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有里が比沙の霊前に焼香をすませて戻ってくると、さっきの部屋に関根と並んで、美しいがやや沈んだ感じのする和服姿の女が坐《すわ》っていた。
有里がはいって行くと、好意のこもった微笑を浮べ、軽く目礼した。
「有里さんは初めてかな、尾形和子さんといって、僕の遠い親戚《しんせき》に当るんです……」
関根が和子を有里に紹介した。
「尾形和子です、ご主人様には以前お目にかかったことがございますのよ」
「ああ、では……鉄道省の尾形さんの……」
思わず声がはずんだ。
「そうでしたの……室伏雄一郎の家内でございます」
あらためて挨拶《あいさつ》を交わした。
「有里さん、和子さんがあなたに何か折入って話があるんだそうです、聞いてやってくださいますか……」
「お疲れのところ、すぐこんな我儘《わがまま》を申しまして申しわけありません」
「いいえ、とんでもない……」
有里は坐りなおした。
「で、お話って、どんな……?」
「あの……こんな所でお目にかかって、いきなりこんなことを申しあげるのもなんですけれど……私、あなたにお願いがございますの」
「なんでございましょう……」
「あの……実はハワイへ行っていらっしゃるはる子さんのことなんです……」
「義姉《あね》の……?」
「はあ……あなたでも、御主人様からでも結構なんですけど、はる子さんにお手紙を書いて頂けませんでしょうか」
「手紙と申しますと?」
「私のこと、世間ではいろいろに言っているらしいんですけど、私、伊東さんとは結婚しないことにしましたの」
「は?」
「いいえ、どうぞ誤解なさらないで下さいまし。もともと、伊東さんにはそんな気持が少しもなかったのに、私が勝手な我儘を言っていたのです……でも、もう、はっきりと決心しましたの、私と伊東さんとのお付合はただのお友達にすぎませんわ、伊東さんは今でもはる子さんがハワイから帰って来ることを……結婚できることを心から待ちのぞんでいらっしゃるんです。母がいろいろハワイへ伊東さんのことで申し上げたことは嘘《うそ》です。みんな娘|可愛《かわい》さにやったことなのです。ほんとうに、はる子さんには何とお詫《わ》びしてよいやら……どうか、このことを至急はる子さんにお伝え願えませんでしょうか、私も、はる子さんのお帰りになることを、少しも早くと願っておりますの、昔の私ならともかく、今の私は、はる子さんと伊東さんがお仕合せになることを、決して恨んだり哀《かな》しんだりはいたしません……」
和子はやや伏目がちにして語りつづけたが、終ると、眼をあげて有里を見詰めた。
「はる子さんに、私の本当の気持をわかっていただきたいのです」
「有里さん、どうかこの人の気持を汲《く》んでやってください、僕からもお願いします……」
関根も傍から言葉をそえた。
「昔はともかく、和子さんは今ではたった一人で下宿住まいをしながら、保育園の保母として、貧しい恵まれない子供たちを相手に働いているのです……」
「そうでしたの……」
有里はホッと息をついた。
女だから、有里には尾形和子の気持がよくわかる。恋を譲るとか、身を引くとか、そんな言葉で簡単に割切ることの出来ないはる子と和子の女心が、有里には痛いほどわかるのだ。
ハワイへ去ったはる子の立場も、伊東栄吉と結婚しないと言い切った尾形和子の気持も、どちらもそうせざるを得ない人間のかなしさであり、相手を思いやる情の故であった。
それでいてどちらにも、自分の行動や言葉とはまるで正反対な伊東への思慕《しぼ》がかくれている。それが、果てしない悩みとなり、交わることのない愛の平行線をたどる原因になっているのだ。
(これではいけない……)
と有里は思った。
今のままでは、伊東栄吉を含めて、はる子も和子も永遠に仕合せをつかめないで終ってしまうに違いない。
