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愛してると言わせて06

时间: 2019-12-07    进入日语论坛
核心提示:とり肌が立つ先日、ある出版物に短い原稿を書いた。しばらくすると担当者からすべてファックスカタカナにしてくださいが入った。
(单词翻译:双击或拖选)
とり肌が立つ

先日、ある出版物に短い原稿を書いた。しばらくすると担当者からすべてファックスカタカナにしてくださいが入った。
「原稿の中に『女』という言葉が二回出てきていますが、それを『女性』と直させて頂いて構いませんか」
私はあわてて担当者にファックスで返事をした。
「絶対に『女性』という言葉に直さないで下さい。私は『女性』『男性』という言葉が嫌いで、とり肌が立つくらい気持が悪いのです。どうしても『女』がダメなら『女の人』と直して頂く分には構いません。今までも私は文章の中で『女性』という言葉は使ったことがありませんし、普段の会話でも使いません。気持が悪いのです。どうぞおくみ取り頂いて、『女性』とは絶対にしないで下さい」
すぐに担当者から電話があった。
「わかりました。『女』のままで結構です」
ホッとした。もしも、どうしても「女性」でなければ困ると言われたら、その原稿は引きあげてしまうしかないなと思っていた。
担当者は何も言わなかったが、彼女の気持もわかる。「女」というとやや下品で、ややフェミニズムの臭みがあって、やや突っ張っていると思ったのではなかろうか。が、私は逆に「女性」という言葉にそれを感じる。「女」より「女性」の方に男との壁を作っている匂《にお》いを感じる。とりすましているのに淫靡《いんぴ》な匂いもするし、なのに無表情な言葉だとも思う。たとえば、
「ね、どんな男性が好き?」
と聞かれると、私は何か気持が悪い。
それよりも、
「ね、どんな男が好き?」
の方がいい。早い話が理屈ではないのである。これもいい言葉ではないが「生理的」に気持が悪いのである。
ふと考えてみたら、他にも幾つか生理的に嫌いな言葉があった。これらを私は日常会話でも、文章でもまず絶対に使わない。
ひとつは「彼氏」という言葉。これは嫌い。大っ嫌い。「彼」ならいいのだが「氏」がつくと突然下品になる気がして受けつけない。どうしてわざわざ「氏」をつける必要があるのか、どうしてもわからない。
もうひとつは「両想い」という言葉。これは大嫌いというほどではないが、私自身は使いたくない。芸のない言葉だなァと思う。「片想い」というのはとてもきれいな言葉で、きれいな語感である。だからといって両方が想いあえば「両想い」というのはあまりにも安直である。語感にも品がない。
むろん、この二つは脚本のセリフとして使ったことがある。私個人が嫌いでも、若い人の会話としては「今を生きている言葉」だからである。
「ミチ子ったらサァ、いつの間にか、テツオと両想いになっててサァ、今じゃ完璧《かんぺき》に彼氏だよォ」
これをたとえば、
「ミチ子はいつの間にか、テツオとお互いに想いあうようになっていてね、今じゃすっかり恋仲なのよ」
では「今」のリズム、「今」のスピードが出ない。生きていないのである。
そしてもうひとつ、大嫌いなのが、「生きざま」という言葉。これは日本語として間違っていると私は思っている。「ざま」という言葉は、もともと醜態を意味する語である。辞書を開くと「さま」は「ちゃんとした体裁。はずかしくないかっこう」とあるが、「ざま」には「人のようす、かっこうをあざけり、ののしっていう語」とある。「さま」が「ざま」になると正反対の意味を持つのだから日本語は面白い。
だから、その人の人生を肯定的にとらえる場合、「生きざま」という日本語は成立しないのである。が、これは知識層と呼ばれる方々も割と平気で使う。テレビや雑誌で、
「彼の生きざまには、私、感動しましたわ。立派ですわねえ」
などとコメントしている有識者を見ると、頭脳の「ざま」を疑いたくなる。わざわざ「生きざま」なんて言わなくても、「生き方」と言えばいいではないか。
もうひとつ。「エッチする」という言葉も好きになれない。これが使われ始めた頃、私は面白い言葉だと思っていた。その底には「今に消える流行語だから」という気持があった。たかが流行語、そんなものはバブルだから目くじらたてるほどのことはない。ところが困ったことに、これは消えずに定着し始めた。そうなると話は別である。私は許せなくなる。
この「エッチする」は確かに使いやすい。「セックスする」ではミもフタもないし、「寝る」の「抱く」のという類も使いにくい。「エッチする」は軽くて、逃げ道があるから使いやすい。
たとえば、女の子から、
「ねえ、抱いて」
と言って断られたら、これは結構恥しい。がしかし、
「ねえ、エッチしよーよォ」
と言って断られたら、
「えー、ヤなわけェ。ショックー」
で逃げられる。内心恥しくても体裁はとりつくろうことができる。そう考えると、他にいい言葉がないせいもあって定着しつつあるのは致し方ないが、それにしても日本語としてはあまりにもお粗末。流行語なら許せるが、これを「言葉」として平然と使いたくない。
「|両想いの彼氏《ヽヽヽヽヽヽ》と|エッチする《ヽヽヽヽヽ》ことは、|女性《ヽヽ》としてステキな|生きざま《ヽヽヽヽ》よ」
こんなことを言う人がいたら、私はきっと寝こむだろう。
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