TVを見ながらツマに言った。
「まーた小泉さんが熟慮してるよ」
「なーにー?」
ツマは台所でゴハンの用意をしているのだ。
水を出しているとこっちの声が聞こえにくい。
「なんだって?」
「いや、小泉さんがさ、ジュクリョにジュクリョを重ねてるんだよ。ジュクリョにジュクリョを重ねると都合二ジュクリョってことになるナ」
「都合って、どこにオーダー通してんのよ」
「いや、ジュクリョの数え方だナ、単に熟慮しただけならイチジュクリョ……」
「イチジュクリョって、なんかに似てるね、イチジクにも似てるけど、あッ、イケブクロか……」
「似てる!」と私は賛成した。
似ていたからって、どうってことではない。
大体からして、ふつうは熟慮を数えたりしない。
それから二人、同じ連想をした。
「えー、結婚生活には三つのフクロがございます」
というフレーズでこれは、もとは結婚式の司会の営業をしていた、落語家のヨネスケさんのネタなのだそうだ。
我々の宴会仲間のトモジくんが、「なんかアイサツしろ」と酒のサカナに要求されて、絶妙のタイミングでやったのが大受けして、以後、宴会の定番になってしまった。アイサツ口調がミソである。
「エー、宴《えん》、高輪《たかなわ》プリンスホテルではございますが、はなはだ千円札ながら、乾杯の温度計をはからせていただきます」
ほとんど小学生のダジャレだが、酔っぱらってる時の気分にとてもフィットする。
「いいぞトモジ!」
「あれをやれ! フクロ! フクロ!」
とリクエストが、必ず出る。めんどくさいのでトモジは断らない。
「えー、結婚生活には、三つのフクロがあるといわれております。一つは、あー、池袋。そして二つに沼袋、そうして、えー、三つが、東池袋……」
といってナゾのアイサツは、そこでブツッと終るのである。
なにしろ酔っぱらいなので、我々はたいそう喜んでいる。最初から意味はないと決まっているから、安心して、おおいにゲラゲラ笑うのである。
池袋、沼袋ときて、もうひとつそれらしいのをみつくろえずに、東池袋で間にあわせるってズサンな感じが「味」である。
しかし、オリジナルはなんだったんだろう?
と、酔っぱらってない頭で考えてしまった。
結婚生活で必要な袋は、まァ、ひとつは給料袋だろう。いまどき給料は袋に入ってはこないけど、なんといってもこれがなくちゃあ生活するのがややこしい。
二つめは、おそらく「堪忍袋」にちがいない。おたがい元はといえば他人同士なのであるから、ガマンということが肝心であります。
少々のことは堪忍袋におさめて、しかし、時々はヒモをゆるめてやりすごすというのも、知恵というものでございますとかいうはずだ。
だが三つめの袋とはなんだろう? お袋は結婚生活に入ってきちゃうまくないし、ぞうり袋はコドモが小学校に上がってからだ。
そういや、いまでも小学生はぞうり袋を持つのかな、だいたいゾーリなんて履きゃしないのに、なぜ「うわばき」入れを「ぞうり袋」といったのだろう? それをいうなら、クツを入れておく箱を「ゲタ箱」というし、エンピツ入れは「筆箱」だ。
いやいや、箱ではない袋の話だ。ふとん袋は夜逃げか引越しの時の話だし、浮き袋は海水浴、寝袋はキャンプ場、慰問袋は戦時中である。
私はTVを見ているツマに尋ねた。
「あのさァ、三つの袋って、なんだったのかなァ」
「だから池袋、沼袋、東池袋……」
「いや、もとになったほう、あれもともとは、いかにもなスピーチのハズなんだ。いかにもな袋っていうと何だと思う?」
「えーと、まず胃袋でしょ……」
「あっ、胃袋か! あーそれがイケブクロのもとだな、胃袋だ胃袋!」
「じゃ、あとの二つは?」
「堪忍袋と月給袋」
「あ、そっかァ、いいそうだねー、いかにもだねー」
「なるほど胃袋かあ、そーか、いえるなァ」
「なーに、そんなに喜んじゃって」
胃袋は、おくさんの手料理が、ダンナさんをひきとめる、もっとも、ダイジなフクロであります、とかいうな。きっと。
「やーねー」
「やーねーって、何が?」
「何がって、そーんなに喜んじゃって……三つの袋なんかで、そんなにジュクリョにジュクリョを重ねちゃってさあ」
「都合、サンジュクリョかヨンジュクリョくらい重ねた」
ツマには不評だが、私はこの三つの袋が、案外気に入ってしまった。虚心坦懐熟慮しちゃったので、あたかも自分で思いついたような心持である。