——————初めに名前を。
次に、在り方を教えよう。
次に、在り方を教えよう。
それが彼女の聞いた、魔術師の唯一の言葉。
風車が回っていた。
煉瓦造りの塔は、その三つ葉で風を織る。
草原は一斉にたなびき、夕焼けはひどく遠く。
風は、駆けぬける竜のように迅く、雄大に過ぎていく。
煉瓦造りの塔は、その三つ葉で風を織る。
草原は一斉にたなびき、夕焼けはひどく遠く。
風は、駆けぬける竜のように迅く、雄大に過ぎていく。
魔術師が座る椅子が揺れている。
その椅子の下で、共に夕焼けを見るのが彼女の日課だった。
その椅子の下で、共に夕焼けを見るのが彼女の日課だった。
もちろん彼女は夕焼けが好きだったわけではない。
もともと好きだとか嫌いだとか、そういった感情を彼女はまだ知らない。
それでも飽きずに夕焼けを見つめていたのは、ただ主の真似をしようという動物的な思いつきだった。
もともと好きだとか嫌いだとか、そういった感情を彼女はまだ知らない。
それでも飽きずに夕焼けを見つめていたのは、ただ主の真似をしようという動物的な思いつきだった。
秋はその日に終わった。
錆びた黄金の草原は、明日から段々と鋼色の荒野へと変わっていくだろう。
錆びた黄金の草原は、明日から段々と鋼色の荒野へと変わっていくだろう。
風は冷たく、風車はいつもより早く回り、夕焼けは今まで見た中で一番赤かった。
だから。
そんな予感がしていたといえば、確かに予感はしていたのだ。
そんな予感がしていたといえば、確かに予感はしていたのだ。
魔術師は一人で、結局、彼女が知り得る範囲で最期まで独りだった。
何の研究をしていたのかなんて彼女に解る筈がない。
魔術師というものは魔法を求めて、自分でもその次の自分でも辿りつけないと知っていながら血脈を重ねていく者らしい。、
それでも、気の遠くなるような継承を繰り返しても、魔法に辿りつける魔術師なんていないのだ。
魔術師では永遠に魔法には辿りつけず、彼らは永遠に報われない。
何の研究をしていたのかなんて彼女に解る筈がない。
魔術師というものは魔法を求めて、自分でもその次の自分でも辿りつけないと知っていながら血脈を重ねていく者らしい。、
それでも、気の遠くなるような継承を繰り返しても、魔法に辿りつける魔術師なんていないのだ。
魔術師では永遠に魔法には辿りつけず、彼らは永遠に報われない。
魔術師が一番はじめに学ぶのは、自分たちのやることは全て無駄だと覚悟することらしい。
それでも代を重ねて研き上げた技術を後継ぎに託していくのだ、と彼女は二番目の主に聞かされたことがある。
それでも代を重ねて研き上げた技術を後継ぎに託していくのだ、と彼女は二番目の主に聞かされたことがある。
けど、それだとこの魔術師はなんだったのだろう。
弟子もとらず、魔法を求めていたわけでもない。
栄光なんて興味もなく。
栄光なんて興味もなく。
長く、おそらくはただの一度も満足したコトなんてなかった。
————それは、なにも残さない人生だった。
他人と関係を持つ時間も惜しんで研究にうちこんで、ただの一度も報われず。
いいや、きっと報われようなんて、そんな余分なことさえ思わなかったに違いない。
あの老人が求めたのは過程だけ。
結果なんて知らない。
ただ、際限なく学ぼうとしていただけ。
それが魔術師の全てだった。
もちろん、そんな人生が楽しかった筈はない。
いいや、きっと報われようなんて、そんな余分なことさえ思わなかったに違いない。
あの老人が求めたのは過程だけ。
結果なんて知らない。
ただ、際限なく学ぼうとしていただけ。
それが魔術師の全てだった。
もちろん、そんな人生が楽しかった筈はない。
……だって、やっぱり。
楽しい、だなんて感情も、研究には余分なコトだったに違いないから。
楽しい、だなんて感情も、研究には余分なコトだったに違いないから。
——————おまえに在り方を教えよう。
はじめて、恐る恐る目を開けて世界を見たあと。
今にも崩れそうな枯れ木のような、
何をしても欠片さえ出さない岩のような、
年老いた魔術師は彼女に教えた。
今にも崩れそうな枯れ木のような、
何をしても欠片さえ出さない岩のような、
年老いた魔術師は彼女に教えた。
「使い魔は、自らの意志で行動してはならぬものだ」
それが彼女の聞いた、魔術師のただ一つの言葉。
彼女は教えに従った。
終わりのような時間だと彼女は思った。
