魚を飼っているということは、そんなに珍しいものなのか。金魚ぐらいなら、どこの家にでもいたはずだ。
ところが私が魚を飼っていると言うと、まだ水槽の数も聞かないうちから目を丸くする人もいる。ナマズもいるというと、
「あら、じゃあ地震を予知するため?」
と当然のように言ったりする。こういう人は、
「子供は三人います」
というような人に、
「あら、じゃあ老後を守るため?」
とすぐ聞くような人なのだろうか。不思議だ。今どき猫だってネズミをとってもらうために飼ってるという人は珍しいだろうに。魚とはそんなにも、ただ飼ってるだけでは何の役にも立たないという印象の強いものなのだろうか。
「話しかけても何も応えてくれないでしょうに」
と言う人もいる。そんなとき私は、
「いいえ、大切に育てれば心は通じるものなのですよ」
などというくそったれなことは言わない。エサをやろうとすると寄ってくるような魚よりも、人の影におびえ、時には攻撃してくるようなものの方に魅力を感じるからだ。
くそったれと言えば鑑賞用という単語もくそったれである。サンゴ礁の熱帯魚が蛍光色なのは、身を守るためだ。沖縄のガラス底ボートに乗ったとき、まき餌のために太ってしまった蛍光色の熱帯魚がボートに寄ってくるのは複雑な気持ちだ。サンゴ礁の熱帯魚は、キレイだということになっているようだが、あれも五十センチ越えてくるとバケモノにしか見えない。きゃあきゃあ喜んでいる人もいたが、何がそんなに嬉しいのだろうか。
鑑賞用に、などという気持ちだけで魚を飼う人は大抵失敗するはずだ。私は、わざわざ人が醜いと思うものを飼っているつもりはないが、私の事務所の水槽を見て、困ったような、見てはいけないものを見たような顔になる女性も、たまにいる。
今、飼っているものは、
○シルバーアロワナ。人相の悪いタチウオのような奴。
○アストロノータス。これは、海外赴任するから、だれか可愛がってくれる人にあげてくれと、知らない人が行きつけのショップに置いてったのをもらってきた。大喰いの、丈夫な奴。
○プレコストムス。口に吸盤のついた、ヨロイを着たナマズ。
○オキシドラス。おとなしいナマズ。
○レッドテールキャット。活動的なナマズ。
○ポリプテルス。肺魚の関係者。
このへんが全部アマゾンものだと思う。そういえばアマゾンものだというと、
「ピラニアとか?」
というのももう百万回くらい聞かれた。あとはアフリカのカエル(ベルツノガエルといいます)、アホロートル(ウーパールーパー)、それからもっとちっちゃいいろんなもの。それが、九十センチ水槽三本を含む、十いくつの水槽に分かれて暮らしている。
エサは、糸ミミズか金魚をあげる。カエルも金魚を飲んで生きている。やはり最初は、生きた金魚をエサにするのは抵抗があったが、乾燥エビなどをあげても、食べないのもいるし、食べても必ず元気がなくなってくる。動くものを追いかけて飲む、というのが自然なのである。たまに、うまく一匹飲めずにおちた金魚の頭が、口をパクパクさせていたりして、女性客などは、キャーと顔を手で覆って指の間からそれを見ていたりする。金魚をエサだと気づく前は、
「わーいろんな魚がいるんですねー、わー、金魚もいるんですねー」
などとはしゃいでいて、こっちもなかなかエサですと言えない。原地アマゾンでは、川面に近い木の枝にとまっていた鳥までを、はねて飲み込んだりするような魚たちを、せまい水槽にとじこめていることのほうがかわいそうなのだ。
こないだは五十センチ近くにまで育ったナマズが、水槽から飛び出して死んでしまった。地震や、昭和天皇の死も感じて暴れたナマズだった。食べようかと思ったが死後硬直でカチンコチンなので氷づけにして剥製にしてくれる会社に持って行ってもらった。今は立派な剥製になって、水槽の近くで光っている。剥製にしてその場にいると、死んでしまったのだという気持ちが希薄になるから不思議だ。人間でもやるといいかもしれない、と思ってしまう。
ところで私はよく取材で「魚を見て心を休めると漫画のアイディアも浮かびます」ということになっていたりするが、あれは取材の人が、魚と一緒の写真を載せたいためにそうして欲しいといっているのであって、私も「嘘だからイヤです」とまで言わないだけであるので、あんまり本気にしてまねなどはしないで欲しい。別になんの役にも立たない。それも好きなとこなんです。
○シルバーアロワナ。人相の悪いタチウオのような奴。
○アストロノータス。これは、海外赴任するから、だれか可愛がってくれる人にあげてくれと、知らない人が行きつけのショップに置いてったのをもらってきた。大喰いの、丈夫な奴。
○プレコストムス。口に吸盤のついた、ヨロイを着たナマズ。
○オキシドラス。おとなしいナマズ。
○レッドテールキャット。活動的なナマズ。
○ポリプテルス。肺魚の関係者。
このへんが全部アマゾンものだと思う。そういえばアマゾンものだというと、
「ピラニアとか?」
というのももう百万回くらい聞かれた。あとはアフリカのカエル(ベルツノガエルといいます)、アホロートル(ウーパールーパー)、それからもっとちっちゃいいろんなもの。それが、九十センチ水槽三本を含む、十いくつの水槽に分かれて暮らしている。
エサは、糸ミミズか金魚をあげる。カエルも金魚を飲んで生きている。やはり最初は、生きた金魚をエサにするのは抵抗があったが、乾燥エビなどをあげても、食べないのもいるし、食べても必ず元気がなくなってくる。動くものを追いかけて飲む、というのが自然なのである。たまに、うまく一匹飲めずにおちた金魚の頭が、口をパクパクさせていたりして、女性客などは、キャーと顔を手で覆って指の間からそれを見ていたりする。金魚をエサだと気づく前は、
「わーいろんな魚がいるんですねー、わー、金魚もいるんですねー」
などとはしゃいでいて、こっちもなかなかエサですと言えない。原地アマゾンでは、川面に近い木の枝にとまっていた鳥までを、はねて飲み込んだりするような魚たちを、せまい水槽にとじこめていることのほうがかわいそうなのだ。
こないだは五十センチ近くにまで育ったナマズが、水槽から飛び出して死んでしまった。地震や、昭和天皇の死も感じて暴れたナマズだった。食べようかと思ったが死後硬直でカチンコチンなので氷づけにして剥製にしてくれる会社に持って行ってもらった。今は立派な剥製になって、水槽の近くで光っている。剥製にしてその場にいると、死んでしまったのだという気持ちが希薄になるから不思議だ。人間でもやるといいかもしれない、と思ってしまう。
ところで私はよく取材で「魚を見て心を休めると漫画のアイディアも浮かびます」ということになっていたりするが、あれは取材の人が、魚と一緒の写真を載せたいためにそうして欲しいといっているのであって、私も「嘘だからイヤです」とまで言わないだけであるので、あんまり本気にしてまねなどはしないで欲しい。別になんの役にも立たない。それも好きなとこなんです。