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旅路71

时间: 2019-12-29    进入日语论坛
核心提示:    33伊東栄吉はいよいよ千葉へ行くと決った日、和子に連絡をとった。母を失くして以来、和子は千駄谷の小さなアパートに一
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    33

伊東栄吉はいよいよ千葉へ行くと決った日、和子に連絡をとった。
母を失くして以来、和子は千駄谷の小さなアパートに一人暮しをしながら、近くの託児所で働いていた。
伊東は和子と、新宿のフルーツ・パーラーで待ち合せた。
和子は約束の時刻より、すこし遅れてやって来た。
「すみません、随分お待ちになった……?」
「いや、それより託児所の方よかったんですか」
「ええ、もう終りましたの、今日はちょっと仕事が残ってしまって……意地が悪いものね、いそいで帰らなくてもよい日にはなんにもなくて……」
「そんなものですよ……しかし、子供の世話というのは大変でしょう」
「ええ、馴《な》れるまではね……毎日家へ帰ると、体中の骨がバラバラになるような気がしましたわ、子供といっしょに動いている時はなんでもないのに……でも、習うより馴れろですわね、今はもう、なんともありませんの」
「想像出来ないですよ、昔の和子さんしか知らない人だったら……尾形先生も奥さまも、さぞかし吃驚《びつくり》しておられることでしょう」
「父や母はきっと喜んでくれてると思いますわ……それより、千葉へご栄転ですってね、おめでとうございます……」
「北海道から東京へ出て来て以来、ずっと新橋の運輸事務所だったんですが、この辺で、千葉へ行って苦労して来いと言われましてね」
伊東はいつもと変らぬ調子で言った。
彼ほど態度の変らぬ男もめずらしいと和子は思う。父がまだ生きていた時分でも、両親と死に別れ、わびしいアパート住いをしている今でも、伊東の和子にたいする態度は終始かわらなかった。
それが伊東の美点であることは間違いないのだが、時には欠点のように和子には思えることがある。もっともっとお互いの距離を接近させればいいのにと望んでも、伊東は何故かそれをしなかった。
理由はだんだん和子にもわかって来た。
伊東の胸の中には、たった一人の女が生きていたのだ。室伏はる子である。和子はその女の面影を伊東から消させようとして、何度か努力してみたが無駄だった。そのたびに、和子自身が傷つくだけであった。
その点さえ除けば、伊東ほど誠実で信義に篤《あつ》い男は居なかった。友人としてならば、彼は最高であった。
「千葉へ行くとなれば、大変ですわね、お引っ越しの時はいつでもお手伝いに参りますわ」
「いや、その点は独り者の気楽さでしてね、みんなガラクタばかりですから……」
「それでも、何かさせて頂きたいわ。伊東さんには随分お世話になったし、せめて、私でお役に立つことがあったら……それに……」
和子は眼を伏せた。
「千葉へ行っておしまいになったら、当分お目にかかれませんでしょう……寂しくなりますわ、私……」
「はア……実は……」
伊東が何か言いかけて、ふと言い淀んだ。
「は……?」
和子は伊東を見た。伊東も和子をみつめている。しかしその眼はどうしたわけか落つきがなかった。
「実は、そのことで……あなたにご相談があるのです……」
「相談……?」
伊東は何か重要な事を述べる時の癖で、肩に力を入れ、両肘《りようひじ》を張っていた。
「こんなことを僕から申し出るのは不遜《ふそん》かもしれません……しかし、僕としてはそうすることが、一番いいことのような気がしたんです……」
和子は次第に不安になった。伊東の表情がいつもとまるで違っていた。次の言葉を聞くのがなんだか恐しいような気さえした。
「和子さん……」
伊東がようやく口をひらいた。
「もし僕のようなものでよかったら、嫁に来ていただけないでしょうか……」
和子はそっと眼を窓の外へ移した。
上海事変は始っていたが、東京の夜は、まだまだ平和だった。
窓のガラス越しに、二、三年前から流行しはじめた東京行進曲がかすかに聞えている。
暗くなった歓楽街を、青い灯赤い灯が華やかに彩りはじめていた。
「伊東さん……私、今、思い出していたのよ……」
和子が眼を外に向けたまま言った。
「ずっと昔、あなたの下宿へ訪ねて行って、あなたを好きだといって泣いた日のことを……あの時は惨《みじ》めだったわ、どんなにあなたを愛していても、あなたには、はる子さんという方がいる……あなたのはる子さんに対する愛は、びくともするものじゃないって知ったとき……悲しかったわ……」
「和子さん、あの人の話は……もう僕らの間ではしない約束じゃありませんか……」
「そうね、そうだったわ……でも」
和子の眼が真直ぐ伊東にそそがれた。
「今夜は話させて欲しいんです、どうしても、話さなければいけないと思うの」
「どうしてですか……」
今度は伊東から和子の視線をはずした。
「あの人のことは、もう過去のことだ……」
「いいえ、過去なんかじゃないわ……伊東さん、私、ついこの間、南部の小父さまからあなたとの結婚をすすめられたんです。あなたが私と結婚してもいいと思っていらっしゃると聞いて、私、夢ではないかと思いました……私、あなたが北海道から出ていらっしゃって、私の家へ住むようになった時からなんとなくあなたが好きでした……でも、あなたには、はる子さんという方がある……それを知っても、父や母は、あなたに私との結婚を半ば強制的に望んだのでした。あの当時は父も生きていて、鉄道省きっての実力者といわれた父の命令に逆える人は一人もいないとまで言われた全盛の時代でした。その娘聟《むすめむこ》にのぞまれて、あなたはきっぱりお断りになった……」
「それは……あの当時の僕には、それしか考えられなかったからです」
