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黒い扇24

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:毒の花ノックなしにドアを押した。鍵《かぎ》がかかっている。(可笑《おか》しいな)自分が来ることはあらかじめ解っている筈《
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毒の花

ノックなしにドアを押した。鍵《かぎ》がかかっている。
(可笑《おか》しいな)
自分が来ることはあらかじめ解っている筈《はず》であった。
Sホテルに別々の部屋を取っているが、それは形式だけのことで、外出から戻ると一度は各々《おのおの》の部屋へ別れるが、バスルームで入浴をすますと、再び五郎がますみの部屋へ忍んでくるのが、大阪に来てからの毎夜の習慣であった。
五郎はもう一度、素早く廊下を見渡し、人眼のないのを確かめてから、小さくノックした。
「誰《だれ》?」
ますみの声である。問うまでもないのに、と五郎はいらいらした。
「僕です」
「五郎さん、ちょっと待ってね」
室の中でますみの動く気配がした。五郎は用心深く廊下に注意した。漸《ようや》くにドアが開く。五郎はますみの体を押すようにして内部へすべり込んだ。鍵をかける。
「どうしたんです。誰かに見られないかと思ってどきどきしてしまった」
五郎は不平そうに言った。
「ごめんなさい。バスルームから出たばかりで裸だったのよ」
ナイロンの透けるラベンダー色のガウンをまとっている茜ますみはだだっこをなだめるように微笑した。
「かまわないじゃあありませんか。そんな」
もう他人ではないのだし、と五郎は若さを丸出しに、愛人の豊満な姿態を熱っぽくみつめた。稽古《けいこ》の帰りに茜ますみの希望でバーへ寄って、かなり飲んでいる。五郎の瞳《ひとみ》の中に酔いが赤く出ていた。
「でもね、親しき仲にも礼儀ありっていうでしょう。あんまりはしたなくて嫌われるといけないから……」
そのますみの体を五郎は締めつけるように抱いた。
「僕が先生を嫌うなんて……よくもそんなことを……」
ますみは上半身をのけぞらして男の情熱を受け止めた。
「かわいい人……」
ますみは唇に呟《つぶや》き、男の乱れた髪をかき上げてやるとテーブルのそばへ導いた。
テーブルの上にウイスキーの瓶が出ている。
「まだ飲むんですか」
「もう少しだけ。さっきのバーはまるで雰囲気がないんですもの。気分直しよ。つき合ってね」
男の体をかかえるようにして椅子《いす》に坐《すわ》らせウイスキーグラスを持たせた。アルコールの芳香が辺りに漂う。五郎は乱暴にウイスキーを喉《のど》へ流し込んだ。
部屋の中は官能的な香が漂っていた。
茜ますみが部屋中にオーデコロンをふりまいたものらしかった。ソファにもたれている彼女のナイトガウンからも濃厚な香が溢《あふ》れていた。茜ますみの愛用の香水はゲランの「りゅう」だった。フランス製の香水の中では東洋的な魅惑を持つ匂《にお》いが特徴とされている。
五郎は酒に酔い、香に酔った。
「僕には不思議でならない。ますみ先生ほどの方が、どうして僕のように青くさい田舎《いなか》者を……」
「何故《なぜ》、私が急にあなたを愛したかというのね」
茜ますみは五郎の言葉を奪うように笑った。
「それは何故だか教えてあげましょうか。私が自由になったからなのよ」
「先生が自由に……」
「茜流の家元を継いでからの私は、あなたも知っているように岩谷忠男というパトロンが居た。私の一挙一動にはいつも彼の眼がつきまとっていたのよ」
「しかし……」
