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旅路79

时间: 2019-12-30    进入日语论坛
核心提示:    4昭和九年十二月一日、十七年間の鉄道技師やトンネル坑夫たちの苦闘の結晶による丹那《たんな》トンネルが遂に開通した
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昭和九年十二月一日、十七年間の鉄道技師やトンネル坑夫たちの苦闘の結晶による丹那《たんな》トンネルが遂に開通した。
導坑が貫通したのは一年前の昭和八年六月十九日、午前十一時三十分のことで、鉄道大臣三土忠造が大臣室からの電鈴合図により最後の爆破が行なわれたのである。
ダイナマイトの匂《におい》の中にぽっかりあいた貫通式から、汗と涙にまみれた、三島《みしま》口、熱海《あたみ》口の双方からの現場の人々の顔がのぞいた。その中には一生を鉄道工事に捧《ささ》げて、齢《よわい》七十五という古川阪次郎技師の姿もあった。
そして、それから一年有余の後、昭和九年十二月一日、めでたく開通の日を迎えたのであった。
丹那トンネル開通の日は、それまでなじみの深い御殿場《ごてんば》線と別れる日でもあった。東海道の幹線はこの日を限り熱海線を通り、トンネルを抜けて沼津《ぬまづ》へ達した。
丹那トンネルの開通で、旅客はスピードアップをはじめ御殿場線のトンネル内での煤煙《ばいえん》からまぬがれたし、更に、美しい伊豆《いず》海岸の風光とか、湯河原《ゆがわら》、熱海などの温泉地を通過する便利さなどに恵まれたが、一方、鉄道の方は一時的にではあるが大減収となった。
つまり、今までの御殿場線まわりにくらべて、熱海通過だと十一・八|粁《キロ》もの距離が短縮され、運賃がその分だけ安くなってしまったからである。しかし、大きな目から見れば、この丹那トンネルが国家にもたらした利益は莫大《ばくだい》なものがあった。
同じ十二月一日から、かねて懸案だった客車内の弁当、鮨《すし》、お茶などの車内販売が実施されるようになり、又、朝鮮鉄道では釜山《ふざん》、新京《しんきよう》間を『ひかり』が運転開始、満州鉄道では大連、新京間に特急『あじあ』が運転された。
このころは、日本の鉄道にとってもまさに絢爛《けんらん》たる時代であったのだ。
翌昭和十年、雄一郎は助役として釧路から倶知安《くつちやん》へ転勤することになった。
この前、塩谷から釧路へ転勤したときは、ちょうど三千代の事件などがあり、まるで逃げるようにして引っ越したものだったが、今度は正真正銘の栄転であった。
倶知安は函館本線で小樽から約二時間、南にはえぞ富士と呼ばれる羊蹄山《ようていざん》、西には東洋のサンモリッツといわれるニセコアンヌプリをいただく景勝の地である。
町の中央を流れる尻別川《しりべつがわ》の両わきにひろがる、山にかこまれた小盆地を、北海道の開拓民たちは北海道の小京都とよんで懐しんだ。
雄一郎は、なんといっても生れ故郷の塩谷まで駅にしてたった七つということが何よりも嬉《うれ》しかった。おまけに倶知安の駅長は前に釧路の助役をしていた桜川京助で、夫人の民子と有里は互いに気心も知れ、ごく親しい間柄だった。
雄一郎も有里もいそいそと仕度をととのえた。
ただ一つ心残りだったのは、釧路へ転任以来、なにくれとなく面倒をみてもらった隣りの岡井家と別れなければならないことだった。
雄一郎夫婦が釧路ですごした月日は、彼らの鉄道員生活の中でもっとも長かった。ちょうど不況時代やその他の事情が重って、転勤がおくれたためでもあったが、しかし、後になって考えてみると、この釧路時代が雄一郎や有里にとって、一番平和でおだやかな生活の時期であったようだ。
よき隣人に恵まれるということは、人間にとって何にもまして仕合せなことなのであろう。
大人たちのこの気持は、そっくりそのまま子供たち同志のあいだにも通じていた。秀夫は仲よしだった三郎との別れが辛くて、倶知安行をひどく嫌がった。
いよいよ室伏一家を乗せた列車の発車の時刻が近づくと、秀夫はホームまで見送りに来てくれた三郎と、お互に首の襟巻《えりまき》をはずして交換した。
「秀ちゃん、俺《おれ》のこと忘れんでくれよ」
「うん、さぶちゃんもな」
真剣な表情で別れの言葉を述べ合う子供たちを見ているうちに、有里もよし子も急に悲しみが胸にこみ上げてきた。
「そんじゃ、まあ、お達者でね……たまには手紙をちょうだいよ」
汽車が動き出すと、窓にすがりつくようにしてよし子が言った。
「奥さんもお達者で……いろいろ有難うございました……」
「さようなら、さぶちゃん……」
「また遊びに来いよな、秀ちゃん……」
「どうもお世話になりました……」
最後に雄一郎が敬礼した。列車はどんどんスピードをあげ、岡井家の人々の姿はみるみる遠ざかって行った。
しかし、感傷にそう長くひたる間もなく、室伏一家は倶知安での新しい生活の中にとび込んで行った。
