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ムッソリーニの処刑25

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示:ラケーレとクラレッタ ここでムッソリーニの妻ラケーレと愛人クラレッタ・ペタッチのことに触れておく。ラケーレは夫と同じ中部
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ラケーレとクラレッタ
 
 ここでムッソリーニの妻ラケーレと愛人クラレッタ・ペタッチのことに触れておく。
ラケーレは夫と同じ中部ロマーニャの同郷生れでムッソリーニとは幼な友達でもあった。一九七九年十月、八十九歳で亡くなったが、地味で人前に出ることを好まず、内助に専念した典型的な良妻賢母型の女性であった。その妻の唯一の悩みはムッソリーニの女性遍歴であったと告白している。もっともムッソリーニの方から積極的だったのではなく、女性の方から接近したもので、ラケーレは「女性に好かれないような男では困る」とも晩年語っていた。ただし、「ベニトが本心から愛した女性は私だけだった」と自信を隠してはいなかった。
ムッソリーニの生涯を彩った女性は、妻を除いて四人いる。彼が第一次大戦に出征前、スイス放浪中に知り合ったロシアの女性革命家アンジェリカ・バラバノーヴァ。年上だが教養があり、ムッソリーニは彼女により社会主義研究に磨きをかけられたという。その直後に付き合ったのがオーストリア人イダ・ダルセル。彼女はムッソリーニの子供を生み、それを認知させている。この母子は後に不幸な運命をたどったという。
第一次大戦後、ムッソリーニが社会党機関紙「アヴァンティ!」編集長時代に、同僚記者のマルゲリータ・サルファッティ女史とも親密になり、これは長期間続いた。そしてイタリアに君臨してからのクラレッタ・ペタッチとなる。ラケーレによれば、サルファッティとは中々縁が切れず、てこずったという。そしてもっとも頭を痛めたのが、クラレッタとの関係であった。「統帥のためにならない」と匿名の忠告までラケーレにもたらされたが、ラケーレは終始「まさか本気ではあるまい」とタカをくくっていたそうである。
 このクラレッタの正式の名は、クララ・ペタッチ。ローマ法王庁侍医フランチェスコ・ペタッチの長女である。一九一二年二月二十八日生れで、クラレッタの愛称で育った。少女時代から統帥に憧れ、ムッソリーニが一九二六年四月に狙撃事件に遭った時には、官邸に手紙を書き、「御無事で何よりでした。でも私の生命(いのち)は統帥のためにあります」と将来を暗示するような気持を伝えた。クラレッタ十四歳の時である。
一九三二年四月二十四日、それは運命的な出会いの日となった。クラレッタは初めてムッソリーニと言葉を交すのである。その日曜日、ペタッチ一家はオスティア海岸にドライヴした。ヴァチカン・ナンバーの車にはクラレッタの許婚で空軍少尉のリッカルド・フェデリチも同乗していた。その車を真赤なアルファ・ロメオのオープンカーが追い抜いて行った。
「アッ、ドゥチェだ!」と、クラレッタが叫んだ。真紅の車にはまさしくムッソリーニが乗っていたのである。クラレッタは運転手に「あの車に追い付いて!」と頼んだ。間もなく追い付くと並んで走った。ペタッチ家の一同は「統帥万歳!」と幾度も叫んだ。ムッソリーニは車を止めた。クラレッタの車も停車し、クラレッタは統帥に走り寄った。二十歳の時である。
「君の名前は?」
「はい、クラレッタ・ペタッチ」
クラレッタは昔、手紙を出したことも話したらしい。
その時はこれだけで終ったが、数日後ムッソリーニからクラレッタに「ヴェネツィア宮においで下さい」との電話が入った。彼女は妹と一緒に官邸に行った。天にも昇る気持だった。こうしてやがて、クラレッタは首相官邸の裏口からムッソリーニの執務室に自由に出入りするようになる。