風は冷たく、風車はいつもより早く回り、夕焼けは今まで見た中で一番赤かったから。
風は冷たく、風車はいつもより早く回り、夕焼けは今まで見た中で一番赤かったから。
だから、予感がしたのだ。
彼女は椅子の下から出て魔術師を見上げた。
その相貌に変わりはない。
何一つ変化はなく、遠い落陽を見つめたまま、わずかに口元が動いた気がした。
彼女は椅子の下から出て魔術師を見上げた。
その相貌に変わりはない。
何一つ変化はなく、遠い落陽を見つめたまま、わずかに口元が動いた気がした。
彼女はかけあがる。
初めて自分から魔術師に触れた。
膝の上に重ねられていた本に乗って、よく聞こえるように耳をたてた。
初めて自分から魔術師に触れた。
膝の上に重ねられていた本に乗って、よく聞こえるように耳をたてた。
何十年ぶりだろう。
初めと二番目。
ようやくその次になる教えを聞けるのだと、
彼女は初めて、期待で主を見上げていた。
初めと二番目。
ようやくその次になる教えを聞けるのだと、
彼女は初めて、期待で主を見上げていた。
しわがれた手の平が彼女を撫でた。
彼女は驚いて動けなくなってしまった。
知らない。
ただ頭を撫でられただけなのに、ずっとこうしていたくて、体が動かなくなってしまうなんて知らなかった。
彼女は驚いて動けなくなってしまった。
知らない。
ただ頭を撫でられただけなのに、ずっとこうしていたくて、体が動かなくなってしまうなんて知らなかった。
けれどそれは一瞬だけだったと思う。
魔術師は遠くを見つめたままで彼女から手を離して、一言も残さず、その、長い長い人生を終えた。
魔術師は遠くを見つめたままで彼女から手を離して、一言も残さず、その、長い長い人生を終えた。
なんの意味もない終わりだった。
もとよりなんの意味もない生でもあったのだから、それはまあ、仕方のないことだと思う。
もとよりなんの意味もない生でもあったのだから、それはまあ、仕方のないことだと思う。
ただ最期の最期で、魔術師は失敗をした。
たとえ無意識で行ったことにしたって、彼女に触れるコトはなかった。
それで彼は魔術師ではなく、寂しい老人になって息を引き取ってしまったのだから。
たとえ無意識で行ったことにしたって、彼女に触れるコトはなかった。
それで彼は魔術師ではなく、寂しい老人になって息を引き取ってしまったのだから。
——————訳も解らず、彼女は鳴いた。
だって、あんまりにもあんまりだ。
そんな人並みの感傷を見せるなんてあんまりだ。
そのせいで、魔術師は自らの孤高はただの孤独ではなかったのかと、最期の最期に迷ってしまったのだから。
そんな人並みの感傷を見せるなんてあんまりだ。
そのせいで、魔術師は自らの孤高はただの孤独ではなかったのかと、最期の最期に迷ってしまったのだから。
そうして葬送の鐘の音を、彼女は椅子の上で聞いていた。
—————彼女は空席に揺られて夢を見る。
ただの一度しか触れなかった主。
ただの一度だけ触れてくれた主。
自らの最期を台無しにしてまで別れを告げてくれた、無口だったある魔術師。
ただの一度だけ触れてくれた主。
自らの最期を台無しにしてまで別れを告げてくれた、無口だったある魔術師。
……だから、それが悲しい。
老人がどれほど彼女を必要としていて、どれほど彼女を愛していたか。
そんなもの、彼女が一人になってから教えられても、もうこの椅子には誰も座りはしないのだから。
老人がどれほど彼女を必要としていて、どれほど彼女を愛していたか。
そんなもの、彼女が一人になってから教えられても、もうこの椅子には誰も座りはしないのだから。
そうして秋は終わって、鋼色の冬が来た。
そのあとのコトを彼女は知らない。
新しい主人がやってきて彼女を引き受けて行っただけだ。
そのあとのコトを彼女は知らない。
新しい主人がやってきて彼女を引き受けて行っただけだ。
だから、彼女が覚えている風景は三つだけ。
生まれて初めて、そうしてずっと見つめ続けていた錆びた黄金。
何も語らなかった主の背中。
それと——————
生まれて初めて、そうしてずっと見つめ続けていた錆びた黄金。
何も語らなかった主の背中。
それと——————
それと、
ただ一度だけ魔術師の膝の上で見た、その年一番の赤い夕日と、しわがれた—————
ただ一度だけ魔術師の膝の上で見た、その年一番の赤い夕日と、しわがれた—————