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千枝も札幌の病院を退院して、塩谷の雄一郎の家は又、平凡な生活が戻ってきたかに見えた。
有里は終日、家の裏手にある畑へ出て働いたり、時には豆の選《え》りわけ作業に出た。これは十勝《とかち》方面から集まってくる豆を良質のものとそうでないものと選りわける仕事であり、この頃の鉄道員の家族たちが、少しでも家計の助けにと働きに出たものだった。
有里も赤字つづきの経済をたて直すために、早速仲間に入れてもらった。
冗談好きな鉄道員の間では、このところしばしば、
「おい、お前とこの嫁さん、どこ行った……?」
「はア、豆選《とうせん》女学校へ行っとるよ」
などという会話がきかれた。
豆選女学校、つまり豆選り作業場のことである。有里はさしずめ、豆選女学校一年生というところだった。
ひじょうにこまかい仕事なのと、長時間立ったままで居なければならないので、初めのうちは家に帰ると眼がチカチカしたり、足がだるかったり、肩こりがしたりした。
しかし、良い面も沢山あり、有里は豆選女学校で働きながら、鉄道員の妻としての智慧《ちえ》をいろいろ身につけることが出来た。
特に、勤続二十年というベテラン機関手の妻の吉川里子からは、苦しい家計の中から貯金する方法だの、冬の石炭の安い買い方、野菜の貯蔵法、薬草の見分けかた、衣類、食糧の上手な買い方、漬物《つけもの》のつけかたに至るまで、いままで有里の知らなかったことで、この北海道で暮すにはどうしても必要な事柄を学んだ。
その吉川里子が遠い汽笛の音にふと耳を傾むけ、
「はあ、ありゃ、うちの人の機関車だべ……」
というのを聞いて、有里はあらためて夫婦の年輪というものについて考えさせられた。
つまらぬ噂に惑《まど》わされて、家を出て行こうとした自分が恥かしかった。
とにかく、この昭和二年という年は、有里と雄一郎の家にも変った事が起ったが、鉄道に働く者にとっても、ずいぶん奇妙な出来事のあった年であった。
その一つは、全国の駅名掲示の変更が一年のうちに二度もあったということである。
もともと、日本の鉄道の駅名の掲示は、右横書きの平仮名であった。
ホームに立っている、駅名を知らせる立札があるが、普通それに『しほや』とか『さっぽろ』などと平仮名で右から左へ向って横に書かれている。
それが、昭和二年の四月七日、時の鉄道大臣、井上|匡四郎《ただしろう》の命令でこれを一斉に左横書きの片仮名に改めたのである。
この井上鉄道大臣は学者であり、かなり当時としてはハイカラ好みの人だったので、ついでにローマ字はすべてヘボン式を用いるようにとの指示も与えている。
大臣の鶴の一声で、日本全国津々浦々の各駅は、アッという間に平仮名の右横書きから、片仮名左横書きの掲示板がホームに並んだ。
ところが、その掲示改正が行なわれて、たった十三日目の四月二十日に井上鉄道大臣は退任となり、かわって小川平吉が鉄道大臣として就任した。
そしてその夏、再び鉄道の駅名掲示は日本式に改められ、片仮名は平仮名に、左横書きは右横書に戻ったのである。
これに要した費用、労力は大変なものであった。
たまたま、二度目の改正が発令された頃、伊東栄吉と室伏はる子は休暇を利用して、箱根への日帰り旅行に出掛けていた。
東海道線の列車に向い合って坐っていると、ただそれだけで、はる子は嬉《うれ》しさで胸が一杯になった。
こんな日が現実になろうとは……。まるで夢のようだった。
(時間がたつのが惜しい……いっそ、このまま時間が停《とま》ってしまえばいい……)
はる子は本気でそう思った。
窓の外に刻々と移り変る景色は、いつも見るときとはまるっきり違っていて、木々の緑は一層あざやかに、空の色は生れて初めて見るような美しさだった。
すべてのものが、はる子に感動を与え、胸の奥深く染み通った。
伊東栄吉は生き生きとしたはる子の顔を眺めながら、これも嘗《かつ》てない幸福感に酔いしれていた。
列車が藤沢駅に停車したとき、ホームではちょうど駅名を『フジサハ』から『ふじさは』へ書き直している最中だった。
「たいへんねえ、ああやって一枚一枚書き直すんだから……」
「まったく馬鹿な話だよ……変更する人はもちろん理由もあり、信念をもってやったことだろうが、現場の人間はたまったもんじゃないよ……」
