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ぼくのコドモ時間22

时间: 2019-12-05    进入日语论坛
核心提示:日なたぼっこの侍ボクは日なたぼっこのことを思い出してます。北風が吹いてるような寒い日にも、昔の親はよくこんなふうにどなっ
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日なたぼっこの侍

ボクは日なたぼっこのことを思い出してます。北風が吹いてるような寒い日にも、昔の親はよくこんなふうにどなったもんでした。
「子どもは風の子! 外行って遊んでこい!」
家の中が狭いのもあるし、とにかくいまみたいにコドモ中心の考えかたをしてませんから、家の中でコドモはじゃまものなんですね。コドモもそれがあたりまえと思ってますから、本当はコタツに入ったまま、マンガ読んでいたかったり、ラジオきいていたかったりしても、まァしかたない、野球帽かぶってリバーシブルのジャンパー(裏表で二着分着られる)などを引っかけると、勢いつけるようにして外に出ていきました。
同じようにして、家から追い出されたコドモたちがいて、日なたにかたまっています。ワイシャツ屋さんの小川さんちは坂の下にあって、西向きでしたので、そろそろ夕方になりかかる午後の陽射しが金色にあたった、そのあたりに、コドモがそうしてたかっているのです。
電気ミシンの音が、ゴーッ、ゴ、ゴ、ゴーッと、断続的に鳴っていて、その奥からラジオの歌謡曲が聞こえてきます。ジャンパーのポケットに手をつっこんで、生まれたての子猫みたいに、ボクらはひとかたまりになってそのラジオをきいているんでした。
そうだな、そういえば日なたぼっこというのは意外なくらいにあったかくて気持のいいもんだった。午後、縁側に座ぶとんが干してある。そこへどっと寝ころぶとおどろくほどあったかくて、ホコリくさいような日なたのにおいがした。
そんなことを思い出しながら、大人のボクはマンションのベランダの、その狭いコンクリートの床に、じかに座りこんでみたんです。そうだ、こんなだったな。お尻はちょっと冷たいけど、日なたぼっこというものはこうだった。とボクは思ったのです。目をつむってみたりする。ぜんたいオレンジです。日のあたってるところがとてもいい気持にあったかい。目をあけてみると、いつのまにか猫のミーがそばに来ていて、じっと目をつむってる。
奥さんが新聞紙と座ぶとんを持ってきてくれました。それにおせんべとお茶まで用意してます。ボクらは、その狭いベランダで、並んで座って、日なたぼっこをしながら、お茶を飲んで、おせんべを食べたりしたんでした。日があたってるのは、ほんのわずかの場所なんですが、なんだかずいぶんトクをしたような気分でした。
さて、小川さんちの日だまりのコドモたちですが、日なたぼっこも、そうそういつまでもやってるワケじゃない。人数が集まれば、スイライカンチョーや馬とびや、おしくらまんじゅうや、すもうや、Sケンやチャンバラや、と遊ぶことはいくらでもあります。そうやって走り回ったりすれば、寒いのなんかはすぐ忘れてしまうんでした。
チャンバラは、原っぱへ行って、茎の太い草の枝をはらって刀にしたり、おもちゃの木刀や、板切れを削ったのなんかでやりました。お手本は東映の時代劇で、中村錦之助や東千代之介、大友柳太朗のまねをします。
ボクは、東千代之介の片方の眉毛だけ上げる顔のマネが、�|くんれん《ヽヽヽヽ》の結果�できるようになってましたから、敵を斬った後は、千代之介顔で決めました。(これはよっぽど気に入ってしまったものと見えて、このころ、遠足に行った時の写真など見るとだいたい東千代之介顔になってます。)
チャンバラもチャンバラ映画も好きだったがそうヒンパンに映画館に連れていってもらったワケじゃない。近所のコドモたちも同じでみんな一様にビンボーでしたから、映画なんて数えるほどしか見ていないのだ。
チャンバラごっこをひとしきりすると、ボクらは線路むこうの、「北映座」っていう映画館まで、帯刀したまま出かけていく。
入口のところに、ガラス張りのショーウィンドウみたいなのがあって、そこにポスターやスチールが貼ってある。これを一目見て、「これは月形龍之助だ」とか「こっちは吉田義夫だ」とかと脇役の名前が言えるのがエライのである。
そのあと、ボクらは映画館のウラ、つまりスクリーンの真裏にあたる、モルタルづくりの壁のところに行って、その壁に寄りかかって日なたぼっこをしながら�映画の音�をきくのだった。
お姫様の声や、悪家老や悪党の首領の声、殿様を|おいさめ《ヽヽヽヽ》している�忠義の家臣�の声なんかが、くぐもった地の底から聞こえてくるような音で、モルタル壁を震わすのだった。
もともと時代劇のことばはコドモにはむずかしくて、半分もわからない。その上、音は完全に割れているから、チャンバラのシーンになって、なんだか盛り上がってるとか、場内の拍手が聞こえて、これはいいところだな、くらいしかわからないんだけど、とにかくこのピンクのモルタル壁のむこう側が、いま、江戸時代になっているんだなァという感慨が、そこで並んで寄りかかっているコドモたち全員にあって、時々、腰の|もの《ヽヽ》を抜いて、じっとそれを見すえたりするんでした。
そのころ、映画館は三本立てが常識でしたが、なにしろいまのように換気もよくない、喫煙所などないも同然だから、休憩時間になると、扉が全開されて、映画館のお客がいっせいにタバコを吸いに、外まで出てこれる方式になっていた。
この時をねらって、扉のしまるまぎわ、サッとまぎれ込めばタダで映画が見られる。これを実行に移してみよう、と提案するものがいて、そのひとかたまりのコドモたちは、一挙にキンチョーをしてしまったのだった。〈もし、失敗をしたらエライ目にあう〉
休憩時間になるまで、ボクらはドキドキしながら、時々壁に耳をつけたりしていたのだが、そうこうするうち日が沈んで夕方になってしまった。オレは帰る、もう晩ゴハンだといって少しずつ有志が抜けていき、結局、ボクだけが残ってしまった。あきらめて帰ろうと決めた時、休憩所のドアが開いてドッと大人があふれてきた。ウロウロするうち休憩終了のベルが鳴って、大人がいっせいに引き返すので、ボクは流れのままに館内へと押し流されてしまったのだった。
結果的にはまんまと計画通り、ということになったのだけど、ボクはもう、一刻も早くここから帰りたい、とその時は思ってしまって、目の前に黒々と続く大人のお尻をかいくぐって懸命に入口をめざしたんでした。最後の黒幕をはぐると、外はもう、すっかり夜でした。
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