歌っていたクラブを首になり、捨て猫のように転がり込んだこの住所が東京での本籍地になった。すぐに次の仕事を探しては来たのだが、中村橋の男はそれを聞いて祝福するどころか、不機嫌に黙り込み、そのまま気難しい人に変わってしまった。私は驚き、泣いたり、台所でウイスキーを飲んだりして暮らしていたが、すぐ立ち直り、池袋の喫茶店でウェイトレスのアルバイトを始める。
ある日、「きみ、かっこいい主婦だね。僕に電話しなさい」とパイプをふかす風変わりな黒ぶち眼鏡のお客に、名刺をもらった。その次には「きみ、なかなか電話しないね。十円玉あげよう」と十円玉をもらった。まもなく私は男の留守に少ない荷物をまとめて逃亡をくわだて、今度は女ともだちの部屋に転がり込む。
黒ぶち眼鏡の男・秋山道男はその後そんな私に春菊という不思議な名前を付けてくれた。