クラレッタは両親の勧めで、一九三四年六月二十七日、許婚のフェデリチと結婚式を挙げるが、彼女の心はすでに統帥一筋になっていた。クラレッタは間もなく、「性格不一致」を理由に離婚手続きをとり、教会からも認められた。同時にフェデリチは、ローマからもっとも遠い東京のイタリア大使官付武官の辞令を受け、第二次大戦前夜まで東京で過すことになる。戦後はローマ空港長、NATOなどに勤務する。
ムッソリーニは官邸内の執務室に隣接して、休息用の部屋を作った。長椅子などの家具も置かれた。そしてクラレッタは日夜そこに姿を見せることになる。この二人のロマンスは、ローマの社交界で知らぬ者はなかった。
一九四三年七月、ムッソリーニが逮捕されると、この二人の仲が微に入り細にわたり新聞に書き立てられ、ラケーレは初めて知ってショックを受けた。まさかそこまで深い関係にあるとは思わなかったからである。新聞の中にはクラレッタを「官邸の妻」と呼び、ラケーレを「私邸の妻」と書いたものもあった。
そしてイタリアが休戦すると、バドリオ政権により二人とも別々に刑務所に入れられ、その年の秋にドイツ軍に救出されると、それぞれムッソリーニのいるガルダ湖畔に移されることになる。
 それは四四年夏の終りの頃であった。クラレッタがこのガルダ湖畔に暮していることをラケーレは知ったのである。恐らくラケーレの取巻きが知らせたのであろう。
毎日新聞支局のフィオリダリソ荘の庭で遊んでいた小野の長女紀美子はそんなある日、近くからのカン高い女性の怒声を聞いた。隣家の方からである。見ると藤棚のテラスに中年の小肥りの女性がいて、小野邸の方を向き、両手を振り上げ、体いっぱいで叫んでいるのであった。紀美子は遊んでいたクラレッタの弟の子供達と共に、邸の中に逃げ込んだ。だが声は邸内にまで響いていた。
クラレッタが蒼白な顔で四階から降りて来た。小野に何か頼み込んでいた。小野は苦笑しながら庭に出ると、藤棚の女性と言葉を交した。やがてその女性は立ち去った。紀美子は父に尋ねた。
「あの人、誰?」
「ラケーレだ」
「ラケーレって? 何を言ってたの?」
小野は何も答えなかった。
 そんなことがあってから間もなくの秋十月、ラケーレとクラレッタの、女同士のいまにもつかみ合いにならんばかりのいさかいが、小野邸の一階広間でくり広げられたのである。
ラケーレは内務次官ブッファリーニ=グイディを伴って、直接フィオリダリソ荘にやって来た。内務次官はむしろなだめるためについて来たのであった。フィオリダリソ荘の門が閉じられていたため、ラケーレはそれをよじ登った。内務次官はラケーレのスカートを引っぱって、中に入るのを懸命に防ごうとした。
クラレッタのボディガード、親衛隊将校フランツ・シュペーグラーは驚き、電話でムッソリーニにこれを伝えた。ムッソリーニは困惑し切った風情だったが、ラケーレがこちらに向ったことは知っていて「二人が会うのは仕方がない。だが騒がしくなったら引き離してくれ」と依頼した。妻と愛人はこの日初めて顔を合わせた。その時の情況は次のようであった(注1)。
クラレッタはゆっくりと階段を降りて来た。一階の広間に入っていたラケーレはそれをキッと見ていた。二人とももちろん無愛想だった。ラケーレがまず口を開いた。
「貴女、いったい何なの? 奥さん? それともお嬢さん? 私はちゃんと結婚してるのよっ!」
するとクラレッタがきっぱり答えた。
「では奥様、さようなら」
愛人の方は妻を無視している様子だった。ラケーレも負けてはいなかった。
「ひと言、言っておきたいの。ここから去って行ってちょうだいッ。貴女など必要ないの。私の夫を静かにしておいて!」
クラレッタ「私に命令するおつもりですの? そんなのまったく間違いだわ」