手をのばせば掴《つか》める仕合せを、三人が三人とも、お互同志のいたわり合いのために掴めず、いたずらに無駄な月日を送っている。
(いけない……)
と有里は思った。
(やはり、和子さんの言うように、お義姉《ねえ》さんに帰ってきていただかなくては……)
有里は和子を見た。
和子のさりげない微笑の奥に、ふと一抹の寂しさのただよっているのに気づき、有里はあわてて視線をそらした。
「ありがとうございます……早速|義姉《あね》にそう伝えてやります、義姉もきっと心から感謝いたしますことでしょう」
ぎこちない笑いを浮べながら有里は和子に言った。
北海道へ帰ると、有里は幾日もかかって、はる子への手紙を書いた。
言葉は足りなくとも、文字は拙《つたな》くとも、女として、義理の姉へ必死で訴えた。
仕合せになるために勇気を持って欲しい、一度は人を傷つけることになっても、仕合せになることで、その償いが出来るのではなかろうかと、心をこめて書き送った。
そして又、有里は伊東栄吉にも手紙を書いた。伊東からも、はる子に早く日本へ帰ってくるようすすめてもらうためである。
やがて、倶知安《くつちやん》の遠い山々に雪の化粧がほどこされる頃《ころ》、はる子からの便りが雄一郎夫婦の許にとどけられた。
『……日本へ帰ります。帰りたくて帰りたくて、海の上を走りだしたい気持です。白鳥舎のお店の責任があるので、そのほうをちゃんと片付けてから、帰国するつもりです……』
文面には、長いこと押えに押えたはる子の女心が、陽炎《かげろう》のように燃えていた。
この年の暮、千枝は五度目の出産をした。今度は双子で、前の年に生まれた月子を加えると、長女の雪子、辨吉、良太、月子、清三、清子と、全部で六人の子持となったのである。
雄一郎のところの秀夫は、この四月から町の小学校へ通いはじめていた。
ランドセルを背負い、近所の子供たちと誘い合せて、元気よく学校へ出掛けて行く秀夫の後姿を見送りながら、雄一郎も有里もあらためて歳月の流れの早さに目を瞠《みは》る思いがした。
いつの間にか雄一郎は三十、有里は二十六歳になっていた。
翌昭和十一年は、年が改って間もない二月二十六日、陸軍青年将校らが暴発し、内大臣|斎藤実《さいとうまこと》、大蔵大臣|高橋是清《たかはしこれきよ》などが暗殺されるという事態が起った。内閣は総辞職し、東京市に戒厳令が発布されるという騒ぎだった。
北海道では、秋に旭川《あさひかわ》の第七師団と弘前《ひろさき》の第八師団の陸軍特別大演習が天皇陛下をお迎えして、由仁《ゆに》付近で行われることになったが、倶知安は、その前哨戦《ぜんしようせん》として行なわれる第八師団の演習地に指定された。
第八師団には、秩父宮《ちちぶのみや》殿下が三十一連隊第三大隊長として居られ、宮様はじめ三千五百人の兵隊が倶知安近郊に泊ることになった。
それを迎える町では六月から痘瘡《とうそう》、腸チブス、ジフテリヤなどの予防接種や消毒などで大騒ぎだった。
鉄道でもこの為の特別ダイヤ編成で多忙を極め、雄一郎も連日連夜、大演習の受入れ準備に忙殺された。
陸軍側では、ある日、鉄道の幹部および現場の駅長、助役たちを札幌《さつぽろ》の料亭に招き、慰労かたがた今後一層の協力を要請する会合をひらいた。雄一郎もこの席によばれた一人だったが、そこで計らずも三千代に再会した。
三千代はこの料亭で、女中として働いていたのである。
この時の雄一郎にとって、廊下の薄暗がりで逢《あ》った三千代の印象は鮮烈だった。
年齢はちょうど二十六、七歳の、女としての成熟期を迎えていたし、ここ数年、世の中の裏道ばかりを歩き続けて来た生活が、彼女に或《あ》るきびしさと女っぽさを与えていた。
それは、平和な家庭で夫や子供に恵まれて暮している女にはない、なにか崩れた魅力のようなものでもあった。
会のあと、料亭の裏口で待ち合せ、雄一郎は三千代を近くのコーヒーショップへ誘った。
しかし、何から話していいのか、雄一郎はしばらく言葉が見つからなかった。