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旅路82

时间: 2019-12-30    进入日语论坛
核心提示:    7雄一郎は三千代のことを、何度も妻に相談しようかと思った。しかし、その度に三千代との約束を思い出した。有里に話し
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    7

雄一郎は三千代のことを、何度も妻に相談しようかと思った。
しかし、その度に三千代との約束を思い出した。有里に話して、かえって休日に札幌《さつぽろ》へ行くたびに、あらぬ疑いをかけられそうな気もした。
また、ちょうどその頃《ころ》、尾鷲《おわせ》から有里の母のみちが孫の啓子を連れて来ていて、なんとなく三千代の話をしにくくもあった。
雄一郎は、結局、誰《だれ》にも秘して、時々札幌へ出掛けて行くようになった。
むろん三千代に逢《あ》うためだが、雄一郎はいつも、本当に話をするだけで帰って来た。それも大半は、なんとかして三千代を南部斉五郎の許《もと》に帰らせようとの説得に費された。
北海道での大演習も事なくすみ、やがて、年が明けて昭和十二年を迎えると、早々にハワイからはる子の帰国を知らせる手紙が雄一郎夫婦の許に届いた。
もっと早くに帰れるつもりが、白鳥舎を引継ぐ予定でハワイへ行った伊吹きんの弟の亮介が自動車事故で入院するなどで、つい、予定が遅れたということだった。
北海道の遅い春の花便りのように、はる子の手紙は雄一郎夫婦にも、良平・千枝の夫婦にも、待って待って待ち抜いた知らせであった。
そして、秋九月、はる子は胸一杯に仕合せの息吹《いぶき》を抱えて、故郷日本の土を踏んだ。
その日、横浜には、すでに知らせを受けた南部斉五郎夫婦と白鳥舎の伊吹きんが出迎えに出ていたが、船が桟橋に着き、タラップから乗客たちがどんどん降りてくるのに、肝腎《かんじん》の伊東栄吉の姿が見えなかった。
「伊東はまだ来とらんな……いったい何を愚図愚図しとるんだ」
「そんなことおっしゃったって無理ですよ、私たちは川崎ですからね、横浜はすぐ目と鼻の先ですけど、伊東さんは千葉から来るんですからね」
斉五郎がやきもきするのを横眼で見ながら、節子は至極のんびりと構えている。
「千葉がなんだ、あっちはハワイから帰って来るんだぞ、千葉とハワイとどっちが遠いと思っとるんだ」
「そんなこと、きまってるじゃありませんか」
節子が手の甲を口に当てて笑った。
「斉五郎さんも年とったわね、その煙草、なんですよ、さっきからつけたり消したり……せっかちは昔からだと思ってたけど、いい年をして、少しは落着きなさいよ」
伊吹きんにまでたしなめられて、斉五郎は口惜《くや》しがった。
「この馬鹿《ばか》共、俺《おれ》が心配しとるのは、はるちゃんの気持を思えばこそだぞ、はるばるハワイから帰って来て、肝腎の伊東栄吉の姿が見えなかったら、いったいどんな気持がすると思うんだ。お前らが何人|雁首《がんくび》を並べたって、なんのたしにもならないんだぞ」
「来ますよ、伊東さん……ちゃんと時間だって知らせてあるんですから……」
「どこに来とる……え、どこに居るんだ、来とらんじゃないか」
「今に来るわよ、斉五郎さん」
「来なかったらどうする、来もせん者を、来ます来ますと……無責任な奴《やつ》らだ……大体、伊東はのろますぎる、のろまだから、いつまでたっても好きな女と結婚も出来んのだ……大体、あいつは、たるんどる」
「あっ、はるちゃんよ……」
伸び上ってタラップの方を見詰めていたきんが突然|頓狂《とんきよう》な声を出した。
「ほら、あの真中辺のところにいる……ちょっとオ——はるちゃん——」
きんはあたりを憚《はばか》らぬ大声ではる子を呼んだ。
「それみたことか、とうとう間に合わんじゃないか……」
斉五郎が、がっかりしたように言った。
「あなた、行きましょう、はるちゃんのところへ……」
節子が斉五郎をうながした。
だが、その時、人ごみを掻分《かきわ》け、泳ぐような恰好《かつこう》で斉五郎たちの前へとび出して行った男があった。
伊東栄吉だった。
伊東は、タラップを降りきりこちらへやってくるはる子の前に立った。
「はるちゃん……」