「北海道でも今頃、ああやって駅ごとに書き直しているのかしら……塩谷《しおや》、小樽、手宮《てみや》、蘭島《らんしま》……」
「なつかしいかい、北海道……」
「そりゃあ、生れ故郷ですもの……」
はる子は歌うような声で言った。
「なつかしいよ、今でもよく北海道の夢を見る……南部さんに大飯ぐいと怒鳴《どな》られた夢……塩谷の駅で切符きりしとる夢……あの頃、よく歌ったもんだ……」
伊東は故郷を懐しむように眼をとじ、小声で歌いはじめた。
※[#歌記号]親の因果が子に報い
今じゃ鉄道の切符きり……
その哀調をこめた節廻《ふしまわ》しが、二人の心を余計望郷の想いに駆りたてた。
「そういえば、そろそろ小学校の同窓会がある頃だな……」
「今度はもしかしたら、一緒に出られるかもしれないわね……」
言ってしまって、はる子は急に頬《ほお》を赤く染めた。
この年の四月一日に、小田急電鉄が新宿から小田原まで開通し、箱根への遊山客の数も前年よりぐっと増えて賑《にぎ》やかになっていた。
伊東とはる子は箱根神社に参拝し、芦《あし》の湖《こ》で舟を浮かべた。
そして昼の食事は、旅の汗とほこりを流しがてら、塔《とう》の沢《さわ》の宿でとることにした。
温泉で汗を流し、くつろいだ気分で向い合って膳《ぜん》に坐《すわ》ると、はる子は面映《おもはゆ》いような、浮き浮きするような、なんともいえぬ妙な気分になった。
だが、それとは逆に、こうしていることが至極当り前で、いつもこうしていない方がかえって不自然なのだという気持にもなった。
宿の女中は心得たもので、はる子は奥様、伊東は旦那様と呼んでいたが、そんな些細《ささい》なことが、はる子にはひどく嬉しかった。
「はい……お酌……」
「うん……はるちゃんにお酌してもらうのはじめてだな……」
「お気に入りませんでしょうけれど……」
「そ、そんなことないよ……はるちゃんも、どう……」
「じゃ、一つだけよ……」
そんなことを言いながら、注《さ》しつ注されつ、といってもはる子はほんの盃《さかずき》に二、三杯だったが、していると、二人とも恋人同志というよりはすでに夫婦になってしまっているような錯覚さえおぼえた。
「なんだか夢のような気がするよ……こうやってはるちゃんと向い合って飯を食うなんて……そんな日があるとは思わなかったな……」
ほんのり眼許《めもと》を桜色に染めた伊東の言葉は、そっくりそのままはる子の気持でもあった。
食事がすむと、二人は広い宿の庭を散歩した。
「この宿はねえ、前に尾形先生のお供で来たことがあるが、かなり古いんだそうだよ。明治の初めに、皇女、和宮様が湯治に来られたこともあるんだって……」
「和宮様って……徳川の将軍家へお輿入《こしい》れされたお方ね……」
「ああ、幕末の公武合体の犠牲になられた方だね……この宿で湯治をなさっていらっしゃって、結局、ここで歿《な》くなられたのだ」
「まあ、そうなの……」
はる子はあらためて周囲を見回した。
「ほんとに静かないいところね……」
「うん……」
伊東はちらとはる子を見た。
「ねえ、はるちゃん、今日、箱根神社でずいぶん長いことおがんでたけど、なにを祈った……?」
「いろんなこと……弟や妹たちが達者で仕合せでありますように……有里さんに早く丈夫《じようぶ》で可愛《かわい》い赤ちゃんが授かりますように……栄吉さんが健康でますます活躍できますように……それから……」
「それから……?」
「いえないわ……」
「どうして……」
「恥かしくて……」
はる子は照れくさそうに笑った。
「なんだ、言えよ」
「……じゃ、そっち向いてて……そしたら言うわ」
「よし……」
「絶対にこっちを向いては嫌よ」
「ああ……」
「あの……本当にこっちをむかないで……」
「わかったよ」
「あのね……あの……今度こそ、栄吉さんのお嫁さんになれますように……」
「はるちゃん……」
伊東はふり返った。
「あら、駄目よ、こっちを向いては……」
あわてふためくはる子の手を、伊東はしっかりと握った。
「はるちゃん、ほんとだよ……」
女心は複雑なものだという。
日帰りの旅を日帰りで帰りながら、どこか物足りないものがはる子の心の底で揺れていた。
この旅行を栄吉と約束したとき、心のどこかで怖れながら期待するものがあったのではなかったろうか。
列車の窓から夕暮の箱根山が遠くなったとき、はる子の胸を悲しみが甘く、流れた。