蓮の花が、ひらくときには、
「ポン! と音がする」
という話を聞いたことがある。
話には聞いているけれども、その音を聞いたことはない。
周囲にカクニンすると、
「なるほど話には聞いたことがあるが、その音を聞いたことはない」
というのが、世間一般の通り相場なのだった。
なぜかというのに、蓮の花のひらくのは日の出と同時だからである。たいがいの人は、その頃寝ているし、起きてる人はいそがしくて蓮の花の開く音なんかに興味ないだろう。
「そうか、それで誰も蓮の花のひらく音を聞いたことがないんだ」
と、われわれは思ったので(われわれは、私とツマである)「蓮の花がポン! といってひらくかどうか調査団」を結成して、事実究明に乗り出した。四、五年前のことだ。
夜明けに現場にいなければいけないから、前日から乗り込むことになった。現場はどういうわけか茨城県の古河なので、前夜の終電に乗って古河駅近辺のビジネスホテルに泊まる。
早朝、まだ暗いうちに、タクシーを呼んで、現場の蓮池についた頃、空が白みかけてしまったのだった。
「しまったァ!!」
と、調査団は悔んだが、現場はしんと静まり返っていて、すでに、蓮は開花を終えてしまったようだった。
「第二次・蓮の花がポン! といってひらくかどうか調査団」は、前年度の失敗にかんがみて、翌年は前夜のうちに現場に出かけ、そこで「野宿」することにした。
当夜は台風が接近しており、風の音がものすごく、これで暴風雨などになったりすれば、ナゾの変死体になってしまわないとも限らない、不安な一夜であった。
さいわい、台風はコースをそれ、みごと現場で日の出を迎えたのである。たのであるが、蓮はウンともスンともポンともいわなかった。
蓮はひらくとき、ウンともスンともポンともいわない。ということがこの調査によって明らかとなったのである。
と、以上のようなことを、友人のスエイ夫妻に話したところ、
今年も蓮を見に行くのか? 行くのなら自分たちも一緒に行きたいがどうか、という申し入れがあった。
「いいけど、野宿だよー」とツマがいった。
「おもしろーい! 野宿やろう!」
とヨシコちゃんがいった。うちはワインとねえ、ツマミとか用意する。じゃあうちは、お弁当つくってくから、など担当者同士の打ち合わせもできて、決行ということになった。
決行日は七月一六日、当夜は二〇世紀最後の皆既月食の日でもあり、なかなか風流な企画といってよかった。風流ついでに、夜間の照明は提灯でということになって、以前、漫画家の高野文子さんにいただいた、ピンクと青緑で絵のつけられた、子ども提灯と、お盆の「こんばん提灯」を持参した。
古河総合公園は、夜間の入園を拒んでいないので、野宿には最適だ。が、夜間に入園しようとする人は、ほとんどいないらしく、園内は真の闇といっていいほど真っ暗なのだった。
提灯の明かりというのは、足元と自分の回りは明るくなっても前方にはきかない。まるっきり真っ暗なままだ。懐中電灯になれた身には、まるで前方がなくなったような感じ。なかなか風流である。
くもの巣を払ったりしながら、闇をつき進んで、目的のあずまやに辿りつくころ、皆既月食から、少し、月がぬけ出るところだった。
ワインやつまみ、用意のおにぎりなど食べながら、しばらく月見。月食は幻想的、酒もつまみも最高。照明にやや困ったのは、提灯が自立しないタイプのものばかりだったことだ。
日の出直前まで、仮眠をとることになって、二時間ばかり寝る。野宿はおもしろい。が、蚊がうるさいのである。蚊はほんとにうるさい。
ぜんたい蚊というものは、なんでもかんでも、刺してやろう、かゆくしてやれというものでもあるまいに、あの、ぷうう〜〜んという音をむやみに立てるのはいかがなものだろう。
虫ガードを塗って、蚊取線香をいぶしていても、あの、ぷうう〜〜んという音をされてしまったら、もう寝てはいられない。
そうそうに仮眠はやめて、暗いうちから現場に向かう。
夜明け前、蓮の花は、ほのかなグレーで、ボーッと発光しているように見える。あたり一面、スパイシーな香りが立ちこめて、朝もやがふんわりとひろがっている。
「すごーい! すごーい!」
とヨシコちゃんがよろこんでくれた。四人で、蓮の花の香りを、はしからかいでいく。大きな花に、顔をすっぽりつっこむようにして、瞑目してその香をかぐのである。
蓮の花のトンネルをぬけて、どこか極楽か地獄か、「そういう所」につれていかれるような気がする。
「すごくよかったア、幻想的で、やっぱり蓮見は野宿にかぎるねー」
と、スエイ夫婦は感想をのべた。
野宿はおもしろいし、蓮も月も素晴しいし、ワインもうまかったが、「眠い!」と四人は激しく合意したのだった。