「わかっているわ。それなら海東や小早川との情事はなんなのだとあなたは言いたいのでしょう。女って悲しいものね。束縛された境地に反撥《はんぱつ》すると、反射的に誰《だれ》かを楯《たて》にしたくなるの。茜流の家元という地位を手放したくないためにはどうしてもパトロンの庇護《ひご》が必要だし、嫌いな男の機嫌も取らなければならない。そうしたもやもやした気持ちが他の男との火遊びをさせたのよ。勿論《もちろん》、火遊びの相手には真実、好きな男は選べないわ。もし岩谷に知れたとき、即座に別れられる相手でないとね。その頃《ころ》の私はまだ岩谷から離れて独立するだけの力がなかったのよ」
ますみは全身を五郎へあずけ、彼のグラスへウイスキーを満たした。
「それにパトロンのある女と承知の上で近づいてくる男性はみんな浮気の対象として私を愛そうとするの。真実なんてこれっぱかしもない大人の遊びの恋ね。死んだ海東もそうだったわ」
「ますみ先生、先生は僕を……」
「最初から好もしい青年と思ったわ。でも、その気持ちをあからさまにしたら岩谷はあなたを内弟子として私の傍におくことを承知しなかったでしょう。私はね。あなたに一日も早く立派な舞踊家として成長して欲しい。その日が来るまであなたに対する本当の心を秘めておこうと決心したのよ」
やんわりとますみは五郎の空いている手に自分の手を重ねた。
「しかし、先生は……先生は小早川喬と結婚なさるつもりだったんじゃありませんか。小早川は先生の真実の愛人ではなかったんですか」
五郎の声にはますみの自分勝手をなじる調子はなく、嫉妬《しつと》だけがぎらぎらしていた。
部屋の中の灯りは殆《ほと》んど消されて、スタンドだけがピンクのシェードを通してバラ色の光りで室内を照らしていた。
「小早川の事は私のミスよ」
茜ますみは斜めに男を見上げた。
「私は小早川に欺《だま》されたの」
「欺された……」
「そう」
ふっと目を伏せると長いまつ毛がますみの顔に或《あ》る翳《かげ》を作った。年増盛りの肌が湯上がりの火照《ほて》りを残して生き生きとなまめかしい。
若い時からの数多い情事は、彼女を美しく磨き上げる役目はしても、疲労の名残りはけし粒ほども止めていない。
「小早川の巧みな言葉に私は夢を持ったの。この男にすがって岩谷と絶縁しようと考えたのだわ。そんなチャンスでもなければ女は、いつまで経っても一人立ちが出来ない。それに、私はもういつわりの恋をこれ以上続けたくなかったのよ。体のいい二号生活から逃れて、苦しくとも一人で出来るだけの事をしてみたい。女としての魅力が、命が花のように咲いている中に、せめて真実の恋がしてみたいと望んだのよ」
「その相手が小早川だったんだ」
五郎は呼吸をはずませた。
「私、錯覚していたのよ。あなたは若い。年上の女の負《ひ》け目もあったわ。それと、内弟子に来ていて私の過去を知ったあなたが果たして最初のままの愛情を私に持っていてくれるのかと不安もあったの。そんな迷いの所へ小早川が入り込んだのよ。私は小早川を愛しているような錯覚を起こし、そのあげく絶望したのだわ」
「絶望……」
ますみはウイスキーグラスを一息に乾し、タンブラーの水を飲んだ。
「あの人は怖しい人だわ」
うわ言のように言った。
「もし、あの人が横浜のホテルであんな死に方をしなかったら、今頃《いまごろ》は私のほうが殺されているわ」
「先生がどうして小早川に殺されるんです」
「それは……ね」
ますみは意味ありげな眼ざしで五郎を見、テーブルの上のグラスを見た。
「あなただから打ち明けるわ。恥ずかしいけど思い切って……」
僅《わず》かな沈黙の後、ますみは声をひそめた。
「小早川は加虐者だったの」
「サディスト……?」
「信じられないでしょう。でも本当だったの。小早川は自分の立場を利用して、私が彼から去ったら、私の舞踊家としての生命を葬ってみせるとおどしたのよ。彼から逃げられないと知ったとき、私は絶望したわ。だから彼が何者かに殺されたのは私にとって思いがけない救いだったの。彼を殺してくれた人は取りもなおさず私の救い主なの、感謝しているわ」