ラケーレ「言葉をつつしみなさい。え、何が間違いなのよ。私の夫が貴女に夢中になっているとでも思っているの? どこの誰か知らないけど、ベダッチ、ピダッチ、それともペタッチ? 昨日、夫は私にはっきり言ったわよ、本当に愛しているのは妻だけだって」
クラレッタは大急ぎでその場を去ると、手紙の束を抱えて来た。
「奥様、私に何の権利もないし、私に落度があることは分っていますわ。でも私、ドゥチェが好きなの。昨日きょうからじゃないの。必要なら出て行くわ、彼のために犠牲になってもいいの。でもそうしていいのか、彼に確かめて」
ラ「確かめる必要なんてないわ。手紙など見たくもない!」
ク「確かにドゥチェはいつも、貴女に最大限の敬意を払っていますわ、お子様達の母親として」
ラ「何でここで、母親だとか子供達を持ち出すのよっ」
クラレッタは悲しそうだった。涙で目がうるんでいた。
ラ「さあ、一緒に行きましょうよ、彼のところへ」
ク「どうして静かに話し合わないんですか?」
ラ「静かにだって? 何よっ。絹の着物など着て! 私のような質素なものを着なさいよっ」
ラケーレはクラレッタに近寄り、腕をつかもうとした。
傍に立っていたブッファリーニとシュペーグラーが、ここで間に入ったが、ラケーレは続けた。
「彼を本当に愛しているのなら、身を引くべきだわ! そうしなければロクなことはないよ」
この時、ムッソリーニから電話が入り、最初にクラレッタと話したあとラケーレに家に帰るよう命じた。シュペーグラーにも「まったく困ったことだ。ともかく、すぐ引き離してくれ」と頼み込んだ。そこでやっとおさまった。
 この一件には、ムッソリーニも相当参ったようだ。十年近くもムッソリーニとクラレッタの仲はローマ社交界で公然と語られたロマンスだったが、家庭に閉じ籠って内助に明け暮れていたラケーレだけが、「知らぬは女房ばかりなり」だったのである。それにしても夫の愛人が、夫を追ってここまで来ている事実は、ラケーレには大きなショックであった。
その晩、ムッソリーニは小さな声でラケーレに謝ったという。この一件は彼をかなり打ちのめしたとみられ、そのことを忘れるためにも、目を外に向ける必要に迫られた。彼はそこでまったく久しぶりにミラノに出向き、リリコ劇場で大演説をぶつことにした。それは十二月十六日に実現した。
満員の聴衆、それに二階の貴賓席のドイツ軍高官らに向って、彼は久しぶりに得意の演説をぶった。
「……われわれの勝利の確信は絶対である。ドイツも戦っている。ドイツは近く究極の兵器を完成させるだろう。日本は敵を引きつけて撃破している。ファシストの理想は破壊されることはない。爪と歯をもっても、このポー平野を最後まで守り抜こう。すべてはミラノの諸君の手にかかっている」
この演説はドイツに対し、またミラノ市民に対して自分の存在を誇示する狙いもあった。何年かぶりに統帥の姿を見た民衆は、「ドゥチェ、ドゥチェ」と歓呼の声を上げたが、その統帥の憔悴とカラ元気を見抜いた市民も少くなかった。その一年間、ミラノは空爆で大半が破壊され、北イタリアだけで六万人もの市民が死傷していた。市民達は戦争に倦んでいた。
年が明けると、ミラノ演説もどこへやらムッソリーニはまたもや無気力に陥っていた。前年七月にヒットラーとの会談で聞かされた「究極の兵器(原子爆弾)」完成に一縷(いちる)の望みを托し、それまで何とか身の安全をはかることだけを考えてきた。反ナチ・ファシズム勢力が大きなうねりとなって、ミラノ市内にまでパルティザンが横行しているのとはまったく対照的であった。
事実、ラケーレはこのミラノ演説の際に夫がテロに遭うのではないかと心配していたくらいである。ムッソリーニにとってすでに身辺に危機が近づいていたのであった。
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