「まさか! かぐや姫?」
と小学五年生の私は思った。庭の笹の葉の一枚が、ピカーリ、ピカーリと光っていたからである。
そばに寄って注意深くそおーっと葉の裏をめくってみると、そこにいたのはかぐや姫じゃなく、どうやら「単なる蛍」だった。
しかし、私が単なる蛍の実物を見たのも、その晩が初めてだったのだ。単なる蛍は、まるで息をするようにピカーリ、ピカーリと光っていて、私はその晩のことを鮮やかに記憶した。
「そうかあ、じゃあしんちゃんに蛍のたくさん飛んでるとこ、見せてあげたいねえ」
と、レクリエーション部長はそう言って、もう十数年を経ていた。
それが突然やぶから棒の計画が発表されたのだ。長崎県の五島列島に蛍ツアー、参加人員は計二名。
即座に計画は実行に移されたが現地の蛍情報はスコブル悲観的だ。
「大体がですね、湿気のあってムシムシする夜がいいとですよ、雨の降りよる前とかですね、八時から九時くらいが、よく出るとですばってん、今日みたいに空が晴れよると、あんまり出なかですばってんが……」
「運転手さん、そう言わず……東京からわざわざ来ましたばってんすから……」と私は言った。
「雲もちょっとは出てきたばってん」とツマも言った。
出るときは出るんですよねえ、いっぱい!!
「ハイ、そりゃあ出るときはもう、気持悪かごと出よりますばってんが、今日は、晴れとるばってんね」と運転手さんは、あくまでばってんなのだった。
急にあたりが暗くなって、目的の川のそばへ来たらしい。と、
「あっ、いた! いたいたいた!」
とツマが第一蛍発見!! ただちにワレワレは橋のそばでタクシーを降りた。
まだ八時には、ちょっとあるというくらいな時分だ。九時までここにいるので、その頃にまた迎えに来ていただくことにした。
しばらくすると、はたして、蛍は次々と出て来たのである。
あたりは真っ暗、街灯もなく、廃屋があるばかり、田んぼの向うに工場めいた建物があって、わずかにそこの灯りが見えるくらいだ。
蛍を見るには絶好の条件だが、その晩は妙に気温が低いのだった。浴衣がけで来るつもりで用意もしてきたが、寒くてとてもそんな風流はしてられない。
空はたしかに晴れていて、星が降るようだ。そうして、ほんとに星が降ってきたみたいに山陰の暗がりを、蛍が飛んでいる。二〇匹から三〇匹くらいか、私がいちどきに見る蛍としては、史上最多。十分納得できる数である。
「いいねえ、風流だねえ」
と私は、すこぶるよろこんでいる。
「いいねえ、風流だねえ、でも寒いねえ」
とツマ。たしかに寒い。そろそろ、迎えの車に来てほしい時間になっていた。
ところが、これがいっかな来ないのだ。辺りは真っ暗で、人も車も通らない。いよいよ「ここで一晩野宿になるか?」と決意した頃、約束の車がやって来て、第一夜は無事に終った。
第二夜。実はこっちのほうが「本命」のつもりの隣町。昼間は一日、上五島の教会見物で時間を潰し、腹ごしらえのすし屋で情報収集。ところがどうも思わしくない。
「あそこは河川ば、いじりよったけん、あんまり出なかとですよ」
第二夜の運転手さんも同意見だ。しかも、昨夜我々が見たあたりが運転手さんの地元で、どうも、地元をヒイキしてる様子である。
「あー、全然出とらん、比較にならんとですよ」
とくさすのだ。たしかに、昨夜のところのほうが、蛍の出がいい。急遽、引き返すことにした。
「ホラホラホラ、ホラホラホラ、ホーラホラホラ」
と運転手さんが騒ぐのは、ヒイキの場所についたからだった。いると言うのだ。
たしかにいる。昨夜よりさらに多い。ホラホラ、あすこにも、ホラここにもホラホラホラ、と、たしかにいるのだが、あんまり騒ぐので可笑しくなる。
運転手さんは、地元のほうが蛍が沢山でトクイなのだった。全然比較にならんとですよホラホラホラ。
「あ、コービしよる。アララ、消えたね、電気ば消しましたかね。あはは」
とムチャクチャ陽気だ。楽しい人なのだ。ちょっと楽しすぎるかもしれない。
と、軽自動車がやってきて止まると、バタンとドアの音がする。
地元の人らしいおばあちゃんとその連れ二人。おばあちゃんの大きな声。
「あ、ゼーンゼン出とらん! 見るまでもなか、ゼーンゼン出とらん!!」
そして、またバタンとドアの閉まる音がして、その間二〇秒。軽自動車はとっとと帰ってしまった。
出とらんことはないのだ。一面に蛍である。
「こんなに出てるのにね」
と運転手さんにそう言うと、やや曖昧な間があった。本当はあんまり出とらんと思ってるらしかった。