとんでもなく大間抜けで恰好悪い。それじゃ母子の生活だって成り立たないし、この先真穂ちゃんの学資にも事欠くようなことになる」
「そうかもしれません。でも、だからといって社長がO町まで出向いて行くことはないでしょう?」
「俺が行かなかったら誰が行く? 香苗ちゃんはええかっこしいだから、自分からは行かないだろ?」
「──それじゃお訊きしますけど、社長と浩子は、いったいどういうおつき合いなんですか?」
O町にいる時から、浩子には電話で離婚のことも含め、いろいろと相談してきた。西納の家で何があったか、浩子は細かに承知している。思い返せば東京に戻ってきて初めて浩子に再会した時、香苗は彼女に対してある種の驚きを覚えたものだった。浩子は企業に勤めるサラリーマンの妻としては派手だったし、どこか崩れたような匂いを漂わせてもいた。あの時は、それも世間の時流なのだと、香苗は勝手に納得してしまった。互いに歳をとったのだ、とも思った。歳をとればそれを補う化粧も必要になってくるし、身を飾るブランド品だって欲しくなる。だが、少し違っていたらしい。
「離婚の細かな経緯や西納の家のことは、みんな浩子からお聞きになったのでしょう? つまり社長と浩子は男と女として、ごく親密なつき合いをしている、そういうことなんですね?」
「おいおい、あっちは歴とした亭主持ち、人妻だぜ」
「社長がそんなことを気になさるとは思えませんけど」
「彼女は株だの商品取引きだのに関心がある女なんだよ。そんなことから知り合った。大損もすれば大儲けもする、この世界、早い話が博打だな。彼女もいつの間にやらそれなしには生きてる気がしなくなっちまっている。パチンコ、競馬、賭け麻雀……今じゃギャンブルなら何でもこいだ。要は遊び友だち、ギャンブル仲間さ」
「それで二人して、私は金になるかもしれないと考えて、一応手の内に取り込んだという訳ですか。何でも博打ならば、人間関係だって同じですものね」
城下は、別に事務員を必要としていた訳ではない。すべては浩子と相談のうえのこと。香苗は嫁ぎ先の旧家を子連れで飛び出してきた身だ。うまくすればその家から、慰謝料、養育費を多額にふんだくれるかもしれない。そう踏んで香苗を囲い込んだのだ。香苗とからだの関係を持ったのも、金に紐をつけるのが目的だった。寝物語に話し合ったのは、城下と香苗ではなく城下と浩子。城下は、香苗と関係を持ったことまで浩子に話していたにちがいない。二人はそんなことで嫉妬し合うような仲の男女ではない。
「な、香苗ちゃん、俺に任せろよ。金はさ、いくらあったって邪魔になるものじゃない。反対に金がなかったら、三十万円の金がどうしても作れなくて首をくくるような羽目にもなる。恰好つけるのはやめようぜ」
何ヵ月か城下を見ていて香苗にもわかった。この男のしていることは文字通りの綱渡り、いつも泡銭《あぶくぜに》を追いかけて汲々としているだけ。いつの日か三十万円の金が作れなくて首をくくらざるを得ないようなことになるのは、他の誰かではなくて城下本人なのかもしれなかった。
「明日からここへはもう来ません」香苗は言った。「とにかく、西納の家に何かするのは絶対にやめてください。浩子にも、もう連絡しないからと、あなたから伝えておいてください」
「おいおい、そう短気になるなって。ここはつまらないプライドなんか捨てて、真穂ちゃんの将来のことを考えようぜ。そんなふうだから、『溝《どぶ》育ちのお嬢様』なんて言われるんだ」
「溝育ちのお嬢様……浩子がそう言ったんですか」自分でも、こめかみのあたりがひくひくとし、目尻が自然とつり上がっていくのがわかった。
「誰が言ったとか言わないとかじゃなくて──」
「浩子が、そう言ったんですね」
要は、ドブのように濁った臭い水の中、さんざん汚れた水を飲んで育ってきたくせに、きれいごとばかり言っている世間知らずの間抜けだと、浩子も城下もそう言いたい訳だ。怒りが、逆に香苗の頭を冷たくしていた。凍った瞳で、貫くように城下を睨みつける。
「私にも西納の家にも、二度と近づかないで。もし何かしたら、私もただでは済まさない。私は本気です。そうなったら、本当に何をするかわからない。その覚悟だけはしておいてください。女だと思って甘く見ないで」
城下は、しばらく香苗の顔を黙って眺めていたが、果てに声をあげて笑いだした。
「は、なるほど、それが香苗ちゃんの本性か。地が出たな。さすがに昔大久保で鳴らした女の娘だよ」
城下をもうひと睨みした後、香苗は事務所を飛び出した。悔しさに、知らず知らずに涙が滲む。友だちに、こういう裏切られ方をするとは思っていなかった。男に、こういう扱われ方をするとも思っていなかった。カモにされかけた自分が惨めだったし、腹立たしくもあった。
信号待ちの時、ショーウィンドーに映った自分の姿がふと目にはいった。神経が引き絞られたような、険しく鋭い顔つきをしていた。顔は似ていない。しかしその自分の顔つきに、香苗は母の時枝を見た。乳呑み児を抱え、大久保の街で必死に闘ってきた母。さすがに昔大久保で鳴らした女の娘だな──、城下の捨て台詞が思い出された。初めて時枝に似ていると、人から言われたような気持ちがした。香苗は時枝のようには苦労していない。かつての時枝の喘ぎにくらべれば、まだまだかわいいものだろう。けれども当時の時枝の苦渋、屈辱、憤り、葛藤……そんなものを、ぼんやりとだが自分の肌で感じることができたように思った。城下や浩子に対して血が煮え立つような怒りを感じて尻を捲《まく》った時、香苗の中には時枝がいた。これまでろくに感じてこなかった時枝との血の繋がりを、香苗は唐突に意識していた。
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