「ひらり」を書くようになって、初めて六十代以上の方々からレターを頂くことが多くなった。もちろんすべてではないが、私へのお説教レターというのがかなり目立つ。
何とお説教されるかというと、大きくわけて二つ。ひとつは私の「恋愛観」に関してであり、もうひとつは私の「結婚観」に関してである。どうも「ひらり」の登場人物と私個人がピタリとダブってしまうらしい。「恋愛観」に関するお説教レターを総合平均して書くと、こんな内容になる。
「あなたは恋愛に関して非常に不謹慎であり、今からでも遅くはないと思ってすぐに手紙をしたためました。平凡な主婦のゆき子が別の男にときめいたりするのは、言語道断です。それを平気で書くというのは、あなたがそういう人間だからでしょう。私は今まであなたのドラマを見たことがありませんでしたが、孫に聞いたところ、何やら刺青《いれずみ》のヤクザの恋物語や、十歳も年下の男との恋物語、果ては上司と情交を重ねた女子事務員の話も書いていたそうですね。私は、あなたがただれた愛欲生活を送っていることを見てとりました。
内館さん、愛とはもっと高貴なものです。大きな喜びとなるものです。どうか女として本当の幸せに目覚めるためにも、そういう暮しから足を洗って頂きたいと思います。『ひらり』のゆき子にも、正しい幸せな道を歩かせて下さい。これだけ申し上げてもわからなければNHKに連絡します」
これは何人かのお手紙を合成したものだがウソではない。「情交を重ねた」「女子事務員」「ただれた愛欲生活」というのは原文にあった言葉である。
「上司と情交を重ねた女子事務員」というのはTBSの「クリスマス・イヴ」で書いた清水美砂さんの役だろう。
「刺青のヤクザの恋」はNTVの「……ひとりでいいの」で書いた美木良介さんの役で、「十歳も年下の男との恋」は同じく、かたせ梨乃さんの役どころを示していると思われる。
どうも六十代以上の方々の多くは、私がすべて自分の実体験をもとにしていると思うらしい。刺青のヤクザと恋をし、その一方で年下をかどわかし、あい間に上司と情交を重ねていると思われれば、確かに「ただれた愛欲生活」もうなずける。あげく「ひらり」では不倫とくるからNHKに連絡してでも、私に更生の道を教えたいと思うのは無理もない。
しかし、「ただれた愛欲生活」などというものは、ほんの一握りの恵まれた女しかできないのである。できるものなら私だってしたいが、原稿用紙に脳を吸われて、ただれた指に軟膏《なんこう》をすり込むのが、精一杯の生活である。
もうひとつの「結婚観」へのお説教は合成するとこんなふうになる。
「あなたは愛のない、暗い家族で淋《さび》しく育った方なのでしょう。ゆき子の中にはあなたの結婚観がすべて出ています。ゆき子が毎日の暮しにときめきを感じなくなったなどというのは、あなたが家庭、家族に関して忌《いま》わしい思い出があるせいだと察しております。
内館さん、家庭というのは本来はもっとあたたかく、愛情に満ちて楽しいものなのですよ。あなたはそれを知るべきです。何も恐れることなく、あなたも家庭を作ってごらんなさい。娘を持ってごらんなさい。結婚生活というものがどれほどあたたかなものか、おわかりになるはずです。今まであなたは男にいいめにあってなかっただけなのです。きっといい人と巡りあえますよ。その時は何も恐がらずに、まず飛びこんでみることだと、強くお勧めする次第です」
これには私も寝込みそうになった。私はいつでも家庭を作る気で、何も恐がってはいない。ただ、「こんな女を妻にしたらこっちが大変だ」と男たちが恐がっているだけである。中には「家庭のあたたかさ」について書かれた新聞記事や雑誌の切り抜き、それに「ぼくのおかあさん」などという子供の作文を同封して下さる方もいる。
NHKにもきっとそんなお手紙が多いだろうと予想し、早めにスタッフに、
「私、男にいいめにあってますから」
と言って爆笑されてしまった。
これらのお手紙は、私の現実生活とはかけ離れた想像の産物であり、正直なところ、のけぞることも多いのだが、読み終えるといつもあったかな気分になる。見ず知らずの私に、こうして誠心誠意お説教して下さる人たちがいる限り、世の中というのは悪くないと思わされるのである。