私の出身地である長崎市には、銅座という狭い飲み屋街がある。
小さなスナックがびっしり立ち並んで迷路を構成したような場所で、そこらへん全体が大きな一つの雑居ビルのようである。
ある夜、その銅座で焼き肉を食べていたら、お店の人が、
「あのー、すぐそこで火事みたいなんで、大丈夫だと思うんですけど、急ぎめで食べてお出になって下さい」
というのだった。火事に興味はあったけれども、食事中でもあり、さし迫った様子にも聞こえなかったので、私と連れの人々は、普通のペースで食べ続けた。そして、勘定を済ませ、チューインガムなどをもらって外へ出たら、その「大丈夫だと思う」火事は三メートルもない道路の向こう側まで来ており、今しも真ん前の店の看板が炎にまみれガラガラとくずれ落ちるところであった。すでにやじ馬が取り囲んでおり、そのやじ馬の群れと、くずれ落ちる看板と、焼き肉屋からのんきに出てきた私たちは、きれいに三角の構図を取った。よそん家《ち》の火事であんなに注目された経験は今んとこ他にない。そういうとこなの、長崎って……。そのあと、無計画に雑居ビル化されていた銅座はあっという間にひとかたまりとなって燃え上がったのだ。あの「銅座」って地名は、銀座にあこがれてつけられたものだったのだろうか?
「銀座で一日、ぜいたくに過ごしてみてください」
そう言われても、私の頭の中には何も浮かびはしなかった。「銀座百店」の滝田さんは、そんな私に替わっていろいろ考えてくださったのだが……。
宝石の和光? そういえば、そんな名前のちっぽけなアクセサリー店が、長崎にもあった。長崎でクラブ歌手をしていた頃、そこの社長によく体を触られたわ。普段はいい人らしいのだが、酔うとホステスの体を触りまくるので、長崎じゅうで有名だった……ああ、いけないいけない、それは銀座の和光とは何の関係もないお店なのだ。日本中のあこがれである銀座の有名店は、そんな迷惑な同名店までも生んでしまう。私は田舎での経験は忘れ、もともと自分の好きなものたちに関係あるお店を私の会社の人間二人と回ることにした。
まずは、私の仕事の上でなくてはならない文房具、デザイン用品、画材が夢のように勢揃いした「伊東屋」。漫画家になる以前の私は、銀座といえばここと、「イエナ洋書」くらいしか知らなかった。「伊東屋」はいつ行っても「大人の文房具店」といった印象。絵の具で少し汚れた、冬でも靴下をはかない「芸術家の無精卵」風の若者でなく、きりっとネクタイをしめた人々が、花びらを散らすように領収証を手に手に歩く、かっこよさである。お店の人の対応もていねい。私は、サインペンやデザインマーカーの棚に貼られた手描きの商品説明がすべて、
「セットも|ございます《ヽヽヽヽヽ》」
「ばら売りも|ございます《ヽヽヽヽヽ》」
という口調になっているのにあらためて気づき、うれしくなってしまった。
次は、私の好きなデパートのペットショップへ行こう。松坂屋の屋上のペットショップへ。下調べをしてくれた滝田さんは、
「モモンガがいますよ」
とおっしゃっている。
エレベーターを降りてすぐの水槽に、緑色の体にグレーの縞を持った小さな魚が四尾いる。見たことのない魚だった。「ブラックネオン」と書いてある。
「これはちがうと思う。前にこの水槽にいた魚がブラックネオンといって、それが残ってるだけだよ。なんだろうこれは」
他の魚はみな見覚えがあるのに、その魚だけはどうしてもなんなのかわからず、その上私は妙に気をひかれるのだった。私の事務所には、ドアをあけるといきなり十数本の水槽があり、いろんな熱帯魚を飼っているので、ペットショップや水族館はしょっちゅう行っているのだ。私はお店の人に聞いてみた。
「この魚、ブラックネオンと書いてありますが……」
「ああ、違いますよ。これはアストロです」
ガーン。アストロはなんと、飼っているのよ私。しかしそのアストロはわけあってとっくに成魚になった奴をもらってきたので、幼魚の姿を知らなかったのだ。
「どうりで私を呼んでいるはずだわ。買う買う買う」
「買おう。ぜんぶ買おう」
魚の世話を全部押しつけられているマネージャーの大久保もとたんに賛成し、四尾全部買い求める。一尾三百円と安い。安いけど、アストロはよく食べよく育つ丈夫な魚である。それでこんなに幼魚が美しいのでは、一時期魚を育てる人たちの間で人気絶頂だったのも無理はない。
「アストロでも、こんなに模様のきれいなのはなかなか入りませんよ」
「売ってる幼魚見るのも初めてです、私」
大喜びで包んでもらいながら、
「そうだ、モモンガ」
とモモンガの顔を見たら、黒く大きな目にたちまち私と社員の鈴木淑乃はまいってしまった。大久保もこれはかわいいと見とれ、アストロとはくらべものにならないほど高価であったのに、ついに滝田さんがプレゼントしてくださる。モモンガのはいったたて長のかごをかしゃかしゃいわせ、ときどき、
「モモちゃん」
などとその場でつけた名で呼びかける鈴木。魚やモモンガのえさのはいった袋を下げてそれにつづく大久保。
「そうよ、私を呼んでいたのよ、アストロが」
などと口ばしりながら歩く私。そんな私たちを、こんどはおいしい魚を食べるための場所へ案内して下さる滝田さんだった。
私は、魚については、飼うのも、見るのも、食べるのも大好きだ。仕事で魚の絵を描くのも好きだし、依頼がなくても描いている。ついには、頼まれもしないのに自分の会社で魚(シーラカンス)のぬいぐるみ、キーホルダー、バッジ、ステッカー、Tシャツなどをつくって、売り歩くしまつ。銀座でも、博品館の4Fのトイパークに置かせていただいている。
「そうだわ、食事が済んだら博品館に行ってごあいさつしようかしら。ああでもなんだかてれくさいわ」
なんて思いながら、滝田さんにつづいて「浜作」へ。和服姿のお店の人たちが、モモンガを含めた私たちを、あたたかく出迎えてくれる。
モモンガのかごを部屋の入り口に置いてテーブルにつくと、中央に水を張った器が置いてある。これがまた私の未知のもので、洗盃という大人の儀式のためにあるそうだ。儀式なんて大げさな、なんて思われるかもしれないが、私はまだ一度もやったことがないし、見たことがない。それに使うための水が、当然のようにテーブルに備えてある。大人の世界である。
お料理はすべて素晴らしく、おいしい、めずらしい、器が綺麗などと、みんなで大さわぎをしながらいただく。あまりおいしかったので、ゆっくりたくさんいただきすぎて、博品館に行く時間はなくなってしまったが、本日はこれにて大満足、な私たちは、モモンガをかかえて帰路についた。モモンガも魚も、今もたいへん元気で、どっちも毎日、よくえさを食べている。モモンガは、慣れるとかごから出ても平気で、気が向くと部屋の隅から手足を広げて滑空するという。モモンガの滑空を夢に見ながら、かごの中をのぞきこむ今日この頃である。