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愛してると言わせて18

时间: 2019-12-07    进入日语论坛
核心提示:陰で支える女先日、新聞で面白い論争をやっていた。高校の運動部の女子マネージャーをめぐる論争である。発端は「女子マネのあり
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陰で支える女

先日、新聞で面白い論争をやっていた。高校の運動部の女子マネージャーをめぐる論争である。
発端は「女子マネのあり方は性差別を助長している」と教師たちが指摘したことに始まる。それをきっかけに女子高生が「マネージャーの仕事にも、みんなの役に立っているという喜びがあるので、性差別なんて言わないで」と投書。すぐに女子大生が「雑用は女の仕事であるという意識が定着するのは困る。そうなると才能を発揮したい女性は圧迫されるので、女子マネのあり方はやはりひとつの性差別である」と反論した。それをめぐって新聞では色んな意見をもとに特集を組んでいた。
「雑用も立派な仕事です」という意見があった。
また「どんな世界でも華々しく活躍する人たちの裏には、必ず陰で支える『縁の下の力持ち』がいる。それを雑用という言葉で片付けず、誇りを持つべき」という意見もあった。
そして「世の中はまだまだ男性中心。女は男の補助的存在という論理は、女の側にも受け入れられやすいのではないか」と、女の意識に疑問を投げかける意見もあった。
私と同年代の主婦は「男が仕事をしやすいように環境を整えるのが女の役割、と決めて考えないでほしい」と書いていた。
実はこの私、威張るほどのこともないのだが、女子マネージャーでは先駆者である。まだほとんど女子マネがいなかった昭和四十年代初期、武蔵野美大ラグビー部のマネージャーであった。
これはちょっと威張ってもいいと思うのだが、私は決してマスコット的なマネージャーではなく、完璧なまでにその仕事を一人でこなしていたのである。
美大リーグ戦に向けて主将やコーチと相談してトレーニングメニューを作ることから始まり、練習試合のスケジュール調整、交渉、お弁当の手配、薬品の準備、レモンや水の運搬。もちろんスコアもつける。その他、毎日の練習には必ず参加して、練習日誌を細かく書く。寒い時期でも吹きさらしのグランドに置かれたベンチから動けない。夏には菅平《すがだいら》で行なわれる合宿の準備、手配、宿舎の部屋割り、練習試合の交渉である。もちろん、経理も全部見ていたし、OBへの案内や寄付のお願いもやった。秋の学園祭ではラグビー部は毎年ゲイバー「おかま」という店を出していたのだが、ゲイボーイたちの女装の手配やら、はてはメイクまですべて手伝う。ジャージの洗たくは部員自身がやっていたが、部屋の隅にはまだ着られるジャージが泥んこのまま山になっている。それを見れば、やはり放ってはおけない。練習のあいまを縫って、それらの洗たくをし、破れていれば針と糸を持つ。もちろん、部室の掃除もあるし、運動部全体の予算会議にも出る。その他、忘年会の仕切りやら、卒業生の追い出しコンパの準備までこなした。
学費を出していた親には申し訳ないが、授業などまともに出てはいられない忙しさであった。その上、よく考えてみれば、何も面白くない仕事ばかりである。これがテニスだとかゴルフだとか、自分自身が部員として競技できるものならトキメキもあろうが、ラグビーでは参加しようがない。
それなのにどうして私が、当時は珍しかった女子マネを志願したかというと、理由は簡単。
ひとつは、女ができないことをする男たちのそばにいたかったこと。私は「男ってすごいわァ」「男ってカッコいいわァ」と思うのが単純に好きなのである。それにはテニスやゴルフなどの女もできる競技ではなく、サッカーよりももっと肉弾を感じさせるラグビーがベストであった。
もうひとつの理由は酔ってみたかったのである。「男を徹底して陰から支える女」というパターンに酔ってみたかった。
そしてもうひとつは、カッコいいラグビー部員と恋におちるかもしれないという期待。
お粗末な話だが、私はこの三つ以外には何の理由もなかった。「雑用も立派な仕事」なんていうごたいそうな思いは持ちあわせていなかったし、まして「性差別」なんてとんでもない。私はいわば「性差別」に酔いたかったのだから。それに「雑用に誇りを持つべき」などと肩に力を入れるほどのものでもない。
卒業までマネージャーをやり続け、私は十分に満足していた。「男ってすごいなァ」と何百回も思わされたし、男を陰から支えるのも間違いなく女のロマンだと気づかされもした。
今回の新聞の論争もそうなのだが、私にはどうしてもわからないことがある。なぜ何もかも「性差別」といえ意識でとらえるのだろう。女子マネが「性別役割分業意識を助長させる」なんていう難しい発想がどこから出てくるのか理解に苦しむ。
はき違えてもらっては困るのは、女子マネは自分から志願するもので、そこに飛びこむという本人の意志が働いている。男が女に向かって「お前は女だからマネージャーでちょうどいいんだよ。雑用やれ」と命令した話は聞かない。すべて女自身が何かを感じて「やってみたい」と思って飛びこむことである。入社時点から給与や昇進に差がある企業の男女差別とはまったく違う。何もかも「性差別」の名のもとに、やってみたいと思う女の子にまで門戸を閉ざされる方が困る。
「男ってすごいわァ」と思える青春期を持ったことを私は幸せに思うし、それが「才能を発揮したい女性への圧迫」につながるわけもない。
何でもかんでも「性差別」ではかると、「性の差」を意識することから生まれる豊かさを失うことになる。
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