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暗鬼13

时间: 2019-11-23    进入日语论坛
核心提示:     13 その日の朝食の時に小さな変化が起きた。一家九人が、全員食卓を囲んだのだ。松造とヱイは、それぞれ和人と武雄に
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     13
 その日の朝食の時に小さな変化が起きた。一家九人が、全員食卓を囲んだのだ。松造とヱイは、それぞれ和人と武雄におぶられて食堂に現れた。法子の発言が招いたことは確かだった。
「たまにはね、一家で揃《そろ》うのもいいものよね」
公恵の口調にも、これまでには感じられない刺《とげ》がある。愛くるしく、くるくると動いていた目も、今は五十代に差し掛かった女の、開き直ったような落ち着きに満ちていた。
「元々、これが正しい形なんだものね。うちは、八人家族なんだから」
綾乃の言葉を、ふみ江が「九人」と鋭くたしなめた。彼らは意識的に法子を追い詰めようとしている。家族の数を間違える者などいるはずがないのだ。
そして、奇妙に静かな朝食が始まった。法子は志藤家の全員に責め苛《さいな》まれている気がしてならなかった。ほら、動けないだろう、話せないだろうと、法子に見せつける為の大芝居なのだ。
「やっぱり、皆で食べる方がおいしいよね」
和人一人、にこにこと笑っている。法子は、まるで針のむしろだと思いながら、強《こわ》ばった表情を崩すことが出来なかった。
「おじいちゃん、何から食べますか」
右半身が不随だという松造は、弱々しい左手を食卓に向けて、味噌汁《みそしる》を指す。ふみ江は、「はいはい」と言いながら、自分の食事などそっちのけで松造の世話をしていた。
「おいしい?」
ああ、うう、松造の口から洩《も》れる声は、それだけだ。ヱイはヱイで、久しぶりに母屋に来たなどと言っている。
「流れる空気が違う。離れには、仏様の匂《にお》いがするけど、母屋は人間臭いね」
「そりゃあ、大ばばちゃん、離れに仏間があるからだよ。お線香の匂いでしょう」
そこで家族は穏やかに笑った。だが、笑いながら、彼らは確かに奇妙な視線の交わし合いをしているのだ。この馬鹿げた芝居には、法子を騙《だま》す以上の、何かの意味があるのに違いなかった。
──騙されるものか。話せない真似《まね》、歩けない真似なんか、誰にだって出来る。
いつもと変わらずに大声を上げて、好き勝手に食事をしているのは、健晴一人だった。法子は、彼の頬《ほお》についている飯粒を取ってやり、それを自分の口元に運んでいる綾乃をちらりと見、政治の話をしている和人と武雄、ふみ江と松造、漬物《つけもの》の話をしているらしいヱイと公恵、彼らの全員をくまなく見渡した。穏やかな騒《ざわ》めき、見事に一つの色合いにまとまっている家族。彼らほど、よくまとまっている家族ならば、力を合わせて人を殺すくらい、実に簡単だろう。
法子は、全員を前にして罵詈雑言《ばりぞうごん》を浴びせかけたい衝動を感じると同時に、この家に来て初めて、切実な孤独感に包まれていた。
「あまり、食べない子だね」
ヱイが、ゆっくりと箸《はし》を動かしながら静かな視線を向けてきた。老人性の白内障にかかっているらしいヱイの目は、無数の皺《しわ》に囲まれて、小さくしょぼしょぼとしている。法子は、その目に見据えられ、同時に家族全員の視線が自分に集中したことを感じた。
「夏バテ? 食べないと、ほら」
ヱイは、骨と皮ばかりの手に持った箸をわずかに振った。法子は曖昧《あいまい》な返事をしただけで、ペースを崩すことは出来なかった。
「法子はね、これから赤ちゃんを産んで、育てていかなきゃならないんだから」
背筋をぞくぞくとする感覚がかけ上がった。ちらりと顔を上げると、和人が嬉《うれ》しそうな顔で笑っている。その笑顔は、ひどく遠い、実体のないものに見えた。彼の子どもを産むことには、いささかの迷いも感じたことはない。それなのに、この家族の一員を増やすのだと思うと、全身に嫌悪感が広がっていく。
「最初は男の子がいいねえ。たまのような男の赤ちゃんが」
小さな小さなヱイは、家族の中で一際小さく、一人で納得したように頷いている。健晴が「赤ちゃん? ねえ、赤ちゃん?」と素《す》っ頓狂《とんきよう》な声を出した。
「兆しはないの」
「ええ──まだ」
人前でこんな話はしたくなかった。こんな人々の血を引く子どもなど、欲しくはないという気がした。半分恨めしい気持ちで和人を盗み見れば、彼は「まだ早いよ」としか言わない。
「どれ、お茶を煎《せん》じてあげようかね」
ヱイは目をしょぼしょぼとさせながら言った。家族が一瞬黙りこんだ。
「血の道によく効くお茶があるから。煎じてあげよう」
