「えへへ、ドロボーしちゃった」
とツマは言った。ド、ドロボー? と声にはださないが、私がそうした気配を後姿に漂わせたのであろう、私が振りかえると同時に、ツマは三分の理を主張しはじめたのである。
「だってねえ、コイツ、誰からも見えないし、誰からも匂い嗅げないようなところに咲いてたんだよ、あそこの高速道路の脇んとこで……」
手には、クチナシの花が一輪、やや枯れかかった葉を四、五枚つけたヤツを持っている。
「それならしょうがない、なァ」
と私は即座にドロボーに加担した。そうしてコップに水を入れてくるとそこに挿したクチナシの、花の香りを嗅いだのである。
「あー、いい匂い」
とドロボー達は、連呼した。いい匂いを嗅ぐと、つい言ってしまう。
「あーイイ匂イ、あーイイ匂イ」
二日経つと、クチナシはしおれて、花びらも葉っぱも黄色くなってしまう。翌日、
「アレ?」
とツマが言ったので、私は白状した。実は私もドロボーしてしまったのである。たしかにそこは、誰も、そばに行って、花を見たり、匂いを嗅いだりはできない所だった。
高速道路の出口で、いつもはそこにクチナシが植わっているのさえわからなかった。たまたま、車が来ずにいたのをみすまして、さっと行って、さっと一枝ドロボーしてきた。
おとといのクチナシと、そっくりなヤツだった。けれども、葉っぱも花びらも、生き返ったようになっているから、たいがい気がつく。
「勝手な理屈かもしれないが……」
と私が弁明をしようとすると、ツマはコップをひきよせて言った。
「あー、イイ匂イ、あーイイ匂イ」
クチナシはいい匂いなのであった。その側を通るだけでも、イイ匂いではあるけれども、やっぱり至近距離にいって、思いっきりハナを近づけイキオイよく吸い込んだほうが、もっといい匂いである。
そうしておいて、瞑目するとさらに効果的なので、たいがいそうするけれども、そうする際はあたりを確認してからにしている。
そのようにしているところを、客観的に想起してみると、ちょっと「どうかと思う」からである。なんといっても、私は、ボーズ頭のお腹の出たオジサンである。
さすがに、夫婦で都合「二犯」してしまうと、もう後は花の命の終わるのを待つばかりだったのだが、おどろいたことに、今日がそろそろ臨終だろうという日に。
ドッサリ。実際にそれを置いたらドサッと音のするくらいに、大量のクチナシの花束を、持ってきた人がいたのである。
昭和のくらし博物館の館長でもある小泉和子先生が見えたのだった。昭和のくらし博物館は、大田区南久が原にある、民家をそのまま展示物にしたユニークな博物館である。
ここで、母の作る奇妙なヌイグルミの展覧会をすることになって、その打ち合わせに見えたのだった。
先生のおみやげは、いつもこんな具合の「昭和のくらし」っぽい感じで、すごくイイ。以前、秋に博物館を訪れた時には、帰りがけに、あチョット待っててネといわれて、庭の柿の木の枝ごとバキバキッともいで、キレイに熟れた柿の実を、沢山下さった。
「しかし先生、こんなに沢山……」
と、私はそのクチナシのドッサリ花束を持って聞いたのである。
「どうしてこんなに……」
もちろん、先生もドロボーしたと思ったわけではない。
「あー、うちの庭に生えてるのヨ、もう、タークサン生えちゃってて、いっくらでも生えてくるから。クチナシってのはね、もう、ズンズン、ズンズンふえるのよ」
「へえー、そんなに強いもんですかァ、葉っぱなんか、よく虫にやられてるの多いですけどね」
「そう、虫もすごいわネ、でも、ぜーんぜん、へいき。強いわよォ、こう、チョンと切って、土に挿しといたら、すぐつくもの、次から次にタークサン生えてくるわョ」
「えええッ? このくらいの枝でもですか?」
と私は、そのいただいたクチナシをかざして聞いた。ええ、もう、どんどんふえるわよ、ちょっとやわらかくした土に、ピュッと挿しとけばすぐつくから。
「そんなにカンタン?」
「えーえ、カンタンよォ」
と、先生は大いにうけあうのだった。
「伸ちゃん、挿し木しないの?」
と、ツマがズバリと聞いた。二日間ばかり、私もそれを考えていたのだった。これだけ沢山のクチナシの枝があるのだ。これをやわらかくした土に一本一本挿して……と考えていたところなのだった。
さっそくわれわれは、クチナシの挿し木をした。水をたっぷりかけて眺めていると、
「そんなにスグには根はつかないよ、抜いてたしかめたらダメだよ」
と、ツマがまたズバリと言いあてた。
あれからもう、一週間は経っている。どうも見たところ、ダメそうなのだが、まだ抜いてたしかめてはいない。生えてきたら楽しみなんだけど。