前回に引き続き、大相撲九月場所で石田ひかりちゃんと放送席に座った顛末《てんまつ》記である。
朝九時過ぎ、私が一人で国技館に入ると館内に相撲甚句が流れ、呼び出しさんが土俵を掃き清めている。照明も薄暗い。これがいい。この時点から私は静かに呼吸を整え、「今から相撲を観るのだ」と、身も心も真っ白にするのである。これが大切である。
ところがつい真っ白にしすぎて、お腹がすいてきた。思えば朝、コーヒーを一杯飲んだだけで飛び出してきたのである。私は館内の売店で、缶ウーロンとチョコレートを買った。すると包んでくれた若い女の人がニッコリして言った。
「内館さん、心の夫の水戸泉が勝つといいですね」
私の驚いたことといったらない。この人はきっと「週刊テレビ番組」の愛読者で、「心の夫」について書いた「ベティちゃん」を読んでいたのだろう。そして私の顔も写真で見て知っていたに違いない。見栄を張るようだが、私は缶ウーロンとチョコレートにしてよかったと胸をなでおろした。ワンカップにコロッケパンなんぞ買っていた暁には今後、どんなに気取ったセリフを書いても、それを耳にするたびにコロッケパンが彼女の脳裏に浮かぶだろう。
朝九時には放送席はあいていない。NHKのはからいで、私は向正面のラジオ中継席に座らせて頂いた。もちろん、マイクもデスクもカバーがかぶっており、まだ眠っている状態である。
こうして私は、序ノ口の最初の一番からほとんど席を立たずに、一人で観続け、午後二時にスタッフと打合せに入った。
私も初めて知ったのだが、中継というのは実に綿密に演出が考えられている。つまり、茶の間の客が一番見たいところを、ピシッと見せる演出である。それがA4の紙一枚にみごとにわかりやすく一覧表になっている。たとえば八日目でいうと、時津洋と琴稲妻戦のところで「新序出世披露」のVTRを見せるとか、玉海力と栃乃和歌戦の前に、十両勝敗の電光掲示板を写すとか、茶の間の客がちょうど見たがるあたりの頃あいを計算している。そして、武蔵丸と琴の若戦のところには「貴入場」と書かれており、カメラは貴花田を狙《ねら》うことが決まっている。私は中継というのはただ土俵と花道を適当に写していればいいのだと思っていたので本当に恥しかった。
何よりも感動したのは小さなA4の紙一枚で、すべてがピシーッ!! とわかるようになっていたことである。対戦力士の過去の勝敗から、どこで天気予報を流すかから、東西リポーターの動きから、すべてが紙一枚でわかってしまう。スポーツ中継というのはこんなにも陰の努力があったのかと思い、私は感動のあまりそのA4の紙を大切に頂いてきた。
そして打合せが終わり、いよいよ放送席に入るという時、声をかけられた。
「ヨオ! 内館さん、『ひらり』頑張れよ」
振り向くと陣幕親方である。私の「心の情人《アマン》」である。憧《あこが》れの人の一声で私はあがりまくって、のどがカラカラにかわいて、まっすぐに歩けない。金沢プロデューサーが心配して、缶ウーロンを買ってきて下さったが、手にびっしょりと汗をかいてどうにもならない。
あげく放送席に入ったらワナワナと震えが襲い、呼吸困難になってきた。
「か、か、金沢さん。す、すみませんが缶ウーロンをもう一本お願いします。わ、わ、私、もうダメ」
ひかりちゃんは隣りでケロッとして、
「アラ、内館さん、どしたんですか」
などとのたまっている。どしたもこしたも、私は死にそうなんだよッ!
こうであるからして、放送席で何を話したのか、私は今もってほとんど覚えていない。読者の中島進さんから先日お便りを頂き、「放送中に『水戸泉は私の心の夫です』と言い出さないかと心配でした』とあって、私は吹き出したが、家族友人もそれのみ心配していたのである。女友達は、
「心の情人《アマン》は陣幕で、心の弟は豊ノ海とか、しゃべりまくるんじゃないかと心配で相撲どころじゃなかったわ」
と電話をくれたほどである。
そして途中からひかりちゃんと私は向正面記者席に移った。ここは気楽である。A4の紙でいつカメラが私たちをとらえるか全部わかっているから、その時だけ気取っていればいい。ひかりちゃんも私もリラックスして、カメラがこない時は単なるミーハーである。
そして、私は公共放送のNHKである以上、絶対に「心の夫」だけを応援するのはやめようと思っていた。それに関してはほぼ百点満点の出来だと自負したとたん、突然カメラが私たちに向いた。A4の紙には書いてないのに、突然来たのである。予定通りにはいかないところが中継の面白さなのだが、勝ったものの、水戸泉の膝《ひざ》を心配して泣きそうになっている私の顔がバッチリと写ってしまった。ひかりちゃんに至っては「写ルンです」で水戸泉を撮りまくっているミーハーの最中である。特定の商品を絶対に出さないNHKなのに、はからずも「石田ひかりも愛用の写ルンです」を示してしまったことになる。こんなミーハー二人に「ひらり」を任せて大丈夫かと全国の人々は心配されたに違いない。
帰り道、金沢プロデューサーが、
「もうこんな思いは二度としたくない……」
と汗を拭いてつぶやいたのが「ゲスト席騒動」のすべてを物語っている。