自分では贅沢《ぜいたく》してるなんて、思ったことないなあ。「昔の私にくらべて」なんて言い出したら、きりないもん。
野宿《のじゆく》してた頃やら、旅館の住み込みしてた頃にくらべたら、住むとこがあるのまで進歩したなーと思うけど、自分で働いて、そうなるようにしたんだから、別に贅沢じゃないしな。
物質的な贅沢っていうのは降って湧《わ》いたようなお金でするもののような気がする。でもそんなのって気持ちいいもんなのかな。人にもよるだろうけど、私はだめだ、きっと。
たとえば男の子にお金使ってもらうのって大好きだけど、そのお金は、ぜったいその人が働いて稼いだものじゃなくちゃいや。親がくれたお金とか、そんなのは嫌いだ。
私は、お金イコール労働だと思うから、男の子がお金を使う時に、その「何かしてあげたいエネルギー」が私の方に動くことが気持ちいい。だから、自分の仕事を愛してる友だちがふえるのが、何より嬉しい。
仕事が好きだと、なかなか会えなかったりもするんだけど、そういう状態の中で、何とかして会うのが快感ね。それかなあ、私にとっての贅沢って。「自分の仕事を好きな友だちと会うこと」これだわ。
そういえばもうひとつ、知らない間にしている贅沢のようなものもある。
私の会社のマネージャーは機械類がとっても好きで、いい新製品が出るとすぐ買いたがる。良さを説明されてもわからないので、社長である私はその度《たび》に、
「いいもんだったら買えばー?」
とだけ言う。しばらくしてその機械が出す音だの映像だのを提示され、
「いいでしょ?」
と言われるんだけどそれでもやっぱりわかんない。
「わかんないけど、いいよいいよ」
私はマネージャーを信頼してるし、構わずそれらの機械に囲まれて暮らすでしょ。そうすっと、ある日突然、遊びにいった先のステレオから出る音のあまりのきたなさに愕然《がくぜん》としたりするわけよ。たいした耳じゃないから良くなったときはわかんないんだけど、悪いものとくらべるとさすがにわかるらしくてさ。最初はそれでも気づかず、
「ここAMよく入んないの?」
「これテープだよ」
なんて会話してた。その頃私の会社のテープデッキはすでに|デジタル《D》|オーディオ《A》|テープ《T》とかいうものになっていたのよね。
あと、仕組みもわからないままにこうしてワープロ打ってたりとかね。同じくコンピューターで絵も描くよん。こういう環境にいつのまにかいるのはほんとにたいへんな贅沢かもしれないけど、私の周りをこういう環境にしたマネージャー本人は、ちっとも贅沢だとは思っていないもよう。そんなものかもしれないね。