「ひらり」で阪神タイガースファンの外科医・小林雅人を演じてくれた橋本潤さんから、ある日ハガキが届いた。小林は「六甲おろし」ばかり歌っているので、ドラマの中では「ロッコー小林」と呼ばれていた。
「内館さん、僕は四月十日の阪神タイガースの開幕戦で始球式をやることになりました。ロッコー小林、最後の大仕事であります」
私は二十年以上前からプロ野球は一切見ない。野球と名のつくものは高校野球も一切見ない。大相撲を愛するあまり「野球と相撲と両方見るのは節操がないわよ。早稲田と慶応と両方を愛するようなものよ」とメチャクチャな論理で、それ以後、野球は一切見ていない。そのくせプロレスは熱狂的に見続けているのだから、いい加減である。
しかし、野球を見ない私には「開幕戦の始球式」というのがどれほどスゴイことか全然わからず、「ふうん」の一言でハガキを引き出しにしまった。
ところが、このニュースを聞き知った「ひらり」のスタッフたちが、みんなムッとしているのである。
「開幕戦の始球式なんて人生にあることじゃないよ。頭くるなァ、ロッコーめ」
「阪神は今年、久々に甲子園で開幕戦だろ。ギッシリのアルプススタンドで始球式なんてムッとくるよなァ」
私はスタッフに聞いた。
「ねえ、そんなに嫉妬《しつと》するほどスゴイことなの?」
「スゴイよ。ロッコーなんておそらく毎日、投球練習してるよ」
「そう言えば、ハガキは墨で書かれていて、字に気合いが入ってたわ」
「だろ」
「開幕戦の始球式って、相撲で言えばどういうこと?」
「アナタに説明するのはホント理屈じゃないよな。まァ……何ていうか、横綱の土俵入りでロッコーが露払いするようなもんって言えばいいのかなァ。ま、ちょっと違うけど、スゴさは同じだよ」
私は「露払い」と聞いて、ロッコーの大役がどれほどのものかイヤというほどわかった。私は相撲に置きかえれば何でもたちどころにわかってしまう女なのである。と同時に、露払いという大役にロッコー小林を選んで下さった阪神タイガースに、心からお礼を申しあげたい気持になっていた。
実はロッコーが「ひらり」に登場するや、大阪の皆さんからたくさんのお手紙が寄せられたのである。新聞に投書も出ていたが、江戸前の「ひらり」に突然、浪花《なにわ》の男を登場させて大阪をバカにしているという声である。まして声高に「六甲おろし」を歌う男なんて、これはもう巨人ファンの東京人が、阪神タイガースをバカにしているとしか思えないというものも少なくはなかった。
これらの声は私自身の思いとあまりにかけ離れていて、実は仰天したのである。私は大阪がとびっきり大好きである。もう何年も前から、インタビューなどでは必ず答えていた。
「世界中の都市の中で、東京を一番愛しています。二番目はパリでもニューヨークでもなく、大阪です。東京以外に住みたいのは大阪で、もしも大阪で長期の仕事があったら、私は大阪にアパートを借りて暮したい」
大阪という都市のどこが好きかといって、東京に絶対に迎合しない個性の強さがいい。地方都市が東京化してくる傾向がある中で、大阪はどこまで行っても「西の横綱」を張り通している。東京という「東の横綱」の下で「東の大関」に甘んじようとは絶対にしない。そこがいい。
私は大阪人も好きである。私の友人が大阪のバーで「闘魂こめてー」と巨人軍の歌を歌い、大阪人から叩《たた》き出されたエピソードがある。もし、大阪人が東京で「六甲おろし」を歌っても、江戸っ子は叩き出すことはまずしない。私は大阪という町、大阪人という人たちの持つ熱さのようなものに、たぶんどこかで憧《あこが》れている。
そんな思いがあって、私は「ひらり」の中にロッコー小林を登場させた。江戸前文化の中に、突然異質な浪花文化が殴り込みをかけたら、どんなに緊張感が出るだろうという思いがあった。
ドラマの中で小林が使う大阪弁や、小林の大阪人気質は、現実の大阪とは違うという指摘も、大阪から届いた。が、ひらりや銀次らが使う江戸弁、江戸っ子気質も現実の東京とはいささか趣きが違っているのである。私はひとつのユートピアとして、「両国五丁目」という夢の町を作り、江戸気質を現実よりも隈取《くまど》り濃く書いた。その意味とまったく同じように、ロッコー小林も現実の大阪よりも隈取り濃い浪花っ子として登場してきたといえる。
私は大阪には縁がなく、実際には大阪を知っている人たちにブレーンになって頂き、大阪弁も橋本潤さん自身が江戸前の隈取り濃さと対比しながら、考えてくれた。大阪や阪神をバカにするどころか、ドラマのラストでは小林が江戸前の竜太を叩《たた》きのめして、恋の戦争に勝っている。これは私の中では初めから決めていたことであった。
とはいえ、そんなことはドラマの結末を知らぬ皆さんにはわからぬことであり、「大阪をよくも」と怒るのも無理はない。それだけに、今回の阪神タイガースの決断は嬉しかった。ロッコーの純粋な愛情をわかって頂けたとホッとしている。
今季、私は阪神タイガースの試合だけは見ることにした。