何かというと花束を持って来てくれる女の知り合いがいる。花は嫌いじゃないけど、連発されるのはどうかと思う。そんなにたびたび花はいらないよ、と言いたいけどなかなかそんなことは言えない。
彼女はまた、何かというとお菓子を持って来てくれる人でもある。お菓子は嫌いじゃないけど、そんなに沢山食べられないほうだということは話したことがあると思う。そんなにたびたびはいらないよ、と言いたいけどなかなかそんなことは言えない。
私はお菓子よりお酒のほうが好きだ。だからどこかへ行くときもついワインをおみやげにしたり、おつまみのような食べ物を買って行ったりする。でなければ果物。果物は甘くてもけっこう好き。そういえばそれも彼女に話した覚えがあるな。
「あんまり甘いもの、得意じゃないの、少しなら食べられるんだけど」
と言ったとき、
「あ、私ったらケーキを買ってきてしまいました」
と言うので、
「大丈夫、果物の使ってあるのとかは、わりと好きだよ」
と言ったような気がする。でも、そのあと彼女は大きな大きなチョコレートケーキのかたまりをさげてやって来たこともある。美味しかったけど、ほんの小さなひときれしか食べられなかった。ここまで読んで、あなたはきっとこう思うでしょう。よっぽど彼女はお菓子が好きなのでしょう、自分が美味しいと思うから、つい聞いた話を忘れて、お菓子をおみやげに買ってしまうのでしょう、と。ま、ふつう、そう思うわな。
なのにその彼女は、自分ではお菓子が嫌いで、食べられないのだという。自分が食べられなくて、さらに、あげる相手もそれほど得意でないものと知っているのに、なぜ彼女はいつもお菓子をくれるのか。そしてなぜ、こちらが不安になるほど花束をくれるのか。彼女は私の参加するどんな小さな集まりにもやって来てくれるありがたい人なのだが、そのどんな小さな集まりに来ても、高価な花束を持って来てくれるのだ。そう、いつも、彼女なりの上品な趣味で選んでくれる花束は、そこらへんで買いましたという顔をしていないのだった。
最近はおさまったが、以前は他にもプレゼントがあった。
「ゆっくり休んでいないのではありませんか。これでくつろいでください」
と、お風呂にいれるハーブなどをくれる。
「嬉しいけど、そんな、いいのに、ねえ」
とすまない気持ちになった私は、彼女が来るとわかっている日に、小さな置物をプレゼントしたことがある。人に頼んで渡してもらったのだが、彼女は、
「|お誕生日でもないのに《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、すいません」
とすまなそうにしていたという。彼女の誕生日が近かったので、その後、彼女にささやかながら誕生日のプレゼントを買った。彼女はとても喜んでくれた。そしてそのあとに来た私の誕生日には、私が選んだのではとてもかなわないほどの心のこもったプレゼントを持って来てくれた。
結構なことじゃありませんか、と思う人もいるだろう。ありがたいことだとは思う。でも不安になってしまう。気にしないようにしよう、とは思う。彼女は私よりとても若い人だし。
しかし考えてみれば、こういうことは前にもよくあった。男の人の中には、女の所を訪ねるときは=花と甘いお菓子という式が頭の中に出来ている人が結構いる。そして、花とお菓子が好きな女の人はじっさい多いみたいだ。パーティーなどに行くと、帰りに、飾ってあった花を女性客に分けてあげたりするところもあるし、私も以前はそういうことが嬉しかったような気がする。その頃は持ちかえった花の世話も自分でしていた。花を活《い》けるのは楽しい。そんなに上等なものではないがお免状もある。生け花は、最初はむりやり習いに行かされたものだが、行ってみたら面白かった。まーやってみたら何でもけっこう楽しくなっちゃうものよね。
でも、情けないことに、最近はあんましそういうことをする余裕がなかったり、する。嫌いになったわけじゃないけど、他にやりたいこと、やんなくちゃなんないことのいろいろと並べてどっちを優先するかっつったら、あぶれてしまうことが多い。従って花も早く枯れてしまう率が高くなる。もらった人にも花にも気の毒だが、かと言って、花の世話のために仕事その他を減らすなんてもう出来ないほどに、仕事が面白くなってきてしまっている。
私はぜいたく者になってしまったのだろうか。花をくれる気持ちは嬉しいし、花をもらって喜ぶ女の子を見ると、可愛いなと思う。でも私自身はもう、花束って、手放しには喜べなくなってるんだわ、どうもこれが。
花にしてもお菓子にしても、子どもの頃はとても嬉しかった。綺麗な花を見ると、どうしても摘んで自分のものにしたかったし、ケーキなんてイベントだった。今、私がケーキにしている仕打ちを子どもの頃の私が見たら、きっと泣き出すだろう。
オトナになったのね、なんて今さら言うことでもないか。でもそんじゃ、もしかしたら「女には花&お菓子」という公式のサブリミナル効果は、
「いつまでもベイビーでいておくれ」
なのかしら。それは、もしかしたら、
「女はもの知らなくていいんだよ」
だと思うのはあたしだけ? うーん、でもこのへんの文はなんだかおかしい。おおそうじゃ、それは「女」と書いてしまったからであろう。花やお菓子やベイビーについて語るならば、ここはやはり「女の子」とすべきであろう。
このあいだ、ある女性作家の作品を読んでいたら、女のことは「女の子」男のことは「男」と表記してあった。作品の中の二人はどう見ても年頃その他が同じくらいなのにだ。意図してなされたものだったとしたら、素晴らしいと思う。それだけで主人公の「女の子」の恋愛観がうかがい知れるというものじゃありませんか。ベイビーからウォーマンからヒューマンまで、女の変態も個体差があるもんだね。
まあでも、女ともだちになってもらうなら、あたしはベイビーはかんべんだな。
「映画と言えば、オードリー・ヘプバーンよね!」
なんて女と話すんのはやだよ。ベイビーは、幸せは空から降ってくるものだと思って待ってたりするし。それに何より最悪なのは、ベイビーは酒の席で気がきかねえんだよ。ありゃあ、まいるよ。まったくよ。