ヴァレリオ、実は“端役”?
戦争終結直後、「ムッソリーニを処刑したのは俺だ」、「殺(や)ったのはあいつだ」など、名乗りをあげたり、名指しされたりした者は十指にも及んだ。特に処刑直後と戦争終結の四五年五、六月の混乱期には、「報道の自由」の復活も手伝って、マスコミ最大の話題となった。
当初、「処刑したのはパルティザンのヴァレリオ大佐だ」とは、ロレート広場にムッソリーニらの遺体を逆さ吊りした時点で、イタリア内外に知れ渡っていた。あの日、見物のミラノ市民や連合軍従軍記者達にパルティザンが吹聴したからである。しかし当のヴァレリオは沈黙を続け、二年後の一九四七年にイタリア共産党機関紙「ウニタ」が「ヴァレリオ大佐はわが党のヴァルテル・アウディシオである」と公表して、初めて素性が公にされた。しかも当人の著書が出版されたのは、七五年になってからであることは既述の通りである。
ところがその著『イタリア国民の名において』が出版されてからというもの、年を経るごとに異論、反論も現われて、さまざまの謎や疑惑を生むに到った。研究や究明が進むにつれ辻褄の合わぬ点や疑問が投げかけられたためである。特に研究者の一人で作家のロベルト・ジェルヴァーゾなど、幾人もの専門家が次のような疑問を呈示している。
一、ヴァレリオは著書のほかにもいくつか手記を書いているが、処刑に同行した人物がそのたびごとに合致しない。どれが本当か。
一、ヴァレリオ処刑説が定着する前、ドンゴやコモではピエトロ(モレッティ)が真の処刑人で、ヴァレリオは「とどめの一発」を射ったに過ぎないと語られていた。それも複数の人々がそのように語っていた。
一、ヴァレリオはクラレッタをCAL7・65L.MAS拳銃で射殺したと告白しているが、ミラノ大学法医学研究所カイオ・カッターベニ教授の検屍結果では、カリバー九ミリ弾二発が体内から摘出されたのはなぜか。
一、ヴァレリオつまりアウディシオの友人で元トリエステ大学教授から上院議員になった同僚は、「君までがわしが処刑したと本気で信じ込んでいるのかね」と真顔で言われた。これは何を意味するのか。
一、ムッソリーニが最後の一夜を過した農家の主婦は、ジャーナリストのフランコ・バンディーニに「あの連中(注・ヴァレリオたち)は、“別の人達”が殺(や)ったことを知っているはず」と打ち明けた。“別の人達”とはいったい、誰なのか。
一、あの処刑の日、のちに共産党書記長となったロンゴがドンゴにいたのを目撃した人物がいる。実際の処刑人はこのロンゴで、ヴァレリオはその“罪”をかぶっているに過ぎないのではないか。
一、処刑の日の早朝、ムッソリーニとクラレッタを農家に連れていったパルティザン、ネーリとジャンナの二人がそれから間もなく共に消されたのはなぜか。ネーリは五月七日にスパイ容疑(一説にはイギリス情報機関と密接な関係ありとされる)で同僚から処刑。またジャンナは六月二十三日、コモ湖の底から死体で発見された。二人の葬儀は地区共産党主催で行われた。ネーリ処刑はロンゴが決定したとの説もある。
これらは現在も語られ、解けぬ謎となっているいくつかの疑問の主なものである。
当初、「処刑したのはパルティザンのヴァレリオ大佐だ」とは、ロレート広場にムッソリーニらの遺体を逆さ吊りした時点で、イタリア内外に知れ渡っていた。あの日、見物のミラノ市民や連合軍従軍記者達にパルティザンが吹聴したからである。しかし当のヴァレリオは沈黙を続け、二年後の一九四七年にイタリア共産党機関紙「ウニタ」が「ヴァレリオ大佐はわが党のヴァルテル・アウディシオである」と公表して、初めて素性が公にされた。しかも当人の著書が出版されたのは、七五年になってからであることは既述の通りである。
ところがその著『イタリア国民の名において』が出版されてからというもの、年を経るごとに異論、反論も現われて、さまざまの謎や疑惑を生むに到った。研究や究明が進むにつれ辻褄の合わぬ点や疑問が投げかけられたためである。特に研究者の一人で作家のロベルト・ジェルヴァーゾなど、幾人もの専門家が次のような疑問を呈示している。
一、ヴァレリオは著書のほかにもいくつか手記を書いているが、処刑に同行した人物がそのたびごとに合致しない。どれが本当か。
