□志貴の部屋
————————一日が終わった。
ベッドに入ってぼんやりと天井を眺める。
疲れているのか、こうして横になると激しい眠気が体中に浸透していく。
疲れているのか、こうして横になると激しい眠気が体中に浸透していく。
それでも、眠る気にはなれなかった。
————真夜中。
虫の声に誘われるように外に出た。
虫の声に誘われるように外に出た。
ふらりと、花壇の柵に腰をかけた。
息を殺して木々の奥、夜の闇を見透かそうと瞳を凝らす。
遠くでは鳥の羽音。
音は近いくせに姿が見えない所をみると、カラスが闇に紛れているのかもしれない。
「———————」
はあ、と大きく息を吐いた。
肺の中の余分なモノを吐き出す。
頭の中身を酸欠にする。
そうしてようやく、思考は一つの事柄だけを追及するに足る鋭利さを手に入れる。
アレがなんであるかはもう見当がついている。
七夜志貴という殺人鬼は遠野志貴が怖れていた悪夢だ。
七夜志貴は遠野志貴が抱く悪夢の中でもっとも濃い悪夢だからこそ浮上した。
それを一撃で圧壊したアレが、遠野志貴の悪夢である筈がない。
メガネを外した時だけに視える世界の裏側。
死を視覚できるこの両目は、世界の死を映像として明確に捉えていた。
そうしてアレが現れるのもその時だけだ。
ならば答えは明白だろう。
アレは死の具現。
この世界を、夢を見ている宿主を侵食していく癌細胞そのものだ。
そうして、死の具現である以上、その姿は観測者にとって最大の死のイメージとして現れる。
————紅赤朱。
遠野志貴の記憶の底をさぐっても輪郭しか思い出せない怪物。
ずっと昔、山奥に隠れ住んでいた七夜という一族を皆殺しにした男。
思い出してはいけない、絶対に敵う筈のない存在。
だからこそ死のイメージとしてアレが現れた。
もはや自己の中で神格化さえされている絶対不可侵の悪鬼。
故に、アレは遠野志貴にとっての死神なのだ。
ずっと昔、山奥に隠れ住んでいた七夜という一族を皆殺しにした男。
思い出してはいけない、絶対に敵う筈のない存在。
だからこそ死のイメージとしてアレが現れた。
もはや自己の中で神格化さえされている絶対不可侵の悪鬼。
故に、アレは遠野志貴にとっての死神なのだ。
□中庭のベンチ
「——————————」
アレに、勝てるか。
何度も何度も、頭の中で想定する。
アレと打ち合っていい条件。用意するべき攻撃手段。初撃を生き延びられる奇策。その後に続く、最も有効な反撃。———ヤツを打倒できる可能性。
アレと打ち合っていい条件。用意するべき攻撃手段。初撃を生き延びられる奇策。その後に続く、最も有効な反撃。———ヤツを打倒できる可能性。
「——————————」
思いつかない。
何度条件を作りなおしても、ただの一度もアレが傷を負う姿さえ思いつかない。
自由にできる頭の中でさえこれだ。
例えば、本当に最高の条件としてこんな事を考えた。
アレと向かい合った時、絶好のタイミングで空から飛行機がアレに落下してくる。何かの事故で、それこそミサイルのように一直線の突進をしてアレは直撃と爆発に巻きこまれる。
勝った。それでこちらの勝ちだ、と思った瞬間、そんな事を考えたくもないというのに、アレは何事もなかったように炎の中から現れてくる。
———そんな怪物をどうしろという?
そもそも死神というものを殺せるのかどうかさえ怪しい。
ヤツが遠野志貴にとっての死の具現であるのなら、そう視えてしまっている以上、遠野志貴にアレは超えられないという事ではないのか。
ヤツが遠野志貴にとっての死の具現であるのなら、そう視えてしまっている以上、遠野志貴にアレは超えられないという事ではないのか。
「————————チ」
見れば指はだらしなく震えていた。
全身は畏れで震えっぱなしだった。
震えがとまらない体を抱いて、精一杯の虚勢をはって夜の闇を睨んでいる。
そうでもしていなければ決意が鈍るし、挑む前から自身に呑まれてしまうだけだ。
「……………ん?」
不意に木々の間の闇が揺れた。
相変わらず気配もなく、黒いコートの少女が現れた。
【レン】
「……………………………」
林から出てきて、トコトコと近くまでやってくる。
薄明かりの下でさえ、その顔色は青かった。
林から出てきて、トコトコと近くまでやってくる。
薄明かりの下でさえ、その顔色は青かった。
「こんばんは。隣、座る?」
【レン】
【レン】
【レン】
【レン】
【レン】
「そっか。それじゃ今夜は急ぎの用なんだ」
【レン】
【レン】
【レン】
【レン】
【レン】
首を振るその姿も弱々しい。
……さっきまで神経を研ぎ澄ませていたせいだろう。彼女はいつもと何ら変わりのないように頑張っているというのに、そんなのはやせ我慢なんだって看破できてしまうのは。
「……………………………」
彼女は立ち去らない。
何か言いたいことがあるのか、ただじっとこちらを見つめている。
「……まいったな。君に会ったらいっぱい言わなくちゃいけないコトがあったんだけど、忘れてしまった。元来忘れっぽい人間でね、肝心な時に大事なことばかり言い逃してしまう」
【レン】
そう、いつも忘れてばっかりだ。
けど、それでも一つだけ、忘れずに言おうとしていた言葉がある。
けど、それでも一つだけ、忘れずに言おうとしていた言葉がある。
「———その、今までありがとう。他にも色々あるんだけど、これが一番言いたい言葉」
笑いかける。
【レン】
今まで無理をしていた彼女に、最後の力でこの夢を維持してくれた淋しい彼女に。
「……………………………」
