先日、テレビ局のプロデューサーとお会いした時、視聴者の方々からのお手紙を手渡された。
お手紙を下さった方々にはいつも申し訳ないと思うのだが、返事がまったくといっていいほど書けない。テレビ局や出版社に届いた私宛の郵便物は、すべて確実に手渡して頂いており、私はもちろんすべて読む。中には、
「本当に読んだという証拠に、同封のハガキに〇印をつけて返送して下さい」
などというのがあったりして苦笑させられるが、〇印ハガキが返送されなくても、本当にすべて目を通している。わざわざお手紙を下さることを、私は本当にありがたいと思うし、反応があるということはドラマの不評、好評にかかわらずうれしいものである。
そして先日、プロデューサーからズシリと重いお手紙を手渡された。開いてみて驚いたのだが、何と便箋《びんせん》二十五枚である。きれいな文字でギッシリと二十五枚書かれている。
読み終えた時、私は行間からあふれるパワーに圧倒され、のどがかわき、思わず冷蔵庫から麦茶を出していた。
内容は「脚本家になりたいが、どうしたらいいのか。大至急教えて欲しい」というものである。そして、自分がいかに脚本家という仕事に夢と情熱を持っているかがギッシリと書いてあった。
私のところに寄せられるお手紙の多くは、この「脚本家になる」ための問い合わせである。「大至急教えて欲しい」と言われても本当に困る。脚本家や俳優や歌手などは国家試験で資格を得る職業ではないだけに、方法などは「あって、ない」ように思う。逆に言えば「ないようで無数にある」とも思う。結局はよくわからず、こんな返事をもらったところで答にもなっていまい。
ただ、私個人の体験だけから言えば、脚本家になるにはとりあえず養成学校に行くのがいいと思う。今、全国にはたくさんのシナリオスクールがあり、デパートや新聞社が主催するカルチャー教室にも、シナリオ講座というのはたいてい入っている。
映画、テレビドラマの「脚本」、ラジオドラマの「脚本」、舞台に使う「戯曲」には、それぞれ書き方のルールがある。もちろん、そのルールを頑固に守る必要はないのだが、それでもそのルールを知っている必要はある。以前に頂いたお手紙に、
「俺は型にハマったことが嫌いなので、小説形式で脚本を書きたい。セリフやト書きにとらわれたくない。そういう俺はどうやったら脚本家になれるでしょうか」
というのがあった。が、セリフとト書きで書かれているのが脚本であり、小説を渡されてもすぐには撮れない。それは原作としては通用するだろうが、脚本家がセリフとト書きに直さなければ現場は動かないのである。また、先の二十五枚のお手紙には、
「ところでト書きって何ですか。どうやって書くのですか。脚本家はセリフも書くのですか。それともセリフは俳優が自由に言うのでしょうか。私は脚本家が自分の天職だと思っていますので、大至急教えて下さい」
とあった。ハッキリ言って、こういうことも知らずに「脚本家が天職だ!」と叫ばれても困るのである。むろん、最初は知らなくて当然であるから、その最低限のルールだけは養成学校で習った方がいい。
脚本家はストーリーもゼロから作るし、セリフもト書きも全部書く。それが「脚本家」という人たちの仕事である。ラジオドラマの場合は効果音の指定も書くし、シーンの転換法も目で見えるテレビや映画とは違う。そういう技術的なことはすべて学校で習うのが一番近道である。
またある時は、ぶ厚い原稿のコピーと一緒に怒りのお手紙が来た。
「色んなコンクールに応募しているのですが、全然通りません。でもすごく自信のある作品です。コンクールというのは審査員がろくに読んでいないと思う。内館さん、読んで下さい」
私は原稿やプロットを送って頂くと、読まずにすぐにプロデューサーから返送して頂く。私ごときがその原稿に対して責任ある答を出す立場にはないし、自信もない。ただ、その原稿をプロデューサーにお渡しする時に見て驚いた。原稿用紙の使い方がデタラメだったのである。第一ページの一マス目から、最後の五〇〇ページの最終マス目までギッシリと文字で埋まっている。セリフやト書きの判別もつかず、段落もない。あげく、応募枚数は「二百字詰原稿用紙で二五〇枚まで」と規定されているのに、五〇〇枚ある。これではいくら本人が「自信作」と言おうが、コンクールに通るわけがない。どのコンクールでも審査員はキチンと読んでいる。が、脚本の場合は最低限の書き方のルールを知らないと損をする。ルールを修得した後は自分しだい、としか言いようがないが、私に「大至急返答せよ」と書く時間があれば、養成学校の申込書を書いた方がいい。
それにしても、脚本家というのは端で考えるよりずっと地味で、気持の安まらない仕事である。それでも私はこの仕事が好きなので苦にならないが、原稿用紙のマス目を埋めるだけの毎日である。芸能人と接触があるからといって、派手な仕事ではない。
そして、芸能人も決して派手ではない。いい仕事をし続けるために、彼らが続けている陰の努力や苦悩を知ると、仕事というのは本来地味なものだということが、痛いほどわかるのである。