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旅路72

时间: 2019-12-29    进入日语论坛
核心提示:    34昭和七年五月五日、上海事変は約五か月目に停戦を迎えたが、その同じ五月十五日、日本国内では海軍の青年将校と陸軍士
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    34

昭和七年五月五日、上海事変は約五か月目に停戦を迎えたが、その同じ五月十五日、日本国内では海軍の青年将校と陸軍士官学校生徒の一団が、犬養首相を官邸に襲うという事件が起った。
首相は「話せばわかる……」と制したが、若者たちは「問答無用ッ」と叫んで、老首相を射殺し、更に別の一団は牧野内大臣邸、政友会本部、日本銀行、警視庁などに手榴弾《しゆりゆうだん》を投げ込んでから、憲兵隊に自首した。
世にいう、五・一五事件である。
しかしこの年、北海道の室伏雄一郎は初めて助役の試験を受けて落ちた。
彼としては生れてはじめて試験への敗北感を味わう破目となった。
助役試験が、今迄受けた試験とはくらべものにならないくらい難かしいものであり、そう簡単に合格出来るものではないと分ってはいても、やはり残念でならなかった。
又、雄一郎が試験に落ちたことを、有里は有里なりに反省していた。
結婚して以来、夫には何かと負担をかけすぎてはいなかったろうか。
秀夫が産れる前も、体が大儀なので、なにかにつけて夫に頼りすぎていたし、ここ二、三年は、やれ姉の結婚だ、兄の嫁とりだと始終尾鷲の実家へ帰ったりしていて、夫に落着いて勉強する暇を与えなかったような気がする。
それに子供が産れてからは、どうしてもそっちの方に手がかかり、夫の世話を充分してやれなかったようだ。
雄一郎の不合格は、自分が妻として不合格だったのだと有里は思った。
(もっと良い奥さんにならなければ……)
有里は心の中で、何度も繰返した。
そんな、いささか湿りがちな雄一郎の家に、まるで降って湧《わ》いたような、一つの事件がもちあがった。
そもそもの発端は、釧路の車掌従業員詰所で昼の弁当を食べていた雄一郎のところへ、以前彼の居た塩谷から電話がかかった。
瀬木奈津子という七歳の女の子が、たった一人、東京から北海道の両親の許へ帰るのだと言って、函館の連絡船でうろうろしているのを保護され、結局、女の子の言う通り、塩谷駅に送られて来たのだという。彼女の言葉によれば、親の名は室伏といい、鉄道員だということだった。
塩谷駅に勤務していて、室伏といえば、釧路へ転勤した室伏雄一郎に違いないというので、早速電話をして来たのだった。
瀬木奈津子の名前を聞いたとき、雄一郎は自分の耳を疑った。奈津子といえば、塩谷の家の前に捨てられていて、一年半ほど育ててやり、やがて生みの母親に引き取られて行ったあの奈津子に違いない。が、雄一郎には、奈津子がたった一人で北海道へ出て来たということがどうしても信じられなかった。
おまけに、自分たちのことを北海道の両親だといっているそうだが、いったいどういうわけなのか。彼女には父親こそ死亡して居ないが、母親は立派に存在するのである。
とにかく、塩谷駅に近い岡本良平の家に一応引き取らすことにして、雄一郎は電話を切った。
このことを有里に知らせると、彼女はすぐ塩谷へ行きたいという。
「今からだと夜になるが、秀夫と一緒で大丈夫か……」
「大丈夫です、早く奈っちゃんに逢《あ》って様子が知りたいし……あの子、きっと心細がっていると思うんです……」
結局、雄一郎は有里を先に塩谷に行かせ、自分も仕事が終り次第駆けつけることにした。
釧路からの夜行列車は空いていた。
片側の座席に秀夫を寝かせ、有里は七歳になったという奈津子の顔をあれこれと想像した。
赤ん坊の頃の奈津子の顔は写真を見なくても、瞼《まぶた》のうちに、はっきり浮かべることが出来た。
有里もまだ結婚したばかりだった、あの春の日、塩谷の家の戸口に捨てられて泣いていた奈津子……。貰《もら》い乳に歩いたり、牛乳を飲ませたりして、苦心|惨憺《さんたん》して育てあげた奈津子。
生みの母親が突然迎えに来て、わけがわからぬままに連れて行かれた日の奈津子……。
夜行列車に揺られながら、有里は想い出の中の奈津子を思い浮かべながら、遂に一睡もしなかった。
塩谷についたのは翌日で、奈津子は良平に連れられて近所の風呂《ふろ》屋へ行って留守だった。
しかし、奈津子に関する、更にくわしい事情を千枝が説明してくれた。
「それがねえ、あの子ったら、有里姉さんのこと本当のお母さんだって信じ込んでいるらしいんだよ……あたしは小さい時、よその小母さんに連れられて東京へ行ったんだ、本当のお母さんはこの人じゃないって、いつもそう思っていたんだって……早く大きくなって、本当のお母さんの所へ帰ろうって……」
