「しんちゃんは、なかなかイイな、カッコイイぜ、アイツは……」
と、ボクのお父さんの明さんは突然切り出しました。明さんはドテラを着て、先刻から縁側で日なたぼっこをしていたところです。
ボクはコタツで貸本屋から借りてきた江戸川乱歩の『青銅の魔神』を読んでいたかもしれない。ヤブカラ棒ですが、お父さんが突然ヨソンチのコドモをほめたので、ボクはちょっとしんちゃんに嫉妬しました。
だいたいが明さんは、自分のコドモをほめたりすることはなかったし、そもそもあんまり人をほめたりしないんです。短気でオコリっぽいので、よくどなられたりしましたが、何かまとまった説教とか、コドモに期待する人間像を述べる、というようなこともされた覚えがない。
「まだコドモだ」というので相手にされてない、という感じでまともに会話をしてくれないんですね。そんなんでボクはお父さんにホメてもらいたい、気に入られたいと思っていたようです。まだ一人前に扱ってもらえないので、とにかく、早く大きくなって相手にしてもらいたいと思っていたかもしれない。
たまに家に、ボクと明さんしかいない、というような状況になると、ボクはスターの前に出たみたいに、あがってしまうというふうな感じでした。いま思うと、明さんはボクのそんな気持はわかっていなかったと思いますね。
で、とにかくその明さんが、しんちゃんのことをほめている。しんちゃんはハシモトくんといって、北池荘っていうアパートに住んでいるボクと同い年のコドモです。ボクはハシモトくんとケンカしてケガをさせられたことがあって、つまり、|テキ《ヽヽ》でした。
明さんは、ケンカしたら勝て、他人の子分になるようなやつはキライ、泣いて帰ってきたらオコル、というような性格でしたから、ボクはケンカに負けた時には、ほとぼりがさめるまで、遠出をして泣き顔は乾かして、何食わぬ顔で帰ってきたりしてました。キズやコブができていても、転んだことにする、という具合です。それもこれも明さんに気に入られたいからでした。
しんちゃんにケガをさせられた時は、ボクの不覚でした。ケンカになってしんちゃんを組み敷いて、首を締めて「まいったか?」と言うと、ウンウンとうなずいて、はっきり「マイッタ」と言ったので、ボクは勝ちほこって、意気揚々と引き返したんでした。ところが、その背中に頭より大きい石をぶつけられたんでした。ボクはその場に倒れちゃって、気を失ったみたいになってしまったので、かつがれて帰ってきたのです。
〈しんちゃんは卑怯なマネをしたやつだぞ〉とボクはその時のことを思い出して、そう思ったんでした。で、口を少しとがらせて、
「どうして!?」と明さんに口答えをするようにきいてしまったのです。
お父さんは、そんなボクの気持とは関係なく、縁側から庭越しに路地のほうを見やりながらこう言ったんでした。
「サンキュー食堂のオフクロさんがさ、しんちゃんにオカモチを持たせたんだ……」
しんちゃんのお母さんは、近くのサンキュー食堂で働いているんです。サンキュー食堂はラーメンとチャーハンとカツ丼と定食を出す大衆食堂で、最近大きなソフトクリームの機械も導入したようなお店です。
上野さんちに出前を持っていくんだが、お母さんは忙しくて、よそにも回らないといけないから、進一ちょっとコレ届けてヨ、とお母さんが言ったのだ。「サンキュー食堂です、お待ちどおさま」ってちゃんと言うんだよ、わかったね! って言ってお母さんオカモチあずけてそのまま帰っちゃった。
そうしたら、周りの子どもがしんちゃんのことハヤすワケだ。サンキュー食堂でーす、おまちどおさまあ! ってさ。そんなことされたら恥ずかしがるだろ、ところがアイツは違うな、ハイお待ちィーッ! サンキュー食堂ですーッ! って楽しそうなんだ。で、カラのオカモチ、スキップしながら持って帰ってくる。そのころはもう、さっきはやしてた連中が、しんちゃん、あんまり楽しそうだから、それ持たしてくれ、持たしてくれって頼んでるんだ。
「よし、じゃあジャンケンしろ、そこにならべーッてさ、ハハハ、ありゃあイイ」
明さんは、親の仕事を手伝う子が偉いとか、親の言うことをきく素直なコドモだとかいって評価してるワケじゃないんですね。ボクには一瞬にして明さんの言ったことがわかった。背中にぶつけられた石のことなんかふっとんで、お父さんと同じように、
〈しんちゃんはカッコイイ!〉とその時、ほんとに思ったんです。自分が楽しくなる天才だって尊敬したんですね。
ボクが明さんから、教わったことの最大の、これが思い出です。ボクはこの時にずいぶんいろんなことを教わったような気がします。ボクはいまでも、しんちゃんを尊敬してますが、その証拠がボクのペンネームに表れてるんでした。
ボクの本名は伸宏(ノブヒロ)ですが、師匠の赤瀬川先生に、伸坊(ノブボー)と命名してもらった名前を、みんなが「シンボー」とまちがって読んだ時、即座にそっちの読みかたをとってしまったのは、その時にしんちゃんのことを思い出したからなんでした。
誰かに「しんちゃん」と呼ばれるたびにボクは明さんにホメられた、しんちゃんになったような気がしてうれしかったんですね。この思い出を、ボクは思い出すたびに、とってもウレシイ。
オカモチ持ってニコニコスキップしていたしんちゃんと、縁側からその様子を見てニヤニヤしていた日なたのオトーサンを思い出すたびにうれしい気持になるんです。
歯をくいしばって耐えたり、ナニクソッ! とかいってガンバッたりするんじゃない、たのしいヤリカタ。ホガラカな思いっきりのよさ、マイペース。説明しようとすれば際限もなくズラズラ続きそうな話を、
「アイツはカッコイイぜ」とだけ言ってわからせてくれた明さんを、ボクはいまでも、とても好きです。
明さんは、ボクが小学校五年生の時に、死んでしまったので、結局ボクは一人前の男同士として、口答えをしたり、ケンカをしたり、反抗したりというようなことができずじまいになってしまいました。
しかし、もし、明さんが死なずにいまでもヨボヨボ生きていたら、こんなふうな、思い出すたびに日なたぼっこをしてるような気分になる思い出も、なしくずしになくなっていたかもしれないし、どっちがよかったか、わかりませんね。