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私の部屋に水がある理由74

时间: 2019-12-07    进入日语论坛
核心提示:友情と自慰のバランスもう随分前のことだけど、私が以前結婚していた男が、三十面下げて「タンポンの大きさは膣の大きさで決める
(单词翻译:双击或拖选)
友情と自慰のバランス

もう随分前のことだけど、私が以前結婚していた男が、三十面下げて「タンポンの大きさは膣の大きさで決める」と思っていたのには驚いた。あんたねえ、あんなとこにスーパー、レギュラー、ジュニアなんてランクがあった日にゃ、セックスの相手にだってそれを求めなきゃいけないじゃないかさ。あれは心理的なもので決めるものなのだ。体の順応性を考えたら、見比べてもそんなに大きさ、違わないと思う。自分で自分の経血が多い、と思っている人が少し大きめのスーパーを使う。多くても、けっこうトイレに立てるような生活の人は使わないかも知れない。ジュニアってのは、まだタンポンを使い始めたばかりで、体の中にものを入れることに慣れてない人が使うらしい。あたしは面倒くさがりなんでレギュラーしか使ったことないけど、こないだ間違えてスーパーを買っちゃってたのには笑った。まるで欲求不満の若奥様だ、わはははははははははは。笑い過ぎか。
女がマスターベーションするときに、必ず体の中にものを入れてると思っている男も多い。そんな男に、そんなことしなくたって陰核の摩擦だけで絶頂感は起こるんだよと言うと、びっくり(正確にはがっかり)するようだ。
これをこないだ女優で作家の水島裕子に話したら、
「ええっ、なんで、なんで?」
と驚いていた。こういう反応をする女ともだちがいることは嬉しく思ったが、でもほんとだ。こないだもある雑誌のマスターベーションの特集を見ていたら、女の子用のページでは、何かを挿入するのがそのやり方の主流、としてあった。女性のように見える名前だったがそのページの担当者も、棒状のものを挿入して男のペニスを思うのが女のマスターベーションだと思っているみたい。快感には触れていても絶頂感についてはほとんど触れてない。マスターベーションは一つの文化だよって切り口のページだったのになー。別にいいけどー、へーんなのー、と思っていた今日この頃の私だったのだった。
なので、その話を、男の子にもした。そしたら、その男の子(と言っても私より年上でパパになったばかりだが)もこういう話をしてくれた。
「昔、つきあってた女の人から、摩擦でイッたら、入れていいわよと言われて、僕っていったい何なの、とショックだったことがありますよ」
セックスするときは、必ずオーガズムをプレゼントしなくちゃいけないなんて思ってたら大変だ。でも結構みんな思ってるかもしれないな。思い過ぎるとめんどくさくなってセックスなんてしたくなくなってくることもあるのにね。でもそれより困るのは、セックスすると女の快感の方が男の何倍も凄くて、その上何度でも絶頂感がある、と本気で思ってる男。思いたい気持ちもわかんないではないけど、ちょっと恥ずかしいよね。
自慰と挿入の呪縛から逃れられると、電話でセックス出来て便利だけどね。セックスの中身のうち、連帯感と、快感の交換と、秘密の共有は電話でもOKでしょ。恥ずかしがらずに集中できて、セリフのセンスがあればね。だいいち楽よ、楽。なんかおばさんくさい言い方になってきたな。でも、愛もほどほどに楽なほうがいいと思うの、最近は。
ゲイの人のことは別に嫌いじゃないけど、あたしはゲイの人ってあんまり幸せそうには見えない。なんか、しんどそう。ゲイだから男のことも女のこともわかってすごいとか、思ったことない。ゲイの人とムヤミに仲良くなりたがる人もよくいるけど、それも解せない。別にみんな、勝手に好きなことしてんだからいいんじゃないのって感じ。どうせ責任は自分でとるんだし。
昔は、愛の中身って同情が多いかも、って思ってたけど、最近は友情が多くなってきたような。お互いの周りの仕事とか友人とか、紹介しあったりね。以前はそうは出来なかったような気がするな。人間扱いしてくんないから、しょうがないから「物」になった振りとかしてた。でも、まだ自分の特殊技能でちゃんと食えてないやつは、「物」になってたほうがいいと思う。ほどほどに差別されてないと、頑張れなかったかもしんない。みんなで遊ぶ時は必ず呼ばれて可愛がられて、だからその可愛がってくれる人たちの中からちょっぴり恋人っぽい人が順番に出来て、でもだれか一人のものにはならないように浅くつきあって、彼女は何やる人? って聞かれても胸をはって答えられるものはない。そんな状態で歳をとっていくほど恐ろしいこともないような気がするんだけど大げさかな。グループ交際って、落とし穴だ。あとから淋しくなる。いい歳して続けてると怖いぞ。あたしはガキの頃からやんないようにしてたけど、たまにそれっぽいとこに混ざると、その時ワイワイ楽しくても、あとが虚しい。それぞれの言い出せない恋の残留思念とかがそこらへんに残ってて、かえってドロドロしてて嫌だ。それよか傷ついても好きな人に個体で挑む方がいいと思うんだけど、これも、出来ない性分の人がいるんだね。いろいろあるもんだよ。
とにかく今は、女の性の現実から逃げない人と、友情の成分の多い愛を交わしあいたいものだわ、と思う。同情も、あったほうがいい。同情すると性欲がよく出て、性生活が活性化される。相手に感情移入するには「可哀そう」は大切だ。それがないと、友情の成分が多くなり過ぎて淡白一直線、フローリングの上の低血圧な、都会の空気吸って出してるだけの二人、になってしまう。まあそういうのが好きな人もいるかもしんないけど、あたしはパス。
とまあこういう風に、最近、言葉で自分の中の男の部分をうまく可愛がってあげることができるようになって、よかったよかったと勝手に思っているところだったのでした。では、おしまい。
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