倶知安駅での雄一郎の助役としての勤務ぶりもようよう板につき、有里と秀夫もやっと土地の生活に馴染《なじ》んだころ、駅前の雄一郎の官舎に一通の電報が舞い込んだ。
それは長らく結核で療養中の関根重彦の妻、比沙の死を知らせたものだった。
宛名《あてな》は有里になっていて、電文は、
『ツマシス オイデネガイタシ セキネ』
とあった。
「あなた、どうしましょう……」
途方に暮れて有里は雄一郎を見上げた。
「何故《なぜ》、私宛にこんな電報を……」
「とにかく、おいで願いたしとあるんだから、すぐに発《た》ったほうがいい……ひょっとすると、何か事情があるのかもしれん」
「事情って……?」
「ただ歿《なくな》っただけなら、わざわざ北海道のお前にまで来てくれとは言って寄越さんだろう」
「そうですねえ……」
「すぐ仕度しろ、秀夫や俺のことなら心配するな、困ったことがあったら千枝がいつでも来ると言ってくれているからな」
有里は雄一郎にせき立てられるようにして、千葉県|鴨川《かもがわ》へ向った。つい二か月ほど前、比沙からの手紙にそこで療養しているとあったのである。
関根重彦が妻のために借りた別荘は、海に近い松林の中にあった。
有里がその別荘の門をくぐったのは、倶知安を発った翌々日の昼前だった。
有里を出迎えたのは、比沙の母だった。娘の突然の死に京都から駆けつけたものであろう、セイの頬《ほお》にはやつれが目立ち、心なしか髪にもめっきり白いものが多くなっていた。
「有里はん……よう来てくれはりました……よう来てくれはりました……」
有里にすがりつかんばかりにしてセイは言った。
「すみません、遠いところを……」
関根も待ちかねたように奥から出て来た。
「いいえ、それよりも、あまり急なことで……そんなにお悪かったとは夢にも知りませんで……」
すると関根が複雑な表情を浮べた。
「……比沙は……まるで自分で自分の命を縮めたようなものだったんです……」
「えッ」
「ちょうど、あれが歿《なくな》る三日前の朝でした……近くの旅館に滞在していた絵描きさんが海岸に倒れていた比沙を連れてきてくれたんです……」
「海岸で……」
「あの子の言うには、夜明けに眼が覚めてしもうて、なんや、海が見とうなったのでそっと外へ出てみたというのどす……」
関根のあとをセイが引き取った。
「気分も良かったし、砂の上を歩いてみたかったのやと……けど、あの子の体はそんな一人で夜明けの浜辺を歩けるような状態ではなかったんどす」
「そう、それで浜辺で貧血を起したらしいんです」
関根が頷《うなず》いた。
「倒れているのを発見されて、家へ担ぎ込まれたのですが、それから喀血《かつけつ》がつづいて……とうとう三日目の夜に……」
「なんでそんな阿呆《あほう》なことをしたのか……」
セイが溜息《ためいき》をもらした。
「死ぬ前にあの子は何度もあなたに逢《あ》いたいと……北海道でのことが、よほど懐しかったのどすやろなあ……それでわざわざ電報を打ってもろて、有里はんにお線香をあげていただきたい思いましてなあ……」
セイは急に涙で声をつまらせた。
「そうそう、まだお茶も差上げんと……」
茶にかこつけて、部屋を出て行った。
「今度のことがなくとも、比沙の病気は決していい状態ではありませんでした。ちょうど、釧路《くしろ》から東京へ転勤して間もなく、胸をやられているとわかったんです。医者は気永に養生すればいいと言ってくれたし、僕もそう思っていました……しかし、比沙には僕が思った以上に療養生活がつらかったようでした。僕がこの前比沙を見舞った時、あれは、こんなことを言いました……私は結婚以来病気がちで、妻らしいことは何も出来ず、いつもあなたの重荷にばかりなってきてしまった、そのことを考えると申しわけなくて、いっそ別れてもらいたいと思っている……」
関根は眼を伏せたまま、低い声で続けた。
「……僕にはあれの気持はよくわかっていました……わかっていてもどうにもならなかった、どうしてやりようもなかったんです……だが、まさか、それほど追いつめられていたとは……夫として、何故《なぜ》そんな妻の状態がわからなかったのか……比沙は何故黙っていたのか……苦しいなら苦しいと、どうして一言僕にいってくれなかったのか……」
関根はずっとその問題で悩みつづけているらしかった。
有里には彼の苦しい胸のうちがよくわかった。しかし、彼が比沙の苦しみをどうすることも出来なかったように、有里もまた彼の苦痛をやわらげることは不可能だった。
有里は、声もなく慟哭《どうこく》している関根を、ただじっと見つめるだけであった。
(比沙さんが病気がちであったということだけで、二人がこんなに苦しまなければならないとは……)
あらためて夫婦という城のもろさを、思い知らされた気持がした。
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