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旅路90

时间: 2019-12-30    进入日语论坛
核心提示:    15室伏雄一郎は出征した。有里は岡井亀吉の家へ身を寄せながら、鉄道用地の開墾作業に参加した。食糧増産のかけ声は、こ
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    15

室伏雄一郎は出征した。
有里は岡井亀吉の家へ身を寄せながら、鉄道用地の開墾作業に参加した。
食糧増産のかけ声は、この北海道の片隅にまでひびきわたっていたし、有里も雄一郎に負けないよう、なんらかの形でお国のために働きたかったからである。
すでに出征につぐ出征で、荒野を開墾するにしても男手はほとんど無かった。有里は馴《な》れない手に鍬《くわ》やスコップを握り、明けても暮れても馬鈴薯《ばれいしよ》作りに汗を流した。
男にも辛い仕事を有里はすすんでやることにより、戦地の夫の身を気づかう不安から、多少とも解放されるような気がした。
十八年の夏、岡井三郎は、当時の青少年の憧《あこが》れであった海軍兵学校を受験した。だが、この試験は極めてむずかしく、三郎は合格できなかった。
しかし、海兵の試験に落ちても、三郎の夢はあくまでも海であった。彼は次に海兵団に志願する腹を固めたが、このことは両親にも一言も洩《も》らさなかった。
もともと三郎の父は、海軍兵学校を受けることにも反対で、彼にも自分のあとをついで鉄道員になるようすすめていたのである。
三郎は自分の考えをただ一人、同じ寄宿舎にいた秀夫にだけは打ち明けていた。秀夫はいままでも彼の良き相談相手であり、海に憧れ、お国のために役立ちたいという三郎の最大の理解者であった。
二人はいつも、この国難を救うのは自分たち若人の力であり、国のためには喜んで捨て石となるのだと語り合っていた。
そして三郎も秀夫もそれを自分たちの秘密として固く守り、母親にも打ち明けなかった。国に殉ずるという行為が、ともすると女々しい母親の反対をかうことになるのを知っていたからである。
少年たちはそのことで多少は悩み、苦しみながら、やがていつの日か、母にそむかねばならない時の来ることを本能的に悟っていた。
翌十九年になると、戦局はいよいよ不利で、六月には北九州地方が空襲され、七月にはサイパン島の玉砕が伝えられた。
出征した雄一郎からの手紙は二度ほど有里の手に届けられたが、それっきりばったりと跡絶《とだ》えてしまった。
どうやらビルマ方面に居るのではないかと思われたが、それも、ただ想像でしかなかった。
三郎より一年遅れて、秀夫は有里の反対を押し切って海軍兵学校に願書を提出した。
有里は久しぶりに訪ねて来た千枝に、めずらしく愚痴をこぼした。
「千枝さん……あたし、国の非常時にこんなこと言ったら叱《しか》られるかもしれないけど……秀夫だけは軍人になってもらいたくなかったのよ……」
「わかるよ、姉さん、うちだって男の子が五人も居るけれど、私はその中のたとえ一人だって戦争になんかやりたくないもん、それが母親ってもんだよ」
「そりゃねえ、世間にはお国のためにと覚悟して子供を戦地へ送り出す母親もあるというのに……」
有里はそっと眼を伏せた。
「それでなくても今度の戦争で、子供さんをなくした方々が沢山いらっしゃるっていうのに……私だけが、こんな身勝手なことを言うなんて、ほんとに申し訳ないことだとはわかっているんだけれど……」
「秀夫ちゃんは、なんといってるの?」
「どうしても海軍にはいるって……たとえ私がどんなに反対しても……」
「あんなに気のやさしい子だったのに……」
「せめて、うちの人でもいてくれたら、父親としていろいろ意見ものべてくれたんだろうし、秀夫もお父さんの言うことだったら聞いたんだろうけれど……女にはわからないのよ、男の子の気持ってのが……」