「栄吉さん……」
はる子も立ち止まった。
どちらからともなく、しっかりと手を握り合った。
斉五郎も節子もきんも、それを見て思わずはっと足をとめた。
「そばへ行っちゃいかんぞ、そっとしといてやれ」
斉五郎が短く叫んだ。それから、ほっと息をつき、腹の底から安心したように、
「よかったなア……よかった、よかった……」
眼をしばたたきながら呟《つぶや》いた。
はる子の帰国の知らせは、北海道の倶知安《くつちやん》へも小樽《おたる》へも同時に届いた。
そして、結婚式は伊東とはる子の強い希望で、南部斉五郎の仲人により北海道で挙げたいとあった。
この年は七月七日の蘆溝橋《ろこうきよう》事件以来、中国大陸に於ける日中双方の戦火が拡大の一途をたどりつつあった。
そんな中で、このはる子の結婚のニュースは、北海道の雄一郎たちの心を明るい気持で一杯にした。
何を言っても、笑っても、家族たちの誰《だれ》もが、はる子の顔を思い浮べた。長い間、自分の仕合せに目をつぶり、健気に働き続けて来た姉を、きょうだい達は今度こそと心から祈り、祝福していた。
又、一方では、北海道へ発《た》つまでの日を、はる子は寄宿先の白鳥舎と川崎の南部宅を往復して、式の準備にいそがしかった。花嫁衣装や道具は、伊吹きんが全部用意することになった。伊東も打ち合せに、しばしば千葉から出て来た。
斉五郎夫婦も、久しぶりに訪ねる北海道に、そわそわと落着かなかった。
そして、予定より一日遅れた十月一日、青函《せいかん》連絡船で海峡を渡って、伊東栄吉、はる子、そして南部斉五郎夫婦と伊吹きんの一行は、函館から札幌行の急行列車に乗り込んだ。
函館を出ると間もなく、検札に来た中年の車掌《しやしよう》が南部斉五郎に挨拶《あいさつ》した。
「駅長さん、お久しぶりです、私は小樽で小荷物をやっとりました皆川です……」
「おお、皆川君……そうだ、皆川君だ……」
懐しそうに手を握り合った。
「実は、小樽のほうから連絡がありまして、駅長さんが今度北海道へおいでだというので、みんな楽しみにしておりました。まことに恐縮ですが、着駅ごとに、窓からお顔を見せてやって下さいませんでしょうか、みんなお待ちいたしておるはずですから……」
「そうか、そうか……ありがとう……」
その車掌が予告して行った通り、各停車駅には、かつての南部駅長の薫陶を受けた者たちが待ち構えていた。
すでに駅長に出世している者もあり、助役の帽子をかぶっている者もある。まだ下積で働いている者もあった。
しかし彼等に共通していることは、どの顔にも恩師に再会する懐しさにあふれ、どの眼にも父親を迎える喜びの色が浮んでいた。
そして又、窓から体をのり出すようにして、一人一人と言葉を交わし、再会を喜び合う斉五郎の顔も深い感動に満ちていた。
伊東栄吉やはる子が驚いたことには、斉五郎が、実に一人一人の名前から経歴、家族のことに至るまで正確に記憶していることであった。
事情を知らない客が見たら、いったい、この南部斉五郎という人物を何者かと訝《いぶか》しんだことだろう。
肩を叩《たた》き合い、手を握りしめて、その多くは涙で顔をくしゃくしゃにして、斉五郎を見詰めていた。
高価な物も身に着けず、多くの随員たちを従えているわけでもない。ただ一介の、年老いた元鉄道員なのである。
それは、よき時代のよき鉄道人たちの姿であり、人と人の心が素朴に触れ合うことの出来た時代の光景であった。
函館《はこだて》から森、国縫《くんぬい》、長万部《おしやまんべ》と、一駅一駅が過ぎて行くたびに、伊東栄吉ははっきりと見た。
南部斉五郎という名もない一人の鉄道員が、真心こめて播《ま》いて行った種が、今、しっかりと根を張って、この北海道の鉄道を背負って立っているという現実をであった。
(俺も播こう、立派な種を……)
と伊東は思った。
(いつの日か、南部の親父さんが播いてくれたのと同じ種を日本中の鉄道の上に、遥《はる》かな人生の上に、一粒でも二粒でも播かねばならぬ……)
窓辺に頬《ほお》を寄せ、久方ぶりの北海道の曠野《こうや》にうっとりと眼を細めている斉五郎の横顔を、伊東栄吉はいつまでもじっと見詰めていた。
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