眼差しに翳りがさす。
……彼女は無言で、ある事を抗議している。
もともとそれを止める為に彼女はやってきたのだろう。
「うん、アイツと戦ってみる。普通の方法じゃ勝てないのは、まあ自分でも解っているんだ。そういうわけだから、そんな目をしてそういじめないでくれ」
出来るだけ強がって、なんでもない事のように言った。
「……………………………」
彼女の視線はますます翳りを濃くしていく。
———その瞳が言っている。
今までどおりにしていれば何の問題もないのに、どうしてそんな自殺するような真似をするのか。
何も気付かず、夢から醒めるまでずっとこうしていればいいのに、どうして、と。
何も気付かず、夢から醒めるまでずっとこうしていればいいのに、どうして、と。
「……そうだね、確かにどうしてだろう。色々と理由はあるんだけど、どれも一番ではない気がする」
それは、
これ以上この世界を維持していれば彼女が消えてしまうからだし、
アイツを放っておけば死はどんどん広がって、外で眠っている自分が死んでしまうからだし、
もしかすると心の奥底であの男と決着をつけたがっている自分がいるのかもしれないからだし。
それは、
これ以上この世界を維持していれば彼女が消えてしまうからだし、
アイツを放っておけば死はどんどん広がって、外で眠っている自分が死んでしまうからだし、
もしかすると心の奥底であの男と決着をつけたがっている自分がいるのかもしれないからだし。
けれど、それらは全て、なんだか二つ目ぐらいの理由にしか思えなかった。
【レン】
「……………………………」
視線はいまだ頬に刺さっている。
その視線に答えるために、
「……ああ、やっぱり自分の命のためってコトがあるのかもしれない。けど、それとは別にアイツは倒さないといけない気がするんだ。
———だってさ。アイツがいたら、この夢が続けられなくなっちゃうだろう?」
いまだ自分には掴めない、本当の理由を口にした。
視線はいまだ頬に刺さっている。
その視線に答えるために、
「……ああ、やっぱり自分の命のためってコトがあるのかもしれない。けど、それとは別にアイツは倒さないといけない気がするんだ。
———だってさ。アイツがいたら、この夢が続けられなくなっちゃうだろう?」
いまだ自分には掴めない、本当の理由を口にした。
「—————————————」
問いかけてきていた視線が消えた。
彼女は呆然と佇んだあと、
問いかけてきていた視線が消えた。
彼女は呆然と佇んだあと、
【レン】
今まで一番強く、確かな瞳で俺を見た。
「………………………………」
黒いコートが揺れる。
少女は小さくおじぎをするように頭をさげて
黒いコートが揺れる。
少女は小さくおじぎをするように頭をさげて
別れを告げるように、唇を重ねてきた。
「———————」
あんまりに突然のコトで、体が動かない。
頬に添えられた指の感触。
重ねられただけの唇。
ただ、本当にしたかったからした、といった、動物のような触れ合い。
あんまりに突然のコトで、体が動かない。
頬に添えられた指の感触。
重ねられただけの唇。
ただ、本当にしたかったからした、といった、動物のような触れ合い。
———彼女は本当に、
切なくなるぐらい、
俺のことを好いてくれているのだと。
切なくなるぐらい、
俺のことを好いてくれているのだと。
それは愛情も情欲も馬鹿馬鹿しくなるぐらい、無垢で愛らしい、さよならのくちづけだった。
□中庭のベンチ
「—————————」
唇が離れた瞬間、少女の姿は完全に消えてしまった。
唇が離れた瞬間、少女の姿は完全に消えてしまった。
□中庭のベンチ
「な———————」
いつものように走り去っていったのなら、どんなことをしてでも追いついて捕まえた。
なのにこれではその後を追うコトさえできない。
□中庭のベンチ
「———————」
あの子が。
俺とアイツが出会う前にアイツを倒そうだなんて、無茶なコトを考えていたのが分かったのに。
あの子が。
俺とアイツが出会う前にアイツを倒そうだなんて、無茶なコトを考えていたのが分かったのに。
□中庭のベンチ
「だめだ———行っちゃ、だめだ」
途切れていく意識の中、最後にそう呼びかけた。
答えなんて返ってこない。
あの子は俺より一足先にアイツの所に行ってしまった。
……なんてことだろう。あの子では、アレには勝てない。
俺にだったらまだ可能性ぐらいはあるだろうけど、あの子では絶対にアレには抗えない。
途切れていく意識の中、最後にそう呼びかけた。
答えなんて返ってこない。
あの子は俺より一足先にアイツの所に行ってしまった。
……なんてことだろう。あの子では、アレには勝てない。
俺にだったらまだ可能性ぐらいはあるだろうけど、あの子では絶対にアレには抗えない。
何故なら、それは—————
————そこで意識は途絶えた。
……アレは、あの森で俺を待っている。
遠野志貴に逃れがたい死を投影したあの場所。
そこがこの夢の最後の舞台。
自分にとっても、
あの、小さな体で必死に走っていった少女にとっても。
遠野志貴に逃れがたい死を投影したあの場所。
そこがこの夢の最後の舞台。
自分にとっても、
あの、小さな体で必死に走っていった少女にとっても。
だから、急がないと。
自らの肉体に刻みつけるように、たとえ何もかも忘れていようとあの場所に向かうのだと、心に刻み付けて闇に落ちた—————
自らの肉体に刻みつけるように、たとえ何もかも忘れていようとあの場所に向かうのだと、心に刻み付けて闇に落ちた—————