ますみの声が妖《あや》しくからんだ。
「ね、五郎、私はあなたに感謝しているのよ」
茜ますみの言葉に五郎は顔色を失った。
「それは、ど、どういう意味なんです」
持っていたウイスキーグラスがわなないた。ますみは微笑を消さず、立ち上がると五郎の膝《ひざ》に軽い身ごなしで坐《すわ》った。甘えるように右手で男の首筋を愛撫《あいぶ》する。
「あなたは私の恩人よ。悪魔の手から私を解放してくれたナイトなのだわ」
「わかりません。僕には先生のおっしゃる意味が……」
「白ばっくれても駄目よ。小早川喬が轢死《れきし》した晩、あんたはどこに居たというの」
ますみは相変わらず愛撫の手を止めない。
「あの晩は……」
五郎は生つばを呑《の》み、続けた。
「七時少し前に稽古場《けいこば》を出て、ぶらぶら四谷見附まで散歩したんです。頭痛がしてたまらなかったし、気分的にもくさくさしてましたから……。それからタクシーで新宿へ行き映画を見て十一時|頃《ごろ》に代々木八幡のアパートへ帰って……」
ぎこちなく答える五郎をますみは流し眼に見た。
「それは表向きのアリバイね。五郎、私に警察へ言ったのと同じ台詞《せりふ》をきかせる気なの」
「先生……」
五郎の手からウイスキーグラスが音を立てて落ちた。
「先生って呼ぶのは止めてちょうだい。私はあんたの何だというのよ。あんたって男はそんなにも水臭いの」
ますみは男の手を己れの手に添えて胸へ運んだ。
「なにもかも知りつくした仲になっても、まだ、打ち明けてくれないのね」
「そんな……」
「いいわよ。所詮《しよせん》、あんたも私を火遊びの相手としか考えていないのね。こんなお婆さんなんか、あんたの真実の恋の対象になれっこないというのね」
「違う、それは違います」
五郎は血走った眼をあげた。
「僕は先生を……」
「先生と呼ぶのは止めて、といっているのに……わからないの」
ますみは声を荒らげた。
「僕はますみさんを……命がけで愛しています。ますみ先生は僕の一生一度の……」
「それだったら、何故、なにもかも打ち明けて話してくれないの。仮に、もしあなたが小早川を殺したとして、それをこういうわけだと話したら、私が警察へあんたを突き出すとでも思っているのでしょう。私をそんな女だと考えているの」
ますみは胸に押し当てている男の手へじんわり力をこめた。
「こうなったら二人は死ぬも生きるも一緒。あんたが私のために犯した罪なら、私も一緒にその罪を背負うつもりなのよ」
「先生……」
高山五郎の顔は感激と恐怖で異様にひきつっていた。
ますみは男の蒼《あお》ざめた頬《ほお》へ、熱っぽい自分の頬を押しつけた。
「さあ言ってちょうだい。なにもかも……そして、あなたと私とはなんの秘密もない、真実の恋人だと誓って欲しいのよ」
五郎のこめかみを痙攣《けいれん》が走った。眼を閉じ、息をつけて四肢《しし》を固くした。
「殺すつもりじゃなかったんだ」
五郎は叫んだ。
「いや、そうじゃない。俺《おれ》はあいつを殺してやりたかった。俺は手をつかねて小早川と先生とが結婚するのを見ていられなかったんだ。俺は秘密探偵社へ頼んで小早川と先生に関する資料を集めた」
ますみは艶然《えんぜん》と笑った。
「その資料をあんたは岩谷へ送ったのね」
花曇りの赤坂の待合で、岩谷に呼ばれ小早川と二人で何者かからの手紙、それは岩谷へ自分と小早川の情事をつぶさに報告したものだったが、その手紙と証拠の写真とを見せられた日の事をますみは想い出した。
岩谷との話合いは決裂し、ますみと小早川はその足で横浜へドライブした。小早川喬が轢死《れきし》したのは、その夜である。
「僕はなんとかしてますみ先生と小早川との仲をさきたかったんだ。どんな卑劣な手段を弄《ろう》しても先生を小早川と結婚させたくなかった……」