俯《うつむ》きながら、法子は、家族全員の視線が自分の上に集まっているのを痛い程感じていた。
「──キチガイナスビですか」
思いきって顔を上げると、法子は家族を見回しながら言った。和人を始めとして、誰もが無表情で法子を見ている。一秒が一分にも感じられる程の沈黙が続いた。
「あれは、合わない」
一言、答えたのはヱイだった。法子は、ヱイの皺に囲まれた顔をまじまじと見つめ、それから慌てて俯いてしまった。誰もが口を開かない。重苦しい沈黙だけが続いた。
「じき、分かるから」
続けてヱイの声がした。
「そう、急ぐものじゃあ、ない。長い歴史を知るにはね、長い時間が必要なものだからね。法子は、少し急ぎすぎてる」
握りしめた箸の先が細かく震えていた。法子は、ヱイの分かったか分からないような言葉を聞き、また鳥肌を立てていた。
「血がつながらない者が一緒に暮らすんだもの、大変に決まってるわ」
ふみ江が静かな口調で呟《つぶや》いた。それを合図のように、再び微《かす》かな食器の音が立ち始める。
「一言で説明できる家なんて、世の中にはないよ」
またヱイが言った。法子は、もしかするとこの家の中でもっとも憎まなければならないかも知れない、すべてを指図しているこの家の長老を見て、思わず天を仰ぎたい気持ちになった。とても、こんな小さな人を憎むことなど、出来そうにないと思う。憎みたいはずがない。だが、全ての指示は間違いなくヱイから出ているのだ。
「まだ、何か言いたい顔をしているよ、この子は。でもね、時が来たら、自然に分かる。法子は、家の宝なんだから、皆が大切にしているからこそ、時間がかかるんだよ」
安心して良いはずはなかった。それなのに、法子はヱイを見つめているうちに、奇妙に心が和らいでいくのを感じないわけにいかなかった。それに、他の家族までもがヱイに惹《ひ》き寄せられるかのように彼女を見つめ、食卓は、いつもとは異なる厳粛な雰囲気に満ち始めているのだ。
──すごい人なのかも知れない。ただ、百歳に近いっていうだけじゃないのかも知れない。
「──大ばばちゃん」
法子は、まるで救いでも求めるようにヱイを見た。ヱイは、しょぼしょぼとした目を法子に向けるでもなく、ただ小さく「うん」と言った。
「私、大ばばちゃんが歩いてるところ、見たんです。今朝」
「法子が見たと思うんなら、見たんだ」
「──はい」
それは、何とも奇妙なものだった。そんなことは大した問題ではないのだと、そういう気にさせられていた。自分が見たと思うのならば、それで良い。確かに、それはヱイの言葉の通りに違いないと思われた。
やがて、デザートを食べて、ふだんよりも幾分甘く感じられる麦茶を飲む頃には、法子の気持ちはすっかり落ち着いていた。
法子は花壇を横目で見ながら洗濯をし、二階の部屋に掃除機をかけた。その間も、最近には珍しく晴れ晴れとした気分で過ごすことが出来て、法子はくよくよと考えごとをしていた日々のことさえ忘れかけていた。そして、昼食の前に買い物にいくことになった時にも、不思議なくらいに普通の口調で「私が行きます」と言うことが出来た。公恵はにこにこと笑い、買い物のメモと財布を渡してくれた。
町は夏の盛りを迎え、昼前だというのに制服姿の子どもたちが見受けられた。法子は蝉の声を聞きながら、夏の陽射しの中を、淡いピンクの日傘をさして、のんびりと歩いた。スーパーでは、最近、顔見知りになった数人の主婦と会い、簡単な世間話もした。
「先日はたいへんでしたね」
レジで会計を済ませ、買ったものを袋に押し込んでいると、隣にまた顔見知りの主婦が立った。法子は、確か岡田といった同年代くらいの主婦を見て、簡単に微笑《ほほえ》んで見せた。
「ねえ、お宅、どなたかご病気でも? 勿論《もちろん》ね、おじいちゃまが寝たきりなのは知ってるんですけれど。ああ、ひいおばあちゃんでも?」
岡田はタオル地のハンカチで額を拭《ぬぐ》いながら、いかにも好奇心の強そうな細い目をちらりと法子に向けてくる。法子は、ただ「いいえ」と答えただけだった。
「あら、そうなんですか。どなたかのお具合が悪いから、お葬式にも出られなかったのかなと思ったの」
彼女の言葉が、法子の癇《かん》に障った。せっかく忘れようと努めていたことを思い出させようとしているような、嫌な感じがした。
「どうして?」
「だって──」
岡田は小狡《こずる》そうな目をますます細めて、曖昧《あいまい》な笑みを浮かべた。
「お宅、いつもそうしていらっしゃるから。ご近所の不幸の時には、必ず奥様やおばあさんもみえて。それに、氷屋さんも、よく話してたみたいでしょう? 『うちにもしものことがあった時には、イチフジさんが全部面倒を見てくれるはずだから』って」
法子は、にやにやと笑っている岡田の顔を少しの間見つめ、それからさっさと会釈《えしやく》をして店を出てしまった。心臓が高鳴っていた。暑さから来るもの以上の汗が頭のてっぺんから吹き出していた。
