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愛してると言わせて47

时间: 2019-12-07    进入日语论坛
核心提示:脚本 内館牧子向田邦子さんが飛行機事故で亡くなられて、今年の八月二十二日でもう十二年になる。十二年前の一九八一年、私はま
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脚本 内館牧子

向田邦子さんが飛行機事故で亡くなられて、今年の八月二十二日でもう十二年になる。
十二年前の一九八一年、私はまだ会社勤めをしていた。その年の三月に「ドラマ」という雑誌に応募した脚本が佳作を頂いたものの、脚本家として仕事ができるなどとは全く思ってもいない頃であった。
私は自分自身のデビュー作を聞かれると、
「ラジオは書いていますが、本格的なテレビドラマの脚本デビューは、八八年十一月の『バラ』という作品です」
とお答えしている。
テレビドラマデビューしてから五年もたっていないことになるが、どう考えても「バラ」なのである。これは日本テレビの水曜グランドロマンで放送され、主演岸恵子、菅原文太、監督恩地日出夫という、超豪華メンバーのデビュー作であった。
むろん、その前に映画「BU・SU」を書いている。しかし、たくさんの映画賞を受けた「BU・SU」には、私の脚本のセリフもコンセプトも全くといっていいほど生き残っておらず、あれを脚本デビュー作というのは詐欺に等しい。「バラ」の前に、NHKの「中学生日記」も書いている。ただ、「中学生日記」の中学生たちは、全員がシロウトの中学生たちであり、それだけに臨場感はあるのだが、私の思う「テレビドラマ」というくくり方からは少しはずれるような気がした。
私は「バラ」のお話を頂くまでの間、テレビドラマが書きたくてたまらなかったのだが、全然仕事が来ないのである。プロデューサーや監督と話し合いながら脚本を一人で書き、俳優さんが演じて下さるというドラマを夢見ていたのだが、企画書を書く話さえない。
女友達にとうとうある日、言われた。
「自分から持ち込まないと、あなたになんか一生仕事は来ないわよ」
持ち込みというのは少々見栄が邪魔をしたが、私は当時テレビ朝日でやっていた刑事ドラマ「特捜最前線」にストーリーを持ち込んだ。プロデューサーを存じあげていたのである。彼はストーリーを読み、
「面白いね。脚本にしてごらん」
と言って下さった。私は脚本家デビューの日がいよいよ来た! と思い、夢中で書いた。プロデューサーと話し合いを続け、五回ほど直したある日、言われた。
「申し訳ないけど、このレベルでは放送できない。たぶん、これ以上直しても、よくなるとは思えないんだよ。ストーリーは面白いから、誰かプロの脚本家に書いてもらってもいい?」
私はやはりプロからはほど遠かったのである。プロデューサーは優しい人で、力を落としている私につけ加えた。
「君に脚本家として素質がないって言ってるわけじゃないけど、ただ、刑事ドラマにはむかないかもしれないね」
その作品は、第一人者のプロがみごとに面白く書いて下さって、私の名前は「原案」として画面に出た。
女友達はみんな「一回でめげるな。また持ち込め!」と言うのだが、とてもそんな気力はない。また夏が来て、風鈴はチリンチリンと鳴るのだが、仕事の電話はチリンとも鳴らない。
そんな時、NHKのプロデューサーから突然チリンと鳴った。
「向田邦子の『男どき女どき』を朗読ドラマにしたいんだけど、やってみない? 本の朗読が中心だから、脚本というよりは構成だけど」
これは本当に面白い仕事であった。スタッフと舞台地の秩父《ちちぶ》をシナリオハンティングしたのも初めての経験なら、岸本加世子さんをはじめとする俳優さんが、私の書いたセリフを言って下さるというのも初めての経験であった。
私は朗読の間に、私自身が作った短いオリジナルドラマを挿入する構成を立てた。向田さんが亡くなってから四年後の一九八五年のことであり、ナレーションはすべて「向田さん……」という呼びかけで書いてみた。これは、私自身が憧《あこが》れていた向田邦子への、私自身の呼びかけであったと思う。
この「男どき女どき」は二十分ドラマが連続五回であり、第一回目には画面に初めて「構成 内館牧子」と出たのである。一番喜んでくれたのはたくさんの女友達である。
「これで今に脚本の仕事がくるわ。何てったって画面に名前が出ないことにはアナタなんて生きてることさえ、誰も知らないんだからサ」
「アチコチに電話かけて、PRしといたわよ。だから明日の第二回目からはもっとみんな見るわよ」
「友達の名前が画面に出るって、いい気分だわァ」
ところが、なぜか第二回目からは私の名前が画面に出なかったのである。構成というのは一回目しか出ないものなのかもしれないが、理由はよくわからなかった。全五回が終了すると、女友達からたくさん電話が来た。
「番組の途中で出るかもしれないと思って、トイレにも行かずに見てたのに……」
ニュース速報じゃあるまいし、と笑ったが、私はこんな女友達に支えられて、今日まで歩いて来ることができたのだなァと、しみじみ思う。それと同時に、幸運なことに「脚本 内館牧子」とクレジットされる場を与えられている現在が、贅沢《ぜいたく》に思えてならぬ。何があろうと手は抜けないと思う。
八月二十二日の命日には、名前のない「男どき女どき」のビデオを見ようと思っている。むろん、トイレにも行かなかった女友達みんなとである。
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