「そう、言いだしたらきかないんだよ、男の子って……」
「やっぱり、秀夫も行くのね……どう止めてみても、結局は行くのね……」
有里は絶望的な眼で天井を見上げた。
「もし、二人とも戦死するなんてことになったら、私どうしよう……」
「姉さん、そったら不吉なこと、言うもんじゃないよ」
千枝にたしなめられるほど、有里の気持は動揺していた。
やがて、秀夫は有里の反対を押し切って海軍兵学校を受験したが、その結果は三郎と同様、不合格であった。
悄然《しようぜん》としている息子《むすこ》の手前、有里は喜んではならないと思いながら、どうしても喜びを押えることが出来なかった。
有里のところに、再び平穏な日々が戻って来た。といっても、秀夫は中学から飛行機工場へ勤労動員されて働き、有里は食糧増産の畑仕事のかたわら、富良野《ふらの》駅へ行って、掃除や、時には改札などまで手伝った。ここも、ますます深刻な人手不足であった。
秋九月、主要都市では一斉に学童疎開がはじまった。九州、山陽、中国地方はすでに敵機の空襲を何度も受けていた。東京が三十七万七千人、横浜、川崎、横須賀《よこすか》が九万五千人、名古屋六万九千人、大阪十八万人、北九州一万五千人など、合計約七十九万四千人の学童たちが親許をはなれ、集団で地方の旅館や寺院へ疎開させられたのである。
これに使用された貨車は二十五万|輛《りよう》、まさに鉄道の総力をあげての大輸送だった。
そして十一月、遂にサイパン島のB29爆撃機は東京を襲った。
また、当局は極秘にしていたが、ビルマ方面の日本軍が潰滅《かいめつ》したという噂が広がっていた。
ビルマには雄一郎が居るはずだった。手紙はもう一年くらいも来ていない。それだけでも、雄一郎がかなり危険な戦線にやられていることが容易に想像された。
或る晩、有里は雄一郎の夢を見た。あまりいい場面ではなかった。負傷し、泥だらけになった雄一郎が、苦しそうに手をのばし、
「水……みず……」
とうめいている夢だった。
翌日、有里の許に一通の電報が届けられた。
(もしや、昨夜の夢が本当になったのでは……)
有里はふるえる指先で電報をひらいた。
『ハハキトク ユウスケ』
尾鷲《おわせ》の兄からだった。
有里はすぐ旅行の仕度をした。
すでに百|粁《キロ》以上の旅行には警察の証明書のいる時代であったが、これは岡井亀吉が手をまわして手続をとってくれた。
よし子に秀夫のことを頼み、とにかく有里は富良野を発《た》った。
しばらく大きな旅行はしなかったが、いつの間にか寝台車も食堂車も一等車もなくなり、急行列車さえもが半減していた。
旭川《あさひかわ》から函館《はこだて》までに一日かかり、青函《せいかん》連絡がうまく行かずに半日近くも待たされた。
本州の列車状況は更に悪かった。
仙台で乗り換え、東京に近づくと、ちょうどB29が東京を空襲中という騒ぎであった。
丸一日、東京へは這入《はい》れず、漸《ようや》く東京にたどりついたと思えば、今度は東海道線に乗るのに一昼夜、行列をつくらねばならなかった。それでも、乗れれば有難いと思わねばならなかった。
周囲の乗客の中には、地方へ疎開して行く人々の姿が目立った。大きな荷物を背負い、子供たちの手をひいて、ボロボロのにぎり飯や芋《いも》を頬張《ほおば》っている光景は、ひどくもの悲しかった。
有里にしても、家を出る時、三日分の弁当を用意して出て来たのであるが、だんだんに予定が遅れてしまい、食べのばし、食べのばしして、尾鷲へ辿《たど》りついたのが、なんと五日目の夜であった。
有里は途中から、母の死目に逢《あ》うことは諦《あきら》めた。とにかく、葬儀にだけは間に合いたいと思った。
尾鷲の駅から、暗い道を有里は息を切らせて家まで駈《か》け続けた。
なつかしい屋並も海も、眼に這入らなかった。
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