──そうよ、何を忘れてたの。氷屋のことを考えなきゃ。
黒々とした影が、アスファルトの道路に落ちている道を、法子はとぼとぼと歩いた。朝食の時に、ほんの少しヱイと話しただけで、すっかり調子を狂わされていたと気づいた。蝉《せみ》が一匹、どこかの木の陰で鳴き始める。それにつられて、もう一匹の声も聞こえてきた。
──騙《だま》されるところだった。あの雰囲気に丸め込まれるところだったわ。
そう考えると、ますますヱイが不気味に思えてくる。法子は、さっきまでの軽やかな気分から、まっ逆さまにつき落とされた感覚で、のろのろと志藤の家に戻った。背の高い木々に囲まれている家は、改めて外から眺めると、見るからに重苦しい秘密と、嫌な歴史に包まれているような気がした。
「誤解は解けたね?」
夜、帰宅した和人は二人きりになると、まずそう言った。法子は、曖昧に頷いただけで、笑顔を見せることは出来なかった。
「何か──まだ、言いたいことがあるのかい」
和人は心配そうな顔で法子を見つめてくる。
「家族のことは、時間をかけなければ分からないって言われたでしょう? だから──急がないことにしたわ」
法子は、それだけ言ってしまうと、一人で寝床に横になった。彼に嘘《うそ》をつくのは心苦しいことだと思う。けれど、最初に法子を騙したのは、和人達の方なのだ。だから、自分も決して本心を出すまいと、法子は自分に誓っていた。和人は安心した顔で「そうか」と呟くと、その日は法子に触れることもせず、静かに眠りについた様子だった。
だが、それから数日の間に、和人は二度程、深夜に起き出した。法子は常に神経を張り巡らしており、彼が少しでも動けば、すぐに自分も目覚めた。そして、必ず自分も後から寝床を抜け出し、様子を探りにいった。
「あの子は──」
「大丈夫、寝てるよ」
会合は、常に離れのヱイの部屋だった。寝室に使っている部屋の隣の仏間が会合の場所として決められているらしい。けれど、彼らの話し声は以前よりもずっと低く、押し殺されていて、渡り廊下の途中の闇《やみ》にひそむ法子までは聞こえては来なかった。
──何の相談なの。
法子は常に苛立《いらだ》ちながら、結局、為《な》す術《すべ》もなく、一人で部屋に戻るしかなかった。
この分では、氷屋の一件は完全犯罪として終わってしまう。法子はせめて、庭で栽培しているものがどこにしまわれているのか、どういう保存をされているのか、それだけでも探りたいと思った。だが、広い家に一人になることは皆無と言ってよく、法子に自由に動き回らせる機会は、まるで巡ってはこなかった。
──残るは健晴だわ。あの子から聞き出すしかない。
チョウセンアサガオのことも、健晴からもう少し何か聞き出せるかも知れない。知能の遅れている義弟だけが、今や、法子に本当のことを言ってくれる唯一《ゆいいつ》の頼みの綱かも知れなかった。だが、彼には常に綾乃が付き添っており、滅多に彼を一人にするということがない。法子は辛抱強く、そして注意深く健晴と綾乃を観察し、彼らが共に行動しない機会を狙《ねら》うことにした。
「お義母《かあ》さん」
ある日、洗濯ものを畳みながら、法子は公恵に話しかけた。隣の部屋からは、相変わらず綾乃と健晴の忍び笑いが聞こえている時だった。
「たぁくんのことですけれど」
慣れた手つきで、せっせと洗濯ものを畳んでいた公恵は、最近では法子への警戒もだいぶ解いたと見えて、普段の笑みを浮かべたまま「なあに」と言う。
「綾乃ちゃんと、くっつきすぎていません?」
法子が言うと、公恵は半ば怪訝《けげん》そうな顔になり、法子の言葉の意味が分からないという表情になった。
「仲がいいのはよく分かりますし、綾乃ちゃんがよく面倒を見てるのは、本当に感心するんですけど」
相変わらずのくすくす笑い。「駄目よ、もう」という綾乃の声は、淫《みだ》ら以外のなにものでもない。法子は「ほら」というように軽く顎《あご》をしゃくり、まじまじと公恵を見た。
「本人には、性欲という意識がないのかも知れませんけど──身体は大人の男になっていくんですし、あのままだと危険だと思います」
ところが、公恵は「そうお?」と言っただけだった。法子は、頭にかっと血が昇るのを感じた。綾乃だって、そういつまでも弟の為に犠牲にはなっていられないではないか。娘の幸福について、どう考えているのだと言いたかった。
「あの二人はね、小さい時から仲がよかったのよ。もう、誰が見ても褒《ほ》めて下さるくらいにね」
公恵はそう言って、嬉しそうに笑っている。法子は絶望的な気持ちになってため息をつき、腹の中では勝手にしろ、と吐き捨てるように思っていた。別にどうでも良いのだ。今や、法子は二人のことを心配しているとは言い切れなかった。とにかく、健晴が一人になるチャンスを窺《うかが》いたかっただけのことだった。
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