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愛してると言わせて10

时间: 2019-12-07    进入日语论坛
核心提示:大相撲と男女平等先日、私のエッセイ集「あなたが好きだった」を読まれたという読者からお手紙を頂いた。私の書いたエッセイの中
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大相撲と男女平等

先日、私のエッセイ集「あなたが好きだった」を読まれたという読者からお手紙を頂いた。私の書いたエッセイの中に、気になったものがあったという。三十代の主婦で、とてもいい文章の丁寧なお手紙であった。私は直接お返事を出そうと思ったが、お手紙の中に「内館さんのご本は多くの人たちが手に取り、読んでいます。その影響力も強いでしょう。だからこそ、もしご存じないのだとしたらと思い、駄文を書かせて頂きました」とあった。私の文に影響力などあるはずもないが、彼女が気になったという私の一文を読んでいる方が全国にいる以上、私個人の意見をこの場で書く方がいいかもしれないと思い直した。
彼女が気になったという一文は、一九九一年二月にスポーツ雑誌「ナンバー」に私が書いたエッセイである。私はその中で「女を土俵にあげろという女の官房長官は間違っている。まげを結っている相撲界に、平成の男女平等は通用しない。女はカヤの外でいい」と書いた。誤解のないように申し上げておくが、これは個人内館牧子の私見であり、これを朝のドラマでひらりに語らせる気などは毛頭ない。ドラマは私物ではなく、まして自分のイデオロギーを登場人物に語らせる場ではない。もしも語らせる場合、それとまったく同じだけのパワーを持たせた反対意見をぶつからせ、結論は視聴者それぞれにゆだねる方法を取らねばならぬと私は思っている。土俵問題だけでなく、あらゆるすべての考え方に対してである。
彼女の手紙内容をかいつまんで書く。
「内館さんは女性官房長官を誤解している。以前、ワンパク相撲の地区大会で女の子が優勝したのに決勝に出られなかった。国技館の土俵にあがらせないと言って相撲協会が拒否した。初めから『女の子は参加できない』と言えばいいのに、『女が優勝するものか』と協会はタカをくくっていた。その時、女性議員が力を尽くしたがダメで、ついに彼女は『もし私が官房長官になったら土俵にのせるか』とつめ寄ったそう。協会は『女が長官になれるわけはない』とせせら笑ったらしい。彼女は決して浅はかな男女平等論で言ったわけではなく、無名の一少女が傷ついた痛みをずっと忘れなかった上での発言である。そこに私は感動する。内館さんはこの経緯をご存じなくて、彼女を誤解しているのではないか」
こんな内容の丁寧なお手紙であった。実は私はこの経緯はもちろん知っていた。知っていてなおかつ「ナンバー」に書いたのである。
相撲の歴史は『古事記』にある通り、タケミカヅチノミコトとタケミナカタノカミが勝負し、領土を争う力比べをしたことに始まるという。当時の力比べは一種の神占いであったとも伝えられている。その当時からの形を、基本的に変えずに受け継がれてきたものは、「文化」であると私は思っている。「文化」という意味では歌舞伎の女形も、宝塚の男装もまったく同じである。そこに平成の男女平等論は通用しない。
そしてもうひとつは、大相撲というのはもとは「神事」である。「女は不浄」という、今では考えられない時代錯誤の思想にのっとっているが、神事は宗教がベースであるから、これは時代錯誤も何もない。神をたてまつる掟《おきて》なのである。私個人は「女は不浄」とは全然思っていないが、そういう神事の掟の前では理屈や道理は通用しない。宗教というものはそういう世界である。「国技館の土俵は神が棲《す》む聖域で、不浄な女はのぼれない」と、神事の決めごととして定められている以上、それを肯定するか否かしかない。許せなければ近づかないに限る。
「女を土俵にのぼらせろ」というのは、キリスト教の教会でアーメンととなえるかわりに「南無妙法蓮……」と言わせろというぐらい、その神事のルールを改訂せよということなのだと私は思う。
ワンパク相撲に関して言えば、お手紙に書かれているように「女の子は参加できない」と言うのではなく、「地区大会には参加できるけど、国技館の土俵にはのぼれないんだよ」と丁寧に話し、相撲の歴史を語るべきであったろう。それを幼い少女が納得できるかどうかはともかく、「原点は神事」という意識を主催者側がきっちりと持っていたなら、それを心から説明すべきであった。
当時の新聞報道によると、官房長官は以前にも男しかプレーできない名門ゴルフ場に「女も入れろ」とかみついたという。これと同じレベルで「土俵にのぼらせろ」と言ったなら浅はかである。
ついでに言うと、私は私立のゴルフ場が「男のみ」と決めたなら、何もそこでプレーする必要はないと思う。そんなものは差別でも不平等でもなく、個々のゴルフ場のルールであり、デパートやホテルには「レディースクラブ」などという男子禁制がいくらでもある。むろん、女に不平等の歴史が長かった日本であるだけに、ナーバスになるのはわかるが、目くじら立てるほどのことではあるまい。男女差別、不平等というのは、たとえば同じ仕事を同じだけこなしても、女というだけで賃金条件が違ったり、昇進の道が閉ざされていることを言うと私は思う。
もうひとつ、土俵で内閣総理大臣杯を渡すのは本来は当然ながら内閣総理大臣の仕事である。地方場所では政務次官が、東京場所では官房副長官が渡すことが多く、女性官房長官が渡したがったのは、イヤがらせのために、単にシャシャリ出てきたに過ぎない。野暮の骨頂である。
彼女がシャシャリ出た時に、どうして総理大臣は、
「俺の仕事だ。俺がやるから引っ込んでろ」と言えなかったのか。まったく、どいつもこいつも野暮だなァ。
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