『若乃花物語』っていうマンガ本は、五の日に竹屋横町の先に立つ縁日で買いました。五円か十円じゃなかったかな、マンガ本として独立してますが、これは本誌のマンガの雑誌に豪華十大附録とかといって、はさみ込んである五、六十ページの薄い本です。
『若乃花物語』は当時、栃若時代といって前の春日野理事長の栃錦と、いまの二子山理事長の若乃花が横綱同士で�名勝負�をしていたころで、おすもうさんがコドモにいっとう人気があったころなんですね、それでおすもうさんの伝記マンガというのが現役バリバリの時にできちゃうわけです。
そのころのおすもうは、栃錦、若乃花、吉葉山、鏡里、千代の山と横綱がたくさんいて、ボクはこの中で千代の山がもっとも好きなおすもうさんで、次は栃錦でした。
千代の山は、とっても強いすもうだったそうですが、ボクがファンになった時は、どうもあんまり成績はかんばしくないころです。で、二番めにファンの栃錦は、強くて人気もあったでしょうが、なんといっても若乃花のほうがずっとコドモに人気がありました。
コドモはいちばん強い人が好きなんですね、ふつうは。ところがボクは、やや落ちめの人と、ちょっと渋めのところのファンだった。ボクはコドモのころからちょっとひねくれていたのかな、と思って、よーく思い出してみたことがあるんです。
そのころのおすもうさんには、なんだかとっても奇妙な人がいたんですね。たとえば、大起《おおだち》っていうすもうは、もうものすごく大きい二メートル近くあります。だからものすごく強いのかと思うと、そうではなくて、その名の通りに、ぼーっとつっ立っているだけで、そのうちに相手のすもうの懸命な働きでもって、この大木のようなものがズデーンと倒れるといったカンジです。すもうでは、双差《もろざし》をとられるのは間抜けなもんですが、この大起はイキナリ相手に双差を許すんですね。で、この手をかんぬきといって締めながら持ち上げる技が、唯一の得意技といったカンジです。
たとえば松登《まつのぼり》っていうすもうは、とにかくぶちかましといって体あたり一本槍です。カギのかかったドアにぶつかってくるみたいに、判で押したようにぶちかましなので、相手は体をかわしてひらりとどいてみたりしますが、そうすると松登はそのまま土俵の外まで飛んでいってしまう。
たとえば岩風というすもうは潜航艇というあだ名があるくらいで、必ず組むと相手の体の下にもぐり込みます。アゴが極端に長い大内山とか、大人が三輪車に乗ってるような仕切りをする鳴門海とか、若秩父がコドモの頭くらいの量の塩をまくと、ワザとナメクジにかけるくらいの�ごく少々�をつまんでふりかける出羽錦とか、とにかくヘンテコなすもうとりがたくさんいた。
で、ボクはそういうおすもうさんを、たしかに好きでしたが、ファンというんではなかった。ファンになるのは千代の山と栃錦です。ところが、なぜこの二人になったのか、は、とくに理由がないんです。
栃錦が好きになってしまった関係でライバルの若乃花のことはきらいになってしまったんですが、そう決まってしまうと、若乃花はいつも、しかめ面をしていて「だからイヤだ」とかと言うんですが、ホントはそんなことはあとから考えた理屈です。
そのころ、栃錦はお尻にたくさんオデキ、吹き出物ができていて、TVがおもしろがって、そのバンソウコウやデキモノだらけのお尻を、大写しに撮ってみせたりしたもんだから、コドモたちは「ウヘーッ、栃錦のけつ〜〜ッ!」とかと言ってハヤしたてたりしたもんです。「だから栃錦はキライだ」というほうがむしろふつうという空気の中で、ボクは「それでも栃錦が好きだ」と思っていたんですが、なぜそれほどまでに栃錦かということになると、それが栃錦が強いからというのとはどうも違うようなんでした。なぜかといって、一番好きなのは、そのころ、もうあんまり強くはない千代の山がもっとも好きだったんですからねェ。
いろいろ、あれこれ思い出してみて、意外な出発点が判明したんです。なんで千代の山と栃錦か、っていう理由がわかった。友だちの加瀬靖夫くんちに、大きなおそろしい土佐犬が二頭いたんですが、その二頭の名が、千代の山と栃錦だった。で、表門に犬小屋のあったのが千代の山、裏門に犬小屋のあったのが栃錦だったんですよ。二頭とも、とても大きな犬でしたからコドモから見るとライオンのようです。とても頭をなでたりというような関係じゃない。したがってその土佐犬の千代の山と栃錦が好きだったわけじゃないんですね。しかし、千代の山と栃錦を好きになった出発点というのは、どう考えても、ここだったということになる。
不思議な心理ですよね。しかも、きらいなハズの「若乃花」のマンガを、縁日で買うのはともかく、それを暗誦《あんしよう》できるくらいに、くり返して読む、というのも実に不思議な心理というしかない。
「エッホッ、エッホ……ここ北海道は室蘭の港。花田勝治(のちの若乃花)は九人兄弟の長男として、港で荷揚げ作業をする沖仲士をして一家の家計をささえていた……」
いまでも第一ページめの港のシーンのコマを思い出せるくらいに、とにかく何度でも読んだのでした。
家に本がなかったわけではないと思う。二人の姉たちが持っていた本、たまには買い与えられたはずの本と、何かしらはあったと思う。ところがボクは、この縁日で自分が買った、五円の本を、ボロボロになるくらいにくり返して読んでいたようなんでした。別に好きじゃないおすもうさんの、伝記マンガをです。
のちになって、父アキラさんが、どうした風の吹き回しか『エイブラハム=リンカン伝』という本を買ってきてくれた時は、それがめずらしかったこともあって、うれしくてさっそく読んだのを覚えてますが、しかし『若乃花物語』ほどには熱中しなかった。
エイブラハム=リンカンはすもうの大起みたいな人だったらしいな、と当時のボクは思いました。その伝記は若いころのリンカンを、ボーッとした大男として描いていたからです。わりと好ましい人物だと思いましたが、とくにファンにはなりませんでした。
さて、暗誦するほど読んだ若乃花物語でしたが、依然としてボクは若乃花のファンにはなりませんでした。いったい、なんだってあんなに何度もアレを読んだんだろう、とボクは考えます。たしかに�次の本�を買えなかった、それしかなかったということはあるかもしれない。でも、そうならば、その以前にあった本をくり返し読んでもよさそうなもんです。
ボクがいまの時点で考えるその理由は、それが自分で選んで、自分で買った本だからだ、っていうことです。誰かに与えられたり、読まされたりするもんでない本、教科書と一番遠いところにあった本、それがつまりスリキレるまでこの本を読んだ理由なんでした。