「まあ……」
それだけで、有里はもう涙ぐんでしまった。
「したけど、どうして塩谷だの、室伏だのってわかったのかしらね……」
「あの子がなかなかあの女の人のことをお母さんて呼ばないもんで、あの人が私が本当のお母さんだよ、塩谷の室伏さんはただ少しの間、お前を預ってくれただけなんだよって話したわけよ……あの子はそれを聞いて、ああ、塩谷の室伏っていうのが自分の本当の両親なんだなと思い込んでいたというの。なんだか怖いみたいな子よ、眼の大きな可愛い子だけどね……」
「それで、汽車はどうやって……?」
「家が上野の近くらしいのよ、いつも駅へ遊びに行って、駅の人と仲良くなってね……そこで塩谷へ来る方法なんか聞いたらしいのね。あの子、夕方になると毎日、青森行の急行を見に行ったらしいよ、いつかあの汽車に乗って、きっとお母さんの所へ帰ろうって……」
千枝の声の調子がふっと変った。急に涙が押えきれなくなったらしい。
「あたい、それを聞いたとき、もう、泣けて泣けて仕方がなかったんだよ、汽車を見ているその恰好《かつこう》が眼に浮かんじゃってね……」
「そう……そうだったの……」
有里もあわてて眼頭を指で押えた。
「あたし、ちょっとそのお風呂屋さんまで迎えに行って来るわ、そんなにまでして来たのを、此処《ここ》で待っていたんじゃ可哀《かわい》そうだもの……」
だが、ちょうどその時、表の戸の開く音と共に、良平や長女の雪子の声がした。
「あッ、帰って来たらしいよ」
千枝の言う前に、有里は玄関へとんで行った。
「奈っちゃん……」
土間のところに、眼のくりくりしたお下げ髪の子が立って、じっとこちらを見上げていた。
有里にはその子が、一目であの奈津子だとわかった。
「奈っちゃんッ……」
「お母さんッ……」
奈津子が毬《まり》のような勢で、有里の胸の中にとびこんで来た。
「よく……よく帰って来てくれたわね……」
しっかりと奈津子を抱きしめながら、有里は奈津子の頬《ほお》に、自分の涙でびしょびしょになった頬を押しつけた。
その奈津子の眼からも、あとからあとからとめどなく涙が流れていた。
雄一郎の到着を待って、有里は奈津子を釧路へ連れて帰った。
しかし、気持が落着いてくると、有里も雄一郎も奈津子の身柄をどうするかで頭を悩ました。
二人のことを本当の両親だと思い込んでしまっているのも悩みの種だが、奈津子がいったい東京のどこに住んでいたのか分らないことが一番困った。
大体上野駅の付近らしいというので、こちらから連絡して、上野駅の構内に瀬木奈津子が北海道に居るから関係者は至急連絡して欲しいという貼紙《はりがみ》を出してもらった。
「あたし……もう、奈っちゃんを返すのが嫌になってしまった……あんなに私たちを本当の親だと信じ込んでいるんですもの、いっそ奈っちゃんをうちの子にしたいわ……」
有里は言ったが、雄一郎は許さなかった。
「いずれ必ずあの子にも本当のことがわかる時が来る、その時になって哀《かな》しむより、今のうちに生みの母親の手許へ帰しておいたほうがいいのだ……」
奈津子が釧路へ引き取られて来てから十日もたって、東京の奈津子の母親、瀬木千代子から手紙が来た。
奈津子を迎えに行きたいが、仕事の都合でどうしても行けないので、なんとか鉄道のほうに頼んで上野駅まで列車に乗せて来てくれないだろうか、到着時刻を知らせてくれれば、駅までは迎えに行くから、とあった。
この手紙を見たとき、有里はさすがに顔色を変えた。
「あんまりだわ、あんな子を一人で東京へ返せだなんて……あんまりひどすぎるわ……」
「むこうにも事情があるのだろう」
「いくら事情があったって、自分の子じゃありませんか。まして家出して来た事情が事情なんだから、もう少しあの子の気持を考えてくれたってよさそうなものだわ」
こんなことがあって、有里はますます、奈津子を東京へは帰したがらなくなってしまった。
それから更に一週間ほどたった或る日、隣家の岡井が妙な顔つきでやって来た。
「実はさっき車掌区の方へ警察から連絡があってな、瀬木奈津子という子を早く母親のところへ戻すように言ってきたんだ」
「警察……?」
雄一郎も眉《まゆ》をひそめた。
「なんで、警察がそんなこと言って来たんです」
「なんでも、東京のあの子の母親からそういう訴えが出されたらしい……なんとも非常識な女だ……わしから事情は説明しておいたが、そういうわけで、警察では一日も早くその子を東京へ送り返すようにとのことだった……」
雄一郎と有里は顔を見合せた。
驚くというよりは、ただ呆然《ぼうぜん》とするばかりだった。
「いったい、どこまで勝手なんだッ……」
さすがに雄一郎も、怒気を含んだ声で呟《つぶや》いた。
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