「あんたの気持ちは嬉《うれ》しいわ。それほどまでに私を愛してくれていたのね」
甘く熱っぽい台詞《せりふ》を口にしながら、ますみの眼は冷ややかに男をみつめていた。二人の激しい愛撫《あいぶ》だけが、五郎を悩乱させ、彼はうわ言のように話し続けた。
「僕の手紙で岩谷さんが先生を小早川から引き放してくれることを期待したのです。しかし、結果は逆に先生と小早川を公然の仲にしてしまうことだった」
「それは、見かけだけの事だったのよ。私は小早川と結婚する気はなかった。ただあのチャンスを岩谷から逃れるのに利用したかったのだわ」
五郎の首をガウンの胸に押しつけながら、さりげなく訊《たず》ねた。
「お前、どうやって小早川を殺したの。私はそれが聞いてみたいわ」
五郎の眼にひるんだ色が浮かぶのを見て、ますみは更に言った。
「お前は小早川自身の車で小早川を轢《ひ》き殺す事を考えた。私の居間の手文庫の中に小早川の車の合い鍵《かぎ》が入っているのをお前は知っていた。お前は鍵を盗み、横浜へ私たちを追って来たのね」
五郎の額に脂汗が滲《にじ》み、ますみの言葉を否定する表情と肯定する気配とが同時に顔に出ていた。
「最初から轢《ひ》き殺すつもりじゃなかったんです。あの車、オースチンはもともと先生のものだった。僕が運転して先生のお供をした。そいつを先生は小早川にやってしまった」
五郎は口惜《くや》しそうに唇を噛《か》んだ。ますみは沈黙した。確かにオースチンはますみが小早川に与えた。
「私よりもお出かけの機会の多いあなたが使って下さるほうが効果的だわ。公用の時は私はハイヤーを頼みますし、私用の時はいつもあなたと一緒ですもの」
あなたは私のもの、私のものはあなたのものと、甘いささやきを楽しんだ日の想い出がますみの胸に浮かんだ。
(私は小早川を愛していた。一生に一度の恋と信じていた)
順調に行けば、新進気鋭の劇評家であり、演出家である小早川喬の夫人としての栄光ある妻の座がますみを待っていた筈《はず》である。彼の手腕と援助で舞踊家茜ますみの名はジャーナリズムにも華々しくクローズアップされるに違いなかったのである。ますみの眼に憎悪が光った。
(それを、このチンピラが打ちこわした)
小早川喬が加虐者だとは、五郎を安心させる嘘《うそ》でしかない。彼の口から当夜の告白を聞くための手段であった。無論、五郎は気づかない。甘い花の陶酔の中で彼は告白を続けた。
「僕は先生を小早川から奪い返そうと思ったのです。小早川の手から先生を取り戻して帰りたかった。Gホテルの駐車場でオースチンを見つけた時、僕は涙が出た。この車だってもともとは僕が先生を乗せて自由に運転していたものだ」
五郎は車を鍵《かぎ》であけ、運転して道路へ出た。彼はますみと小早川がホテルに泊まるとは考えていなかった。ますみは翌日、朝の九時からテレビの仕事が予定されていた。横浜に泊まるわけはないと五郎は早合点していたのだ。間もなく小早川とますみは食事を終えてホテルを出てくる。車が妙な所にあるのには驚くだろう。俺《おれ》は運転台に身を縮めてかくれている。二人が車に近づいたらドアをあけ、ますみを車内へ抱き込み、小早川を突きとばして車をスタートさせる。フルスピードで人目のない所までますみを運んだら、ますみに愛を懇願し、聞き入れられない時は力ずくでも自分のものにしてしまおうと五郎は思いつめていた。
「ところがホテルから出て来たのは小早川一人でした。きょろきょろしながらこっちへ来る。先生の姿はない、僕は慌てました。道路が工事中なので小早川は車道へ下り、車の真前を歩いて来ます。この男が先生の心を奪ったのかと思うと、後は無我夢中でした。僕は無意識にヘッドライトをつけ、ギヤをいれました。車のボデーに奇妙なショックを感じながら走り続けました」
