あの日、あの時、ムッソリーニとクラレッタに銃弾を浴びせた当事者は限られている。そのいずれもが、「処刑者はアイツだ」と食い違った発言をしている。皆、一つの事実を見守っていたのに……である。皆が事実に反したことを主張しているに違いない。しかしそれぞれの証言はもっともらしく、かつある程度の根拠もある。いちがいに否定し去ることもできない何かがある。
四月末のコモ湖畔は、見事なくらい美しい。その美しさに眩惑されたわけではあるまいが、三者三様の「真実」が語られているのである。それにしても、本当の処刑人はいったい誰だったのだろうか?
当初は何ら問題なく、「ヴァレリオ説」がまかり通り、それが定着して揺がぬ定説となってしまっていた。このためヴァレリオ自身、戦後しばらくファシスト残党に付け狙われる身となった。住所を四回も転々とせざるを得なかったほどである。
ところが歳月を経るにつれて、ヴァレリオの自著には謎、疑問、矛盾が既述のように指摘され、そのうちに「ピエトロ説」やついには「ロンゴ説」まで、かなりの信憑性を伴って登場したのである。そのどれもが真実だとすれば、どれもが真実ではなくなるという自家撞着の状態に陥ってしまっているのが現状である。
あの時からすでに半世紀を経てしまっている。ムッソリーニ処刑事件は、大きなブラックホールの中に埋没してしまった感がある。イタリアに限らず、世界史の出来事の中には謎を秘めたまま全容の定かではない事例が決して稀ではない。そのまま永遠の謎となってしまうものもあれば、ある時ふと真相が明るみに出されるものもある。ムッソリーニ処刑のケースは、いったいそのいずれなのであろうか。
イタリアの研究者の中には依然、完全に立証はできぬものの「ヴァレリオ説」を採る者が圧倒的である。しかしその人達でさえ「ピエトロ説」「ロンゴ説」の可能性を否定し切れないとしている。ローマにある「イタリア・リソルジメント・レジステンツァ史研究所」(所長はジャーナリストのエンツォ・フォルセラ)は毎年、内外の研究者による三日間の研究会などを行っているが、近年は「袋小路」状態に陥り、著しい成果はあがっていないようである。
最近では「真の処刑者」が特定できなくなったことは「歴史的陰謀」ではなかろうかとする者もいたし、また「イタリア人がやったことだけは間違いなければ、それでいいのではないか」というような発言すら出る始末である。
一九七八年の左翼過激派「赤い旅団」によるモーロ元首相誘拐暗殺事件でさえ、犯行集団が一網打尽になっても、まだその全容や肝心な点は解明されず、謎が残る有様である。「真実は一つ」ではなく「真実は作られる」のだろうか。
イタリア人は昔から「謎解き」を楽しむより「迷路をさまよう」のを楽しむように思えてならない。
四月末のコモ湖畔は、見事なくらい美しい。その美しさに眩惑されたわけではあるまいが、三者三様の「真実」が語られているのである。それにしても、本当の処刑人はいったい誰だったのだろうか?
当初は何ら問題なく、「ヴァレリオ説」がまかり通り、それが定着して揺がぬ定説となってしまっていた。このためヴァレリオ自身、戦後しばらくファシスト残党に付け狙われる身となった。住所を四回も転々とせざるを得なかったほどである。
ところが歳月を経るにつれて、ヴァレリオの自著には謎、疑問、矛盾が既述のように指摘され、そのうちに「ピエトロ説」やついには「ロンゴ説」まで、かなりの信憑性を伴って登場したのである。そのどれもが真実だとすれば、どれもが真実ではなくなるという自家撞着の状態に陥ってしまっているのが現状である。
あの時からすでに半世紀を経てしまっている。ムッソリーニ処刑事件は、大きなブラックホールの中に埋没してしまった感がある。イタリアに限らず、世界史の出来事の中には謎を秘めたまま全容の定かではない事例が決して稀ではない。そのまま永遠の謎となってしまうものもあれば、ある時ふと真相が明るみに出されるものもある。ムッソリーニ処刑のケースは、いったいそのいずれなのであろうか。
イタリアの研究者の中には依然、完全に立証はできぬものの「ヴァレリオ説」を採る者が圧倒的である。しかしその人達でさえ「ピエトロ説」「ロンゴ説」の可能性を否定し切れないとしている。ローマにある「イタリア・リソルジメント・レジステンツァ史研究所」(所長はジャーナリストのエンツォ・フォルセラ)は毎年、内外の研究者による三日間の研究会などを行っているが、近年は「袋小路」状態に陥り、著しい成果はあがっていないようである。
最近では「真の処刑者」が特定できなくなったことは「歴史的陰謀」ではなかろうかとする者もいたし、また「イタリア人がやったことだけは間違いなければ、それでいいのではないか」というような発言すら出る始末である。
一九七八年の左翼過激派「赤い旅団」によるモーロ元首相誘拐暗殺事件でさえ、犯行集団が一網打尽になっても、まだその全容や肝心な点は解明されず、謎が残る有様である。「真実は一つ」ではなく「真実は作られる」のだろうか。
イタリア人は昔から「謎解き」を楽しむより「迷路をさまよう」のを楽しむように思えてならない。