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愛してると言わせて40

时间: 2019-12-07    进入日语论坛
核心提示:仕事は宗教?高校時代の男子同級生から電話があり、ゴルフに誘われた。私はすぐに断った。ゴルフはさんざんやったが、まったく素
(单词翻译:双击或拖选)
仕事は宗教?

高校時代の男子同級生から電話があり、ゴルフに誘われた。私はすぐに断った。ゴルフはさんざんやったが、まったく素質がないと気づき、やめてしまったのである。
同級生は残念そうに言った。
「俺、久々のゴルフだから同級生コンペで盛りあがろうと思ってたのに」
私は驚いて聞き返した。
「ゴールデンウィークはゴルフツアーだって言ってなかった? ハワイだかグアムだかに行くって」
「それが突然仕事でサ、ゴールデンウィークは休みなし。トラブル処理はすぐにやらないと信用問題だからサ、休んでるわけにいかねえもンな」
「ゴールデンウィーク、休みゼロ?」
「何だかんだと会社に出て、結局二日くらい休んだかなァ。ま、いいんだよ、家で邪魔にされるより会社の方が」
「よくそう言うけどサ、男の人」
「イヤ、休みたいよ。休みたいけど、アンタのように一か月も休暇とったら、会社に机なくなっちまうよ」
「だって私は四年間、休みなしだったんだもの」
「だけど俺、一か月も仕事離れてられないな、たぶん。何だか拠《よ》りどころがなくなるっていうか……何かうまく言えねえけどサ。恐いよ」
企業の中間管理職にある同級生の「拠りどころ」という一言を聞いた時、私は唐突にローマの骸骨寺《がいこつでら》を思い出していた。
パリで一か月暮している間に、私は一週間だけイタリアの各都市を小旅行した。ローマで泊まったホテルは、骸骨寺という奇妙な名前の寺院の近くにあった。私はその名に興味を持ち、ある夕方に骸骨寺の中に入ってみたのである。
びっくりした。骸骨寺について何の知識もなかっただけに、腰がぬけるほど驚いた。寺院の内装がすべて聖職者の人骨で飾られていたのである。天井の壁は美しい白い石でモザイク画になっていたのだが、その白い石はよく見るとすべて人骨であった。寺院の中は五つの部屋にわかれており、どの部屋もみごとなまでの人骨モザイク。そして各部屋には修道僧の聖衣を着た骸骨が横たわり、それを守るように同じ聖衣の骸骨が何体か立っている。
改めて思ったのだが、人骨というのは本当にさまざまな形をしている。指の骨は細くて美しいし、ノドの骨はハート型に近い。胸の骨はゆるいカーブを描いている。それらを一片たりとも無駄にしないように、びっしりと埋めこんだのだから、実に美しいモザイク画である。
この寺院は、キリスト教の中でも戒律が厳しいといわれるカプチーノ派のもので、修道僧たちはコーヒー色の聖衣を着ている。コーヒーの「カプチーノ」はここから呼び名がついたという。
確かに、私は最初、人骨の内装にはドギモを抜かれた。狭い了見を承知で言うが、「悪趣味」とさえ思った。
しかし、圧倒されるような人骨モザイクと、カプチーノ色の聖衣の骸骨を見続けているうちに、これが「拠りどころ」というものかもしれないと思い始めてきた。「拠りどころ」つまり「宗教」である。聖職者たちの骨を使うという発想そのものが、いかに彼らにとって宗教が心の支えであるかを物語っていると私は思う。おそらく、天に召されていく聖職者は、喜んでモザイクの一片になることを望んだと思うし、現に今生きている修道僧たちも、さほどの違和感は持たないのではあるまいか。宗教との縁が薄い日本人には理解しがたいことだが、宗教というものは、ここまで「心の拠りどころ」になりうるのであろう。
むろん、これと企業戦士を同格に扱う気はない。特に一時代前の企業戦士と現在とでは違ってきている。「過労死」という悲惨な事実に対する撲滅運動も盛んになっている。それでもやはり、企業で自分が必要とされ、そこでの仕事が心の拠りどころと思う日本人は少なくない気がする。
以前、あるテレビ番組で興味深いドキュメンタリーをやっていた。海外に単身赴任しているお父さんたちが、正月を二日間だけ家族と日本で過ごし、一月三日に再び外国へ戻って行く。そのお父さんたちが成田空港でマイクを向けられ、語る。
「向こうでみんなが待ってますし、仕事もこれ以上放っておけませんので」
「短い正月休みで情けないですけど、向こうに仕事が山積してますから」
こういうコメントを聞いて、スタジオの外国人コメンテイターが言った。
「僕の国ではこんなことはありえない。こんなに仕事をして何になるんですか。だから日本人は働きすぎと言われるんです」
私はその時、違うと思った。みんなが休んでいる正月三日に、家族と別れて単身外国に戻る男たちに、ある種の恍惚《こうこつ》感が確かに見えた。そして私個人は、そういう恍惚感を持つ人がいるのは当然だと思うし、肯定もする。
非常に乱暴な言い方だが、宗教を持たぬ日本人にとって、仕事はひとつの宗教に近いように思う。宗教の厳しい戒律にひれ伏す人に、ひとつまみの恍惚感はあろうし、それは休日まで捧げる犠牲にひそむ恍惚感と、どこかで似ている。
外国人が「日本人は働きすぎだ。休め」というのは大きなお世話で、それは彼らに祈ることをたまには休めというのに近い。
後日、先の同級生は現地工事先から絵はがきをくれた。消印は同級生コンペを予定していた日だった。
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