車に轢《ひ》かれる前に、小早川は暴走してくる車を避けようとしてヘッドライトの光芒《こうぼう》に眼を奪われ、石につまずいて仰向けに転倒した。そのため、脳と咽喉《いんこう》部と胸部と致命的な場所に圧迫を受けた。それでなければ暴走とは言っても距離も近い事だし、スピードが出きっていたわけではないのだから、怪我《けが》で済んだかも知れなかった。運命は五郎に力を貸した。
「それからのことは記憶がありません。車を乗り捨て、どこからかタクシーを拾いました。赤坂へ帰り……鍵《かぎ》を先生の手文庫へ返して、あわててアパートへ又、タクシーで帰りました。生きた心地がしませんでした」
「よく、赤坂の家で誰《だれ》にも見とがめられなかったわね。私の居間へ入るのに……裏木戸から庭伝いにでも入ったのね」
「ええ……」
五郎の表情に曖昧《あいまい》なものが浮かんだが、ますみはそれ以上、追及しなかった。勝手を知っている五郎ならどこからでも家へ入れただろうし、かなり広い家に久子と女中だけが留守番をしていたのだから見とがめられないのも、それ程むずかしくないと考えたからである。それよりも、ますみはまだ彼に訊《き》かねばならぬ事で頭が一杯だった。
「それにしても、私と小早川が横浜のGホテルへ行ったのを、お前、どうして知ったの」
赤坂の待合からすぐにドライブしてしまったのである。家へは電話をするつもりだったが、つい忘れて、ますみは大桟橋を見物して戻ったら外泊する事を告げる電話をするつもりだった。事件のあった九時には、まだ知らせていない。どうして五郎が行く先を知ったかが妙だった。赤坂からずっと後をつけて来たと考えるには時間が合わない。五郎は午後七時まで稽古場《けいこば》に居た。弟子や女中の証人もある。ますみと小早川が赤坂の待合を出たのは四時前だった。
「それは……」
五郎は口籠《くちごも》り、咄嗟《とつさ》に答えを捜したが、仕方がなかったのだろう。観念したように言った。
「久子さんから聞いたんです」
「久子が……久子がどうして知ったのかしら」
「それは知りません。久子さんがますみ先生と小早川が横浜のGホテルへ食事に出かけたと教えてくれたんです」
「それは何時|頃《ごろ》」
「六時すぎです」
五郎はいきなりますみの胸へ顔をすりつけた。
「先生、僕はもうなにもかも先生に話してしまった。僕を捨てないで……先生はもう僕のものだ。死んだって、殺されたって僕は先生を放さない」
狂暴な力がますみを抱きしめた。
五郎がベッドから下り、身仕度して部屋を出て行ったのは午前二時近かった。足音が遠ざかるのを確かめるとますみはドアの鍵《かぎ》をしめ、ベッドの下から防音箱へひそめたテープレコーダーを取り出した。コードは絨毯《じゆうたん》の下を伝って、テーブルの上の花籠《はなかご》の中に大型腕時計くらいのマイクがかくしてあった。細い特殊のマイクコードはレースのテーブルクロスの下でテーブルの足にからみついて下へ続いている。部屋の中は赤いシェードのかぶさった小さなスタンドの灯りの暗さだったし、輸入されたばかりのこのテープレコーダーは小型のくせにひどく精密に出来ていた。元来がかくし取りのために都合よく考案されたものだ。
ますみは音を低くしてテープを巻き戻し、再生を試みた。五郎の告白は予想以上に、はっきり録音されていた。
(これでいい……)
ますみは恐しいような微笑を浮かべ、テープを大切そうに収めた。それから卓上電話を取り東京の自宅を呼び出した。受話器に出て来たのは内弟子の久子だった。
「遅くに悪かったわね。寝ていたんでしょう」
久子は今、床についたばかりと答えた。
「あんた、妙な事、聞くようだけど、小早川さんが死んだ日にね、私と小早川が横浜のホテルへ行ったってことを五郎に話したの」
ますみは疑問を長く胸にしまっておけない性質である。それでもつとめて何気ない声で訊《き》いた。久子は少し考えて、