「わかっています、あたし、そういうあなたを見て、一層あなたが好きになってしまったんです。父が歿くなって、母は前よりも強く私とあなたと結婚させたがりました……でも、私あきらめようと思いました、あきらめなければならないと……でも、諦《あきら》めきれませんでした……」
「もう止めましょう。とにかく、再出発したいんです、千葉へ転勤を機会に……僕は僕なりに努力し、考えたんです、もし僕の過去を承知で、和子さんが僕のところへ来てくれる気持があるんなら……」
「伊東さん……」
「いっしょに、千葉へ来てくれませんか……僕は才能も無い、学歴もない、平凡な人間です……平凡な仕合せで満足してくれるのなら、あなたを仕合せに出来ると思っています……」
和子は黙って俯向《うつむ》いていた。いつまでたっても、口を開こうとしなかった。
「和子さん……返事をきかせてくれませんか」
「栄吉さん、私、あなたに隠していることがあるんです」
和子が思いきったように言った。
「隠す……?」
「ええ……そのことで私、今まで迷っていたんです……南部の小父様からあなたのお気持をうかがったとき、私、このことを一生あなたに話すまいと思いました。話さないでおけば、あたしはあなたの奥さんになることが出来る……私、悪魔になろうと思いました、せめて一生に一度の私の仕合せの機会なのですもの、悪魔にも鬼にもなろうと……でも……やっぱり駄目……駄目でした」
和子の眼に急に涙があふれだした。
「和子さん、なんのことです、いったい、悪魔とか鬼とか……」
「伊東さん……あなた、なぜはる子さんがハワイへ行ったきり日本へ戻って来ないのか、そのわけをご存知……」
「そんなこと、もうどうだっていいじゃないですか」
「いいえ、聞いてください、なぜ、はる子さんがハワイへ行ったきり帰って来ないのか……誰のためにあの方……」
「それは和子さんの思いすごしだ……あの人があなたのために恋を譲ったと考えているのなら、それは間違っている。あの人と僕との間で、そのことは、僕が欧州へ発つ前にちゃんと話合いがついていたんですよ」
「それは本当かも知れません、たしかそのころ、一度私の母が横浜へはる子さんをお訪ねして、私のため恋を譲って欲しいとお願いしたことがあったそうです……はる子さん、その時はきっぱりお断りになりました……」
「人間の愛情などというものは我儘《わがまま》なものです。また、そうしなければ達成できない場合だってある。或る時は他人を押しのけて行かなければならんのです。僕らはいつもそう話し合い、はげまし合って来ました……和子さん、あなたのお母さんの申し出すらきっぱり断ったはるちゃんが、なんで今度は帰って来んのです。僕にはどうしてもはるちゃんが身をひいたとは思えない、今更、そんな気持になるわけないんだ」
「それは……伊東さんがヨーロッパへ発つ時までは、そんな理由はなかったかも知れませんわ、でも、はる子さんがハワイへ発つ前に、そうした事情が起ったとしたら、どうなんでしょう……」
「ハワイへ発つ前に……?」
「私が……自殺しそこなったんです……」
「あなたが、自殺……」
伊東はさすがに愕然《がくぜん》とした様子だった。
和子はむしろ落ついていた。というよりは、必死になって、自分の感情を制していたのだ。
「私、母のすすめてくれた縁談が嫌で……母はあの頃もう自分の体が弱っているのを知っていたんです。自分の命のあるうちに、なんとか私を結婚させたい……そういう母の情を最初はこばみ切れずに同意してしまいました、けれど……いよいよ婚約がきまってしまうと、辛くて、苦しくて……もう、いっそ死んでしまいたくなって、くすりをのんでしまったんです……発見されて、病院へ担ぎ込まれて、昏睡状態が続きました。それをはる子さん、見てしまわれたんです」
「はるちゃん、どうしてそのことを……」
「ハワイへお発ちになる前に、南部の小父様のところへご挨拶《あいさつ》にいらして、それで……自殺の原因は母が話したらしいんですの」
「知らなかった……」
伊東は太い吐息をもらした。
「そんなことが、あったとは……」
「はる子さんは母に、私の気持が落着くまで日本へは戻らないし、伊東さんとも式を挙げないと約束したんだそうです。それなのに母はそれを利用して、出来るだけはる子さんが日本へ帰る日を遅らそうとしたんですわ……それが母の愛情だったんでしょうけれど、はる子さんはそのために……」
「なぜそのことを、もっと早く言ってくれなかったんです」
伊東の表情には怒りの色が浮かんでいた。
「何度も話そうと思いました、あんまり酷いと思いました……」
和子は伊東からどんな罰を与えられても、甘んじてそれを受ける覚悟をきめているようだった。
「でも、それを言ってしまえば、万に一つ残されていた私の仕合せの機会は、永遠に消えてしまうんです、ですから、出来ることなら、一生あなたに言いたくなかったんです……」
うなだれた白い首筋が、かすかにふるえていた。和子が眼をつぶると、その拍子に、スッと一筋涙が頬《ほお》を走った。
「でも、言わずには居られませんでした、同じ女ですもの、私にはわかるんです……ハワイであの方が、どんな苦しみに耐えていらっしゃるか……母のしたことを今でも本当に恥しいと思っています、だから……だから私……」
和子はたまらなくなって、両手で顔を覆った。
「ごめんなさい……私、伊東さんとはる子さんになんとお詫《わ》びをしたらいいか……」
細い、やさしい指の間から、低い嗚咽《おえつ》がもれた。
伊東はあわてて眼をそらした。
「和子さん、もういいです……あなたやお母さんを責める気持はありません。みんな……みんなそれぞれの愛情のせいなんですから、たしかに、愛にはそういう面もあるんです……」
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