ツマが大ケガをした。
ころんですりむいたのである。ころんですりむいたくらいで大ゲサな、と思うかもしれないが大ゲサではなく大ケガである。
すりむいた皮が厚かった。ちょうどカシワモチの皮くらいの厚さに、ちょうどカシワモチの皮みたいな形にすりむいてしまったのだった。
すりむいた場所も、すごい。弁慶の泣きどころ、あの弁慶も打ったら痛くて泣くところだ。そこをぶ厚くスリムイタ。
救急車にひどく遠慮するタチのツマが、今回は素直に救急車を呼ぶのに同意した。いや、たしか自分から救急車を呼んでくれと言ったのだった。その時は私も、タダすりむいたくらいにしか思っていなかった。
ものすごくすりむいていたのに気がついたのは、救急車の中でだった。ストッキングをハサミで切り裂いて、傷口を見た救命士が、
「うへえ」と言った。ちょうどカシワモチのアンコをたしかめるみたいにめくれた皮の下に、黄色い脂肪層が見えていた。
私は救命士と二人で協力して、素早くフタをして、ガーゼでそこを隠すようにとめた。うへえ痛そーう。と、二人で顔を見合わせてしまった。
何度か救急車に乗った経験でいうと、救急車は乗り心地がよくない。スピードを出しすぎだし、サイレンを鳴らしてうるさい。急カーブや急ブレーキの連続で落ち着いて乗ってられやしない。
そういうところにもってきて、住所、氏名、年齢などを矢つぎばやに質問するのでコマル。自慢じゃないが、私は自宅の住所をウロ覚えだ。
モタモタしてると、ツマが全部スラスラ答えるのだった。あんなに痛そうなのに、よくもまァ、住所なんかスラスラ答えるものだ、と私は思った。
「えーと、年齢は?」
と聞かれた時は苦笑いまでするのである。そういえば、先刻、救急車を呼んで下さった人(その人は鎌倉のお坊さんだった)が、一一九番から、同じ質問をされたらしいシーンでも、ツマは笑っていた。
「石段で転倒されまして、ハイ。だいぶ出血してます。え? えーとそうですねえ、しじゅう……」
といってから、しばらくツマの顔を見ている。年格好を判断しているらしい。とりあえず四〇代と見た。
「四五です」
とツマは白状した。ちょっと苦笑いしている。いかがなものかと私は思った。いきなり四〇から始めることはない。そんなに結論を急がなくていい。
二〇代から始めろとはいわない、救急車を呼ぼうって時なんだから。しかし、三〇くらいから始めてもバチは当らないだろう。
ところで、なんで急に鎌倉のお坊さんが登場するのか、不審に思うかもしれないが、不審なことはないのである。ツマがころんですりむいた石段は、鎌倉のお寺の石段だったからだ。
病院は大船の病院だった。着くと即座にレントゲンを撮った。スグに上がってきたレントゲンのフィルムを見ながら、骨はなんともありませんね。リッパな骨だ。ジョーブな骨だとホメられたらしい。
ところがキズは、大きい上に一番治りにくい場所を、治りにくい方向につくってしまったようだった。ケガの程度を「なんハリ縫った」と形容するけれども、縫い合わせたハリ数だけでいうと、二〇や三〇にはなるだろう。
私は廊下のベンチで待たされていたのだが、救急病院というのは、おそろしいもので、急を要する患者が、つぎつぎひっきりなしに来るのである。
交通事故で、腕をどうにかしたのだろう、もう片方の腕で支えながら、痛みに耐える中学生くらいの男の子がいる。かと思えば、指をマンガみたいに包帯グルグル巻きにしたおばさんが、捧げ持つようにそれを持ちながら、受付で年齢を尋ねられている。
さらにサイレンが鳴って、今度はオバアさんがタンカで運ばれて来る。
待たされてる方の時間感覚でいうととっくにチャンチャンコくらいは縫い上がってるんじゃないかと思うくらいに待ったのだったが、
「どんな具合でしょうか?」と、遠回しに催促してみると、いま縫ってますからね、と、さとすようにいわれてしまった。
ツマの方は、それはたしかに麻酔はされていたわけだが、足をそうして縫いつくろってもらっている間にも、お医者さんの実家が我が家のご近所だったことやら、自分の次に救急車で運びこまれたオバアちゃんも、実は階段から落ちて、レントゲンで見ると、骨はポッキリ折れてたが、あんなにスカスカじゃ無理もないとか、まァ、さまざまなことを見聞きしてしかもよく覚えているのだ。そしてその間にもキズ跡が残らないよう、縫い目をコマカクおねがいとかってリクエストもしていたらしい。
しかも、施術が済むと、約束していた訪問先に、どうしても行きたいといって出かけるしという具合で、私はすっかりツマの動じないのに感心した。
ころんでから、四週間近くなるが、やっと一部の抜糸ができたくらい。なるほど治りにくいキズである。
しかし、毎日キズの消毒に通うツマから、病院の様子を聞くのがおもしろい。いま通う病院では、ツマは、
「鎌倉のお寺でころんだ人」
と呼ばれているらしい。曜日によって医師が替わる。カルテを見て、
「エート、ああ、カマクラノオテラデコロンダヒト……」と毎回いわれるそうだ。
ツマの「災難に動じない」強さが私はちょっと誇らしい。