前回に引き続き、NTVの小山さんの結婚式の話である。前回、私は野暮の骨頂とも言えるスピーチをしてしまったと書いたが、実はもうひとつ、孫の代まで恥しいことをやってしまったのである。
結婚式は三月二十日で、土曜日で春分の日。つまり祝日である。私は今でもOL時代とあまり変わらない暮しをしており、朝九時頃から仕事を始めて夕方六時には終える。「ひらり」のように追われる仕事の最中は夜も机につくが、普段はそういうことはあまりない。
それだけに、完璧にOL型だと思っていたのだが、自分でも気づかぬうちにOL時代とは違ってしまった一点があることに気づいた。
土・日、祝祭日に鈍くなっていたのである。つまり、休日の感覚に鈍い。
OL時代はもうひたすら、休日だけを指折り数えていたので、休日に対してはものすごく敏感であった。特に祭日はいわば拾い物の休日なので、忘れるわけがない。
ところが、脚本を書く仕事を始めてからというもの、休日は〆切り日をにらみながら自分で作れる。どうしても観たい映画が「本日まで」とあれば、「今日は仕事は休み」と自分で決めて、サッサと映画に行ける。自由業というのはカレンダー通りに働く必要は全然ないのである。
小山さんの結婚式の前日の金曜日、私は銀座の大きな文房具店で、豪華な御祝儀袋を買った。袋に見栄を張るわけではないが、三十六歳で年貢を納めた男にはこのくらいが似合う。それはもう鶴やら亀やら松竹梅やらがやたらとくっついていて、金銀の水引きがレーザー光線のようで、何とも豪華|絢爛《けんらん》にケバい。
私は普段、キャッシュをほとんど持ち歩かないので、豪華絢爛ケバ袋をレジに出した時、「銀行に寄らないと、袋の中に入れるものがないわ」と思った。思ったらすぐに寄ればよかったのである。ところが祭日の感覚に鈍いもので、「明日は土曜日でキャッシュコーナーはあいてる。そうだ、結婚式に行く前に寄ればいいんだわ」と思ってしまった。何しろ、心の夫水戸泉が五連敗の泥沼。心の年上妻としては、銀行に寄るより一刻も早く帰って、テレビで声援したかったのである。
そして結婚式当日、自宅近くの銀行に寄ったらお休みである。私は「あら、店内改装かしら」と思ったのだから、結婚式にふさわしくお目出たい。次にJRを渋谷《しぶや》で降りて、駅近くの銀行を二軒回ったがシャッターが降りている。それでも私は「土曜日って銀行はお昼からだったかしら」と思ったのだから、ますますお目出たい。
こうして地下鉄銀座線で赤坂見附に向かいながら、私は「そうだ、土曜日は全銀行の半分しか開いていなかったんだ」と気づいたのである。気づくも何も、そんな規則はまったくない。よくもこれで「ひらり」に銀行マンの父親を登場させたものである。
赤坂見附駅付近は銀行が集中している。私は駅前の東海銀行に行った。閉まっている。さすがにおかしいと思い始めた。「きっと銀行組合の創立記念日か何かで休みなんだわ」と思い、すぐに駅ビルに走った。ビル内にキャッシュコーナーがあったのを思い出したのである。町の銀行は休みでも、駅ビルの銀行は駅ビルが休まない限り、休まないものだと思いこんでいた。
ところが休みである。さすがに茫然《ぼうぜん》と突っ立っている私に、店員さんが声をかけた。
「今日は祭日ですからお休みです」
全身の血が一度に逆流した。結婚式まであと二十分しかない。私は外に飛び出し、タクシーに手をあげた。すると運転手さんが言ったのである。
「確か、祭日でもあいてる銀行を見たことがあるよ。この先で」
「ホント!? すぐに行って下さいッ」
運転手さんは赤坂の通りを走り回り、何軒もの銀行の前につけたのだが、全部閉まっていた。
「イヤァ、カン違いだったな。祭日じゃない日に見たのかもな」
運転手さんのことは責められない。思えばタクシードライバーも休日はカレンダー通りではないのだ。
私はこうなったら出席者の井沢満さんに借りるしかないなと、タクシーの中で腹をくくっていた。
ところがイザとなると言えたものではない。控え室でみんなが華やいで歓談している最中に、いくら私でも井沢さんを物かげに引っぱりこみ、
「お願い。お祝いのお金貸して。豪華絢爛な袋だけはあるの」
とは言えない。この期に及んでも、男に対してはカッコつける私の愚かさよ。
とうとう、あの鶴やら亀やら松竹梅やらの豪華絢爛ケバ袋はカラっぽのまま、私のハンドバッグから出ることはなかったのである。
その夜、恥をしのんで小山さんの自宅にファックスを入れた。
「……そんなわけで、品物でお祝いしたいと思います。何か足りない物がありましたらおっしゃって下さい」
すぐに小山さんから返信が届いた。
「笑いました。本当にあなたって人は必ずオチがつくね。足りない物は何もありませんからご心配なく。それより明日から妻とヨーロッパです。では元気に新婚旅行に行って参ります。バイバーイ」
一度でも私と仕事をご一緒したプロデューサーは、私のドジには慣れているが、ここまでアテにされていないとは思わなかった。
考えてみれば、足りない物がありすぎるのは私の方だった。注意が足りなく、落ちつきが足りなく、キャッシュが足りなく、あげく夫まで足りないのである。