「みなさん、ちょっとご静粛にねがいます……」と、ワタナベさんが厳粛に言った。が、ワタナベさんの鼻には、ピエロのつける赤いタマ(スポンジ製)がついている。
ワタナベさんだけではない。そこにいる八〇人ばかりの人々は、どこかしらに必ず、赤いものをつけている。
大きな赤い蝶ネクタイをした人、ドレスアップして、手袋だけは台所用の真っ赤なゴム手袋をしている人、赤いメガネ、赤いポケットチーフ、赤いジャケット、赤いスカーフ、赤いストッキング、赤い帯、赤い靴。
私は頭に赤い小さなリボンをつけた。小学校の頃、上履きに赤い印をつけたあの要領である。
一週間くらい前にFAXで指令がきた。嵐山光三郎さんが還暦を迎えることになった。ついてはパーティーを開くけれども、本人には内緒で、当日ビックリさせようと思う。
本人は赤いチャンチャンコなんて嫌がるだろうから、魔除けの赤は、ワレワレが担当してさしあげよう。ということで、どんなものでもいい、服装のどこかに赤いものをつけて出席していただきたい。
当日は七時に、予約したレストランに当人を連れ出す手筈になっているので、時間を厳守していただきたい。遅れる場合は、時間をズラして七時半においで下さい。くれぐれも当人と路上で鉢合せになるような、ドジを踏まないように。
また、この計画が事前に洩れることのないよう、日頃の会話などにも十分にご注意をおねがいします。
というような、ていねいだが非常にプレッシャーのかかるような指令書なのだった。そのかいあって、出席者は定刻三〇分前に、ほとんど集まって、みんないいつけ通り各々赤いものもつけて来ている。
「いま、定刻の一〇分前です。オフィスの方から、いま時間通りに連れ出す旨の連絡が入っています。これからの手順を申し上げておきます。ご承知のように、嵐山さんはみなさんがここにお集りであるのは、まったくご存知ない。秘書のチエちゃんと、坂崎さんが嵐山さんを連れ出します。
こちらには大島さんがいて、待っている、ことになってます。ところが店は真っ暗です。スイマセン、ちょっと電気消してみて下さい。
ハイ、このように暗くなってます。で、なんだ休みじゃないか?! と、思う。そこに中村誠一さんのサックスが、嵐山さんの大好きなメロディーで演奏されます。アレ? というんで店内に一歩踏み入った途端、電気が点く。エー、この時一斉に拍手をおねがいします。
ご当人が着席いたしますと、また電気が消える、バースデーケーキが運び込まれてきます。今度はピアノで、中村さんがバースデーソングの伴奏をして下さいますので、全員でご唱和いただきまして、歌い終りましたら、いまからお配りするクラッカーを一斉に鳴らしていただきます」
「よろしゅうございますね? では、そろそろ時間が迫ってまいりましたので、いまから電気を消します」
「なんか、ドキドキするね」
「嵐山さんおどろくかねえ」
「ぐっときて泣いちゃうかね」
「しィーっ!!」
「静かに、静かに」
「まだ来ない、もう来ても……」
「しィ、来るから! 静かに!」
まるでかくれんぼでもしてるようだ。待っているとなかなか来ない。
見張りから合図がある。みんな息を殺す。中村さんのテナーサックス、そして点灯、大拍手。
嵐山さんがビックリしている。
「あ、ああ、おう、あー」とモゴモゴ言ったかと思うと、ことさら荷物を置いたりコートをかけたり、している。やっぱり、ちょっとクルものがあったらしい。
「どーもすいません、あ、ドモ」
などアイサツをみんなにしながら、着席。バースデーソングも、クラッカーも、すべて手筈通りにうまくいった。
みんなうまくいって、ウレシソウ。嵐山さんもうれしそうだ。人徳だなァ、こんなことされて、ぐっとくるだろうなァ、と私は思った。
ひととおり、アイサツなどあって、私の番が来た。マジメなアイサツは私には求められていないので、こんな時は必ずモノマネだ。
三船敏郎の声色で、声を太くする。
「えー、三船敏郎です。ひと言、ゴアイサツをいたします。嵐山さんは本日、カンレキになられたそうだが、私に言わせれば、マーダマダ! 小僧っ子であります。昔から! 四〇、五〇はハナタレ小僧、六〇、七〇はヨダレ小僧、八〇、九〇はクソタレ小僧といわれております。えー、立派な、クソタレ小僧になるまで! きばっていただきたい! 以上!!」
そういえば、赤瀬川原平さんが、カンレキになったのは五年くらい前だった。あの時は古式にのっとって赤い帽子とチャンチャンコを赤瀬川さんに着せて、写真を撮ったあと、順番に着回して笑った。
まだまだ先だと思っていたけど、あと五年したら、私もカンレキなのだった。
月日のたつのは早いなァ。このままじゃ、冗談ぬきに、一生、小僧のままだなァ、と思うのだった。まァいいか、とも思うのだった。