「そう言えば申したような気が致します」
と答えた。多分、否定すると考えていたますみは驚いた。
「あんた、どうして私と小早川が横浜のGホテルへ行って食事してるのを知ったのよ」
「それは、小早川先生から電話でお知らせがありましたのです。ますみ先生とGホテルへ食事に来ている。岩谷さんとのことで先生が少しくさくさなさっているから気晴らしのためだ。心配しなくてもよいという電話がございました」
ますみは受話器を握ったまま思案した。小早川が電話してくれたとは意外であったが、そのくらいの気のつく彼だという事はますみにも納得がいった。すると……Gホテルへついて彼がフロントで部屋の交渉をしている間にますみは化粧室へ立った。二人で部屋へ入ってすぐにルームのトイレを使用するのがはしたなく思われたからである。
ますみが戻って来たとき、小早川はロビーで煙草を吸っていた。あの間に赤坂の自宅へ電話してくれたに違いない。
「すると、小早川から電話があったのは五時過ぎ頃《ごろ》だわね」
久子ははきはきと応じた。
「稽古《けいこ》中でしたから、うっかり時間を見ませんでしたが、そのくらいの時刻だと思います」
久子の返事は要領よく、しっかりしていた。万事に慎重な性格である。
「先生、どうかなさいましたのでしょうか」
ますみは軽く受けた。
「いいえ、なんでもないのよ。今夜、五郎と小早川の思い出話をしたものだから、ひょいとね。用事はそのことじゃないの。流儀のことでちょっと難しい話があるのでね。弁護士の金村先生に来て頂こうと思うのよ。こっちの稽古場の問題なの。明朝、お電話してこの前にお話した件につき見込みがつきましたからなるべく早く大阪へお出で頂けないかお願いして欲しいの。詳細はお目にかかってお話しますからって私が言ってたと申し上げればおわかりになるわ。先生は朝がお早いから八時頃にはお電話しないと外出なさってしまうからね。じゃ、頼んだわよ」
受話器を置いて、ますみはほっと息をついた。金村弁護士への電話を直接かけなかったのは深夜である事への遠慮であった。朝は大抵、五郎が起き抜けに訪問してくる習慣であった。若い彼の欲望は旅先という事で一層、野放図になっている。そんなことで彼に気づかれてはならなかったし、金村へ電話する機会を失う怖れがあった故である。
茜ますみは小早川の死後、五郎に疑いを持った。女の直観である。が、証拠がなかった。ますみの相談を受けた金村弁護士も言った。
「証拠がなくて、ただ疑わしいではどうにもなりませんよ」
しかし……。茜ますみは昂ぶる胸をおさえた。
(私は証拠を掴《つか》んだ。五郎の告白をテープに盗むことが出来た)
自分の偽りの愛の言葉に誘導されて、取りかえしのつかない自白をしてしまった五郎の愚かしさが可笑《おか》しかった。自分への愛のために殺人をおかした男への憐《あわ》れみはひとかけらもなかった。小早川喬という愛人を殺した犯人への強い憎悪しかないのだ。
(金村弁護士が来てくれたら、テープを見せ、それから彼を告発する方法を相談したらいいのだ)
いずれにしても、五郎はまるで気づいていない。金村弁護士が来て、五郎へ報復する手段がきまるまで、五郎に気づかせてはならない。それまでは、あくまでも愛人として彼を安心させる演技を続行するのだ。
ますみはベッドへ横になり、手をのばしてスタンドを消した。
体中にしみついて残っている五郎の体臭がまるで気にならない。その感覚は、なにもかも許した男を罪の座へ送ろうとしている行動に悩みを感じないのと、別な意味でつながっているようだった。
男の臭いと濃厚なフランス香水の匂《にお》いにくるまれて、ますみは間もなく安らかな寝息をたてはじめた。
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