大相撲九月場所の中日八日目、私はNHKの放送席に、ゲストとして石田ひかりちゃんと二人で座った。
「ひらり」の金沢プロデューサーから、
「内館さん、大相撲関係のナニカがちょっと入るかもしれませんので、八日目は体をあけておいて下さい。まだハッキリしないんですけど、ま、とりあえず」
と言われたのは何をかくそう、かなり直前である。金沢さんはあまり早くから言うと私が舞いあがって原稿どころではなくなることを計算したに違いない。今回初めてご一緒したプロデューサーなのに、本当に私の性格をよくつかんでいる。もっとも女友達に、
「アータの性格なんてつかむもつかまないも、簡単だもん」
と言われてしまったけど。金沢さんは私の舞いあがり防止のために、二重に予防線を張りめぐらし、
「大相撲関係のナニカ」とあいまいに言い、その上「まだハッキリしないんですけど」とぼやかしている。ホントに金沢さんって冷静かつ優秀なのよねえ。でも甘いね! 私は「ナニカ」の一言で、すぐに心の中で、
「ワワッ! これは絶対にゲストだッ」
とわかったもんね。普段は頭はぼけているが、私は大相撲がからむと何でもたちどころにハッキリする。
私は全然気づかないふりをしながらも、もうその日以来、頭は「ゲスト」の三文字のみ。マーケットでネギや大根を買っている時も、見栄を張るようだがデートをしている時も顔がヘニャヘニャとゆるんでたまらない。大根を手に取ってはヘニャら、男友達とヤキトリを食べてはヘニャら。さぞみんな薄気味悪かっただろうと思う。
何しろ当日、相撲中継の全スタッフを前に、思わず、
「朝ドラを書くことより、ゲスト席に座ることが夢でしたッ!」
と挨拶《あいさつ》し、スタッフは爆笑。同行してくれた金沢さんは冷汗をふいていたが、私はそのくらい嬉しかった。
ところで、優秀な金沢さんは初日が始まる頃にやっと明言した。
「ゲスト席にお座り頂くことが決定しました。午後二時に国技館に入って下さい。車を差し向けましょう」
ホントに金沢さんってスゴイ。「車を差し向ける」というこのアイデア。車なんか差し向けられては、私は朝から行けない。そこをちゃんと読んでいるのである。「この相撲ミーハーは、ほっとけば朝九時から行くだろう。そんなことされちゃ、原稿が遅れて困るんだよ。いささか出費だが、車を差し向けるに限る」と思っていたに違いない。
私は毎日毎日、どうしたら車をお断りして朝から国技館に行けるか、そればかり考えていた。
大相撲は朝から観ないと意味がない。客もポツンポツンとしかいなくて、照明も薄暗く、館内に相撲甚句が流れている朝から観なければ、相撲を観たことにはならないと思っている。だから「二時にお車で国技館入り」なんていう恥しいことは死んでもできない。大相撲は総武線で両国駅まで行き、混雑を予測して帰りの切符も買って、朝から観るというのが正しいのである。そして、お昼は館内の食堂でチャーシュウメンというのが正しい。それ以外は「曲がったこと」である。
私は朝から行く理由をあれやこれやと考えた。たとえばこう言う。
「『ひらり』に出てくる力士は序ノ口もいるし、ここは取材をかねてやっぱり序ノ口から一度観ておいた方がいいと思うんですよね」
そして、これはダメだと気づく。
「一度観ておく」も何も、金沢さんは私がいつも朝から行くのを知っている。よし、これならどうだ。
「本番であがってしまうといけないから、早めに行って放送席を下見しておきたいんです。ホラ、受験生も必ず校舎を下見するでしょ」
これもダメだと気づく。下見なら三十分も早めに行けば十分で、朝っぱらから五時間も何を下見するというのだ。そして考えに考えて、思慮深い私はついに正しい道を発見した。
「原稿を一日早く出しますから、大相撲は総武線で朝から行きますね」
これである。こういう真っ正直な王道で迫られては、いかに優秀なプロデューサーでもダメとは言えまい。そして私は鬼のように原稿を書いた。大相撲がからむといつもの十倍くらいの力がわき出てくる。
金沢さんは予想していたらしく、
「ごゆっくりご覧下さい。一日楽しんで来て下さいよ」
と言ってくれた。ところが問題はここからである。朝から行くと言ったら、NHKの相撲スタッフがのけぞったのである。
「あの……内館さん、今まで何十人ものゲストをお招きしていますが朝から来た人はいないんです。そんなに早く来て頂いても放送席が開いてないんですよ」
スタッフは明らかに迷惑そうであった。が、ここで引っ込む私ではない。
「放送席が開いてなければ、そこら辺に座ってますからお構いなく」
お構いなくと言われても、スタッフは本当に困っただろうと思う。が、とうとう私は朝九時に両国駅で入場券を受け取る約束を強引に取りつけてしまったのである。メチャクチャもいいところである。この場をおかりしてNHKの相撲スタッフに深くおわび申し上げ、心から御礼申し上げます。
そして、当日の朝九時、ついに私は一人で両国駅に降り立ったのである。以下次号!!