一、ヴァレリオ処刑説が定着する前、ドンゴやコモではピエトロ(モレッティ)が真の処刑人で、ヴァレリオは「とどめの一発」を射ったに過ぎないと語られていた。それも複数の人々がそのように語っていた。
一、ヴァレリオはクラレッタをCAL7・65L.MAS拳銃で射殺したと告白しているが、ミラノ大学法医学研究所カイオ・カッターベニ教授の検屍結果では、カリバー九ミリ弾二発が体内から摘出されたのはなぜか。
一、ヴァレリオつまりアウディシオの友人で元トリエステ大学教授から上院議員になった同僚は、「君までがわしが処刑したと本気で信じ込んでいるのかね」と真顔で言われた。これは何を意味するのか。
一、ムッソリーニが最後の一夜を過した農家の主婦は、ジャーナリストのフランコ・バンディーニに「あの連中(注・ヴァレリオたち)は、“別の人達”が殺(や)ったことを知っているはず」と打ち明けた。“別の人達”とはいったい、誰なのか。
一、あの処刑の日、のちに共産党書記長となったロンゴがドンゴにいたのを目撃した人物がいる。実際の処刑人はこのロンゴで、ヴァレリオはその“罪”をかぶっているに過ぎないのではないか。
一、処刑の日の早朝、ムッソリーニとクラレッタを農家に連れていったパルティザン、ネーリとジャンナの二人がそれから間もなく共に消されたのはなぜか。ネーリは五月七日にスパイ容疑(一説にはイギリス情報機関と密接な関係ありとされる)で同僚から処刑。またジャンナは六月二十三日、コモ湖の底から死体で発見された。二人の葬儀は地区共産党主催で行われた。ネーリ処刑はロンゴが決定したとの説もある。
これらは現在も語られ、解けぬ謎となっているいくつかの疑問の主なものである。
解明に重要な手掛りを持つのは五人と言われてきた。ヴァレリオ、ペドロ、ビル、ピエトロ、それにロンゴである。うちヴァレリオは七三年に、ロンゴは共産党書記長をエンリコ・ベルリングェルに譲った後、八〇年に、またペドロことピエール・ベッリーニ・デッレ・ステッレは八四年にそれぞれ病死している。ビルとピエトロの二人だけが八十歳を超えてコモ湖近辺に健在である(九一年秋現在)。
このうちビルことウルバーノ・ラッザーロは近年執拗に、ムッソリーニとクラレッタの真の処刑人はロンゴだとの主張を繰り返し、ヴァレリオはロンゴの“汚れた手”を自分がひっかぶる見返りとして共産党から国会議員にさせてもらったのが“真相”だとさえ述べ、その著書さえ出版している。前出のジャーナリスト、バンディーニも長年の丹念な研究成果から「ロンゴ処刑人説」を採っている。
ビルのほかのもう一人の生き証人ピエトロことミケーレ・モレッティは、七四年四月ついで九一年四月「私はヴァレリオの銃が作動しなかったため、自分の銃を貸しただけ」と公けに語っている。実はこのピエトロが“真の下手人”だと主張する元パルティザンもいぜん絶えないからである。
このうちビルことウルバーノ・ラッザーロは近年執拗に、ムッソリーニとクラレッタの真の処刑人はロンゴだとの主張を繰り返し、ヴァレリオはロンゴの“汚れた手”を自分がひっかぶる見返りとして共産党から国会議員にさせてもらったのが“真相”だとさえ述べ、その著書さえ出版している。前出のジャーナリスト、バンディーニも長年の丹念な研究成果から「ロンゴ処刑人説」を採っている。
ビルのほかのもう一人の生き証人ピエトロことミケーレ・モレッティは、七四年四月ついで九一年四月「私はヴァレリオの銃が作動しなかったため、自分の銃を貸しただけ」と公けに語っている。実はこのピエトロが“真の下手人”だと主張する元パルティザンもいぜん絶えないからである。
本項の冒頭に挙げたような謎や疑惑を複合推理して行くと、「ロンゴ説」も「ピエトロ説」もなにか根拠があるように思え、ヴァレリオ説は急速に影が薄くなってしまうのである。そればかりか、ムッソリーニ処刑の蔭には、大きな陰謀が隠されているようにも思えてくる。
このような謎と疑惑はもう解けることがないのであろうか。次にヴァレリオ説以外の“真相”を紹介する。それらに共通するのはヴァレリオは“とどめの一発”を与えたに過ぎない脇役だったということである。
このような謎と疑惑はもう解けることがないのであろうか。次にヴァレリオ説以外の“真相”を紹介する。それらに共通するのはヴァレリオは“とどめの一発”を与えたに過ぎない脇役だったということである。